中山道六十九次歩き(第21回) 塩尻駅~塩尻宿~下諏訪宿4
(3より続き)

東堀正八幡宮。

男女双体道祖神などが並ぶ。

舞屋。安永期頃(1772-80)の建築。

本殿・拝殿。木造に彫刻を多用する建物の早い作例とのことで、明和3年(1766)の建立。

街道に戻り、少し進むと平福寺がある。

日限地蔵尊が有名とのことだ。
おひぎりさまの通称で親しまれる地蔵尊で、日を限って願うと聞き届けられるのだそうだ。特に23日とのこと。

筆塚やら小僧さんやら身代わり地蔵などもある。

本堂。
十四瀬川を木橋で渡り、民家の裏?の細い道を行く。

砥川を富士見橋(富士山が見えるのかな?)で渡って、少しの間土手を行くのが中山道。そしてまた細い道を通る。

道祖神。御柱に囲まれている。さすが!

やがて大きな通りを横切ることになるが(諏訪宮一之宮の石灯籠あり)、左を見ると春宮の鳥居(青銅製)が見える。その先には小さく春宮も見える。

さらに進むと魁塚があった。
相楽総三以下赤報隊8名の墓である。
東山道軍先鋒の赤報隊は偽官軍の冤罪で隊長相良総三以下幹部8名が慶応4年斬首されたが、のちに名誉は回復された。
下諏訪宿に入る。ここからは甲州街道歩きを終えて、駅に向かった時に部分的に歩いている道である。
下諏訪宿は諏訪大社下社の門前町として古くから栄え、和田峠と塩尻峠、甲州街道との追分を控え、中山道随一の温泉場として賑わった。本陣1、脇本陣1、旅籠40。

高札場(復元)から道は左へと入っていく。

宿場街道資料館に寄る。入場無料。
建物の前には源泉掛け流しのお湯がある。この通り、何カ所にもある。

旅籠の看板。

庭。

当時の食事の様子。

和宮様の行列の様子。これでは通るのに何日もかかるなあ。
そのほか、赤報隊、和田嶺合戦の展示などがあった。
懐かしい場所にやってきた!

つい一ヶ月前にもきた甲州道中中山道合流之地の碑である。

その後ろにあった宿場問屋場跡を撮影するのを忘れたので今回はちゃんと撮影。ここは綿の湯があったところ。

前回5時半を過ぎてしまい寄れなかった塩羊羹の新鶴本店に寄る。
今回は無事ゲット!!やったあ。

岩波本陣。
残念・・・開いておらず。和宮、明治天皇の小休所となったそうだ。

「児湯」の看板があるつる屋跡。
和泉式部伝説の銕焼地蔵尊(来迎寺)の御利益により湧き出したと云われる湯で、子宝の湯として親しまれたことから児湯と呼ばれているそうだ。

ということで来迎寺に寄る。

本堂。

銕焼地蔵尊。

下諏訪の湯屋別当方にかねという娘が奉公しており、日頃道端のお地蔵様に自分の弁当の一部をお供えするやさしい子だった。ある日別当の妻が火箸でかねの額を打ち据えて傷から血が流れ、痛みに耐えかねたかねが、お地蔵様に祈り仰ぐとお地蔵様の額から血が流れ、かねの傷は無くなったという。かねは後に和泉守橘道貞と結婚し、歌人和泉式部となった・・・うーん、知らなかったなあ。

和泉式部の歌碑。
「あらさら無 この世のほか能 於も悲てに 以ま飛とたひの 阿ふこともか耶」
そうか、この歌は和泉式部だった!
マップはこれを使っています。
(5へ続く)
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