中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿5
(4より続き)
湯田坂を下っていく。旅館、温泉がいくつもある。
番屋跡を過ぎたところで、人なつっこい猫に遭遇。
ひとしきりなでる。
御作田社。
下社の御作田祭(御田植神事)は、毎年6月30日にこの境内で行われ、この日に植えられた稲は一ケ月後の8月1日には諏訪大神の神供として捧げられたと伝えられた。御作田の早稲として諏訪七不思議の一つにあげられているそうである。
確かに神田はあったけれど、まだ何も植えられていない状態だった。
伏見屋。元商家の建物。
下諏訪一里塚跡。53里目。両塚あったが、取り壊された。
慈雲寺参道を上がる。
庚申塔、三界萬霊塔、正力不動碑、秋葉大権現碑、験徳霊神碑、幸験不動碑、動力霊神碑など、たくさんの石造物が並んでいる。
矢除石。
武田信玄が慈雲寺の天桂和尚に戦勝の教えを請いに立ち寄ったとき、天桂和尚がこの石の上に立ち、矢を射させたところ全てこの石が跳ね返したという霊力のある石で、信玄は念力のこもった矢除札を受けて戦場に向かった・・・そうである。
表門。
安永8年(1779)の慈雲寺山門(楼門)。こけが美しい。
街道に戻り少し先に進むと、「左諏訪宮 右中山道」と刻まれた道標がある。
中山道は右を行くのだが、今回はここまでとし、諏訪大社下社春宮に寄ることにした。
春宮到着。
神楽殿の左右に御柱が2本見える。
一之御柱。
二之御柱。
三と四の御柱は後ろにあるのでちょっと見えづらい。
幣拝殿と片拝殿。秋宮と構造が同じだ。
結びの杉。上の方で2つにわかれている。
浮島社経由で万治の石仏へ。
浮島橋。
おお!久々の万治の石仏。前より整備されたかな?
いやー、なんか楽しくなっちゃう石仏ですよね。
3回まわって願い事をしてみる。
後ろ姿も味わいがあるな~
左右には田んぼがあった。
岡本太郎がこんな面白いものは見たことはないと絶賛したとのことで、岡本画伯の揮毫「万治の石仏」を彫った石碑があった。
ここからは元来た道は戻らずショートカットして駅へと向かう。
下社最古の建造物、春宮下馬橋。
春宮参拝の際は、ここで下乗下馬しなくてはならなかった。
途中西友で夕飯を調達し(この場所は下諏訪倉庫 旧繭倉庫群の跡地)、駅へ。
そして、予定より早い電車に乗ってお隣の上諏訪駅へ。
おみやげの追加を買い、ビールを買って、7時3分のあずさに乗り込み、乾杯!
帰宅は9時過ぎだった。約42600歩。
今回のおみやげ。
次回は和田峠越えなのだが、交通機関の都合上、逆向きに歩きます。
そして、助っ人1名を加えての峠越えの予定で、都合をあわせるため、おそらく男女倉バス停から和田宿に向かっての歩きが先になることになりそうです・・・
(完)
マップはこちらを使っています。
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