中山道六十九次歩き(第22回) 男女倉口~和田宿~長久保宿3
(2より続き)
さて、街道に戻り、先を進む。

双体道祖神。

菩提寺は空也上人の弟子、空了の開山だそうだ。

八幡神社。このあたりが和田宿の江戸見附。

拝殿と覆屋を併合した入母屋造りの建物はめずらしい。
手前は樹齢350年ほどのケヤキ。

中の拝殿。

和田神社の向こうにあるのが和田小学校。

是より和田宿という石を通り過ぎ、狐坂を下っていく。

しばらく進むとこれは???

手書きですね~

アートですね~バンクシーまで!!

その先の芹沢のバス停はとんがり屋根だ。

芹沢一里塚跡。49里目。

その先は何の木かなと思ったらクルミの木なのだった。

この状態での実は見たのはじめてかも?

若宮八幡神社。鳥居が低いですね。

推定樹齢300年の杉。

矢ヶ崎の戦いで信玄に滅ぼされた和田城主大井信定父子の墓と、元首相羽田孜氏の祖先である矢ヶ崎城代の羽田幸清の墓がある。

芭蕉の句碑もあった。
「安能雲は稲妻越待つたよ里可南」。

馬頭観音、道祖神、四国秩父坂東百番観世音巡礼、水道之碑。
羽田孜氏と長男雄一郎氏のお墓もあった。

三千僧接待碑(諸国遍歴の僧侶一千人への供養接待を発願して見事結願し、一躍二千を増やして三千僧接待に改め、碑の一の字を三に改刻した)と、馬頭観音、大乗妙典日本廻国供養塔、南無阿弥陀仏名号碑、大乗妙典供養塔など。

大日堂があるといういことで、脇道に入ったのだがよくわからず、戻って先に進もうとしたら・・・
農作業していた方が親切にもあぜ道を通っていくとありますよと教えてくださった。

周りには馬頭観音など。

中には5体の大日如来像が並んでいる。

田んぼの鴨。
ずっとあぜ道をさらに進むと蚯蚓神社がありますよと教えてもらったのだが、残念ながらわからず、街道へと戻る。

戻ると、みみず道祖神があった。
先ほどの方によると、自分が子供の頃にはなかった、新しいものだとのこと。
このあたりの地名が蚯蚓なんですね。
昔、大雨で大ミミズが流れ出てきて大騒ぎとなり、神として神社に祀ったのだそうだ。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています。
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