中山道六十九次歩き(第22回) 男女倉口~和田宿~長久保宿1
梅雨入りして雨の日が多くなり、出かける前日まで、行こうかどうしようか迷う。が、休暇はだいぶ前から入れるので、そう簡単に変更できないところが毎回の悩みだ。
前日の天気予報では夕方あたりもしかするとちょっと降るかもしれないけれど、そうたいしたことはなさそうというので予定通り出かける。
今回は都合により和田峠越えをとばして歩くことに。
ということで大宮から新幹線はくたかに乗り、上田まで。上田は子供の頃に訪れて以来である。
8時15分発のJRのバスに乗り、ちょうど一時間で終点の長久保着。
我々の他には数名乗ったきりで、大半の時間は我々のみ。
降りるときに、男女倉の方面に行かれますか?と聞かれ、はいと答えるとこれを出せば、お金を払わずに男女倉行きに乗れますのでとチケット?を渡された。990円。
5分後きたのは、バス・・・というかワンボックスカー。
我々の他に乗客は1名。
25分ほどで男女倉口バス停到着。
このあたりの標高は1100メートルだ。
今度歩くことになる和田峠への登り口まで行って、ここから歩きスタート。
早速道は下っていく。
前日雨だったからか、依田川(和田川)は水量が多い。
二之橋手前にあったのが観音澤分教場跡碑。
明治40年住民の強い要望で開校、昭和39年閉校。
草道を少し進むと・・・
唐沢一里塚があった。木はないももの、両塚残っている。
傍らに不動明王碑と御嶽山座生大権現碑、山之大神碑がある。
いったん戻り、唐沢入り口から旧道に入る。
唐沢バス停。この先、ずっとバス停がいろいろで面白かった。
この手前の家が本陣跡だったらしいのだが、見逃してしまった・・・
大きな常夜灯の向かいにあるのが、羽田貞義翁碑。元首相の羽田孜氏のおじいさんだそうだ。
依田川を一之橋で渡る。
ドライブインの横にある扉峠口バス停の屋根は茅葺きだ。
双体道祖神もあった。
田んぼが美しい季節だ。
ようやく国道を離れほっとする。
大出集落である。
大出バス停。ここもまた茅葺きだ。
和田鍛冶足信号交差点で国道にいったんでるが、一里塚跡があった。
脇には道標も(右諏訪街道、左松澤歩道)。
再び旧道に入り、双体道祖神の先に菅沼曲水句碑がある。芭蕉の門人だそうだ。句はちょっと読めない・・・
大きな馬頭観音。
この宿も各家に屋号札がかかっている(これが大きい!)
高札場跡(このあたりが和田宿の京方見附)を過ぎた先の公民館のところに不動明王があるというので見てみたのだが・・・
全身は見えなかった。
和田宿は和田峠を控え、次の下諏訪宿まで五里十八町(約22km)と距離があったため旅人で賑わったが、文久元年(1861)の大火で宿の3分の2程が焼失。和宮の通行も控えていたため、突貫工事で復旧した。現在も旧本陣や古い家屋が修理保全されている。本陣1、脇本陣1、旅籠28。
万屋。うだつが上がる。
江戸時代は質屋兼両替だったという。
大火前の薬医門が残るなが井。
脇本陣跡。
(2へ続く)
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