中山道六十九次歩き(第23回) 男女倉口~下諏訪宿3
(2より続き)
ようやくここで七曲がりも終わり。
石小屋跡。
下原村の名主勝五郎は安政2年(1855)に旅人のために避難場所と荷置場を造ろうと郡御奉行所に口上書を差出し、馬士の出金、旅人等の援助を乞うて、50両ほどで石小屋を築いたのだそうだ。
この先で熊の糞らしきものを発見。
やはり熊が出るのか・・・
中山道はこの後3度国道を横断して下っていく。
倒れかかった牛頭天王と道祖神。
3度めに国道を渡る手前にあるのが西餅屋茶屋跡だ。
茶屋本陣の小口家と武居家、犬飼家、小松家の4軒があり、藩界にあったので、ときには穀留番所が置かれた。幕末の砥沢口合戦の際は、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建されたそうである。
再び旧道に入ると一里塚跡があった。53里目。
このあと崩れそうな細い道が続くのだが、地元の方たちが補強してくださっているので安心だ。
かわいらしい橋もある。
このあたりは道幅も広い。
そして、ついに国道に合流、ここからしばらく歩道がないのでちょっと怖い。
歩いていると、なぜかエゾハルゼミも歩いている。
警告パトカー。効果あるのかな?
ぐいぐい下がってきて浪人塚到着。
元治元年(1864)11月20日に水戸浪士浪人の武田耕雲斎たち千余名と松本、諏訪の連合軍千余人が戦った古戦場であり、水戸浪士6名が埋葬されている場所である。
墓碑の後ろにちゃんと塚がある。
徳本の南無阿弥陀仏名号碑と観世音碑。
蠶玉神社。
山の神。
樋橋茶屋本陣跡。和宮様も休息している。
最近、ここにトイレができたようで利用させてもらう。とてもきれいだった。和田峠越えはトイレがなく大変なので、ここにできたことは喜ばしいですね。
向かいの地蔵堂跡にはいろいろな地蔵がある。
標高1000メートルのところまで下ってきた。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
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