COEDO BREWERY コープデリアニバーサリービール
生協で、コエドビールとコープのコラボ商品があったので早速購入。
コープデリ30周年記念で作られたビールとのこと。
缶はコープの色、緑。
注いでみると、オレンジっぽい色。
飲んでみると、かなり苦みがありますね。しっかりとしたビール。
ベルジャンIPA(インディアペールエール)だけあって、なるほど!
ちょっとフルーツっぽい香りもするけれど、圧倒的な苦みですね。
これ、好きなビール。
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生協で、コエドビールとコープのコラボ商品があったので早速購入。
コープデリ30周年記念で作られたビールとのこと。
缶はコープの色、緑。
注いでみると、オレンジっぽい色。
飲んでみると、かなり苦みがありますね。しっかりとしたビール。
ベルジャンIPA(インディアペールエール)だけあって、なるほど!
ちょっとフルーツっぽい香りもするけれど、圧倒的な苦みですね。
これ、好きなビール。
ポルトガルの赤ワイン。
ラベルがにぎやかですね。
ポルトガルのワインは大好きなのだけど、残念ながら輸入量は少なくてあまり手に入らない。
注いでみると、結構色は濃い。
飲んでみると、色からくるイメージとは違って、すごく濃いというわけではなかった。
ブレンドワインということだが、品種は不明。
まずまずでした。
本日の映画
movie-6 「ワンダーウーマン 1984」 WONDER WOMAN 1984 2020年米
DIR:パティ・ジェンキンス
CAST:ガル・ガドット、クリス・パイン、クリステン・ウィグ、ペドロ・パスカル、ロビン・ライト、コニー・ニールセン
STORY:1984年。ダイアナはスミソニアン博物館で考古学者として働く傍ら、ワンダーウーマンとして人々を救っていた。なんでも願いがかなうという石を手に入れた実業家マックスの恐るべき陰謀により、世界崩壊の危機が訪れるが・・・
☆☆☆コミックヒーローもの第2弾。
1作目は第一次世界大戦下だったが、今回の舞台は冷戦下の1984年。
ワンダーウーマンは年を取らないんですね~
前作では人間の世界に初めてきて、世間知らずだったダイアナも、スマートな知的美人考古学者として登場、さらに魅力アップ!
もちろん、アクションもキレッキレでカッコいい。
しかし、2時間半はちょっと長いかな~
長いのもあってか、ラスト近くの戦いが案外盛り上がらないのだ。
敵の一人=チーターとの戦いがいまいちなのと、実業家マックスとの絡みもえ?それで終わっちゃうの?と思ってしまったし。
でも、まさかのスティーブ(クリス・パイン)再登場はうれしかった!
ダイアナとのシーン、せつなくなる・・・
そして、ラストに、なんとねーあの人が登場!!
ずいぶん年をとったけれど。これはもっとうれしい。
3作目もできるのかな?
業務スーパーで購入した安ワイン。
スペインの白。マカベオ100%。
飲んでみると、酸味がちょっとあって、爽やか。
フルーツっぽい香りもして、まずまず。
ちょっと軽いかなという気もしたけれど、問題なし。
ラマンチャの赤ワイン。
ラベルがおしゃれーと思ったけれど、これ指紋??
注いでみると、とてもきれいな色のワイン。
飲んでみると、これは好みですね~
テンプラニーリョとガルナッチャ・ティントラ。
ガルナッチャかあと思ったら、ガルナッチャ・ティントラって別の品種なんですね。ティントラというのはインクのようなという意味らしく、それでちょい濃いめの色になるんですね。単体だともっと濃い味になりそうだけれど。テンプラニーリョとブレンドされることでちょうどいい感じになったのかも?
本日の本
book-9 『血の郷愁』 ダリオ・コッレンティ著 ハーパーBOOKS
STORY:北イタリアで、女性の変死体が発見された。一九世紀の連続殺人犯の手口と同じと、インターンの記者イラリアから聞いた定年間近の記者マルコは、イラリアともに事件を追う。
☆☆☆☆イタリアンミステリ。
イタリアのミステリも時々は読むのだけれど、英米仏北欧と比べたら少ないんですね。まあ翻訳があまりないというのがあるのだけれど。
これ、結構事件自体は陰惨で、グロいんですね。
殺し方が猟奇的で・・・
これは読んでてキツいかなとも思ったのだけど、実はそうでもない。
それは、お荷物記者のマルコとイラリアのコンビがとてもよいから。
なんか、ほのぼのとするコンビなのだ。そして、おいしそうなレストランが描かれて、いいなあと。
厭世的なマルコと、一種の強迫観念に駆られているイラリア(過去につらい目にあっているため)のコンビ、最初はどうかなと思ったけれど、読み進めていくうちに最高のバディだということがわかる。
一匹狼で古風な取材をするマルコと、現代っこのイラリアとが、いいあんばいで犯人を追い詰めていく・・・
このコンビがとても気に入ったので、続刊希望!
先日国立西洋美術館に行ったあとの昼食。
上野に行くと、ほぼさくらテラスに行ってあいているお店に入る・・・というパターンなのだけど、今回も地下にまず行き、混んでいたので(しかも一店閉店していた)、3階に上がると、いつも混み混みの梅蘭に列がないのでここに決める。
何度もきている梅蘭だが、久々だったかも??
そして、やっぱり頼んだのは、梅蘭やきそば(小)と杏仁豆腐のセット。
フツーのサイズだとちょっと量が多いので小で!見た目はそれほどたくさんには見えないのだけど、結構ぎっしりだから・・・
麺を少しずつ突き崩していくが、なかなかあんが出てこない(笑)
ようやく出てきて順調に食べ進めるも、味変すべく、辛子と酢を投入!
今回は完食(前回は小でも完食できず)。
時々食べたくなりますね。
ごちそうさまでした。
東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス3F
art-12【自然と人のダイアローグ展】 国立西洋美術館
国立西洋美術館がリニューアルオープンしたということで、記念展覧会に行って参りました。
ドイツ・エッセンのフォルクヴァング美術館と、国立西洋美術館のコラボ。
この美術館知らなかったけれど、西洋美術館と共通しているのが個人のコレクションが母体となった美術館ということ。
なかなか素晴らしいコレクションで、かつ展示の仕方がとてもよいのですね。相乗効果があがるような展示で感心しました。
Ⅰ空を流れる時間
大好きなブーダンからスタート。
続いて弟子ともいうべきモネの「雲の習作」という絵があったけれど、へえこれがモネ!
好きな作品「雪のアルジャントゥイユ」の展示もあったが、隣にあったのがピサロの「ルーヴシエンヌの冬景色」。これもいいなあ。
モネは何点もあって、「セーヌ河の朝」は光の表現がらしくてよい。
「ルーアン大聖堂のファサード(朝霧)」もあった。今まで何点みたのだろう。
「ウォータールー橋、ロンドン」と「ウォータールー橋、ロンドン」を並んで展示するとは!センスがいい。
マックス・リーバーマン「ラーレンの通学路」。この画家は知らなかったが、木漏れ日が美しい。
ルノワール「オリーヴの園」。ワタクシ、ルノワールの風景画の方が人物がより好きかも?「風景の中の三人」は人物も描かれているけれど、外の光が主役と思う。
並びが素晴らしいといえば、モネの「舟遊び」(これはよく見る絵ですね)と、リヒター「雲」。モネの水面に写る雲とリヒターの雲が妙にシンクロする。リヒターはあまり得意な画家ではないのだけど。
Ⅱ〈彼方〉への旅
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「夕日の前に立つ女性」。朝日のようにも思えるけれど夕日なんですね。壮大な風景と人物との対比がおもしろい。
ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダール「ピルニッツ城の眺め」。構図がおもしろい。額縁の中に窓があって、そこからの風景。
クールベの波2点。一つはフォルクヴァング美術館のものだけど、こちらの方がまだ波が穏やかだろうか。
シャセリオー「アクタイオンに驚くディアナ」。いろいろな画家が描いているギリシャ神話のお話だが、これ、もうアクタイオンが鹿になっちゃってます?
モロー「聖なる象(ペリ)」。ちょっと東洋的でエキゾチックな感じ。
ポール・ランソンの「ジギタリス」。本の装丁とか挿絵っぽい。
ポール・ゴーガン「扇を持つ娘」。亡くなる前年に描いたとのことだが、かなり落ち着いた画風となっている。
Ⅲ光の建築
セザンヌが2枚。西洋美術館のは「ポントワーズの橋と堰」。こちらは結構描きこまれているけれど、フォルクヴァングの「ベルヴュの館と鳩小屋」は塗り残しがある風で、でもこの色遣いはセザンヌだなと。こっちの方が好きかも。
ホドラー「モンタナ湖から眺めたヴァイスホルン」。ホドラーはスイスでたくさん見たなあ。ホドラーは風景画の方が好きだ。この作品は色もいい。
新所蔵品というアクセリ・ガッレン゠カッレラの「ケイテレ湖」。フィンランドの画家とのことだが、今まであまりフィンランドの作品って見たことないかも???妙に上に偏っている構図がおもしろいが、水面を描くのがメインだったのだろうか。
テオ・ファン・レイセルベルへの「ブローニュ=シュル=メールの月光」。かなり細かい点描。幻想的な作品だ。
ポール・シニャック「サン=トロぺの港」、「ポン・デ・ザール橋」。サン=トロペのこの色合いいいですね。
カンディンスキーの「小さな世界」シリーズ。大きな作品の方がよいかな。
パウル・クレー「月の出(サン=ジェルマン界隈)」。抽象化はされているけれど、まだわかるな~なんかかわいらしい絵だ。
Ⅳ天と地のあいだ、循環する時間
ドニ「踊る女たち」とモネの「陽を浴びるポプラ並木」。
ドニとモネじゃ全然違う・・・と思ったけれど、この並びいい!木がシンクロしている。
ルノワール「木かげ」はちょっとモネ的。
ゴッホの「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)」。初来日だそう。麦を刈り取る人に死のイメージを見たと語ったそうだけれど、一面の黄色い麦畑には奇妙な明るさと躍動感を感じた。
ピサロの「収穫」がとてもおとなしく見える。
ゴッホはもう一枚。これまた療養していた時に描いた「ばら」。ワタクシはサン=レミ時代の作品が好きだ。
並んでいたモネの「黄色いアイリス」はこうしてみるとうねっていてゴッホに近いものを感じる。
ムンクの連作版画集「アルファとオメガ」。叫びに似た作品もある。
最後はモネの睡蓮が2枚。
一枚は激しく破損している作品で痛々しいが、ラストの睡蓮、これはいつみてもいいですね。
素敵な展覧会でした。
是非どうぞ。
ファミマ限定ビール。
至福シリーズはだいたい飲んでるはずと思ったけれど、2017年にも出たという至福のキレは飲んでないかも??
注いでみると、若干薄い色。
飲んでみると、確かにキレがありますね。
でも、すーっと消える某ビールみたいじゃなくて、その後にしっかりとしたコクを感じる。
夏向きでいいかも!
(4より続き)
街道に戻る。
高札場跡。
旅籠油屋。脇本陣跡(その手前に本陣跡の表札があったらしいのだけどわからず)。
堀辰雄は、旅籠である油屋の 「つげの間」 で「風立ちぬ」 を執筆した。
堀辰雄記念館の門は本陣の裏門を移築したものだそうだ。
あずまやがあったので休憩。佐久で買ったお菓子を食べる。
鯉の一つはあんこ、もう一つはカスタードが入っている。
精進橋を渡ったところで追分宿を出る。
浅間神社には大きな芭蕉句碑があった。
「吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉」
追分宿郷土館の前にはまたまたでっかい馬頭観音。3メートルあって軽井沢町最大の大きさだそうだ。
道を上がっていくと追分一里塚がある。39里目。
両塚残っているのだが、片側のみしか見なかった(雨のせいということにしておこう)。
国道に合流すると標高1003メートルの標識があった。どうりで涼しいはず・・・18度台になって涼しいというより寒い(雨でずぶ濡れになっていたこともあり)。
国道からまた旧道へ。
ここからいくつもの馬頭観音を見る。
そして、やはり大きな馬頭観音も多く・・・このあたりは大きい馬頭観音を造った地域なんだろうか?
ここ、手前には竿石に馬が彫られた明治21年(1888)の石燈籠があった。
高札場跡の隣に黄壁布屋。米問屋だった土屋家である。
ここは下仁田街道の分岐点である借宿だ。古い街並みが残っている。
遠近宮(おちこちぐう)。
伊勢物語の主人公として登場する在原業平が詠んだ和歌から、
在原遠近宮と名前が改められたという。
下仁田道(姫街道・女街道ともいう・・・女性は関所を避けて裏街道をいくようになった)入り口の看板を通り過ぎ・・・
4つほど馬頭観音を見る。
二十三夜塔に馬頭観音。
軽井沢町のカラー版のマンホールがあった。
噴煙を上げる浅間山と白樺の木である。
沓掛宿に入ってきた。
安永2年(1773)の大火、そして天明3年(1783)の浅間山の大噴火
で壊滅的な被害を受け、現在地に移転。本陣1、脇本陣3、旅籠17。皇女和宮は追分の名を嫌いここ沓掛宿の土屋本陣に宿泊している。
1951年にも大火があり宿場の面影は残っていない。
当初は中軽井沢の駅から帰ろうかと思っていたが、なんとか軽井沢駅まで行けそうということで頑張ることにする。
が、すごく時間的に余裕があるわけではないので、長倉神社の鳥居のところのみ撮影し、沓掛時次郎の碑を見にいくのはあきらめる。
沓掛宿を出る。
しなの鉄道の線路をくぐり、少し駅方面に歩いたところに宮之前一里塚跡碑があった。38里目。
雨の中、黙々と軽井沢駅に向かって歩く。街道はどんどん線路から離れていく・・・
時間があったら寄ってみたかった近衛文麿別荘(市村記念館)。
雨宮御殿。
伊藤博文をはじめ、政府、財界の大物がこの屋敷に宿泊したという。
まだまだあった馬頭観音。
高級ホテルやレストランをいいなあと横目で見つつ、ひたすら歩く。さすがに足も疲れてきた。
六本辻でこの日の中山道は終了、駅へと向かう。
ふー、ようやく到着。
おにぎりを買い、さて荷物を整理するかと思ったところ、頭から肩にかけてびしょ濡れだったことに気づく。タオル2枚でふいてもまだまだぐっしょり。
持ってきた折りたたみ傘は、風には強いというふれこみだったが、長時間の雨には対応していなかったようだ・・・
6時55分発の新幹線に乗り、大宮着が7時35分。
帰宅は8時半過ぎだった。
おみやげは、佐久の戸塚酒造の寒竹と、和泉屋酒店の鯉ぐるま。
約55200歩。
これまで一番歩いたのが箱根町港から沼津まで歩いた時の約54800歩だったので記録更新!よく歩きました。
碓氷峠はヒルがあまり出ない時期に越えたいので、おそらく横川から一回先に歩くことになりそうです・・・
(完)
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(3より続き)
長倉諏訪神社にも寄る。
神馬舎の中には・・・
わらで作られた神馬がある。道祖神まつりで、子供らが掛け声とともに村内を引き歩くのだそう。
推定樹齢200年超のケヤキの御神木。
街道に戻って進むと、おはる地蔵があった。
はるさん、なかなかすごい人だったようだ。
小田井宿を出るところに、不動明王像、清瀧不動明王、御嶽山座生大権現、八海山御岳山。
ぐいぐい進んで、しなの鉄道を地下道でくぐる。
と、雨が結構降ってきた。慌ててザックカバーをかける。
御代田の一里塚。41里目。こちらは西塚。
東塚。
立派な塚だ。
なかなかに歩くのがきつい雨になってきて、黙々と進む。
薬師堂の跡地だというところに観音様がいらした。
そこから少し進んだところにあるのが、千ヶ滝湯川用水温水路。
冷たい雪解け水を稲作に適した水温にあげるための人工池だそうだ。
国道に合流する直前に中山道69次資料館がある。
この日は休館だったが、庭にある、ミニ中山道はご自由に散策くださいということだったので、巡らせてもらう。
なかなかよくできていますね。
万治の石仏もあったり・・・
楽しいミニ中山道だった。
分去れの碑のところにきた。
北国街道との分岐。寛政元年(1789)の常夜燈、延宝7年(1679)の分去れ道標、道祖神などがある。
安永6年(1777)の子育地蔵尊もあった。
追分宿に入る。出梁造りの茶屋つがるやが入り口にある。
追分宿は中山道の中で最も標高が高い。堀辰夫、立原道造など多くの文人の心のふるさととして愛されてきた宿で、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35。
泉洞寺による。
山門脇の如意輪観音、馬頭観音、青面金剛の庚申塔。
ここはおもしろいお地蔵さんがいろいろとあるのだが・・・
カーリング地蔵とか卓球地蔵などもある。
この六地蔵はおもしろい。さあさあいっぱいやっぺえ地蔵尊とか、おーい元気だそうね地蔵尊などだ。
お寺の屋には歯痛地蔵がある。堀辰雄が愛した石仏なのだそうだ。
(5へ続く)
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(2より続き)
行人塚。山伏や修験者の墓だそうで、千手観音、馬頭観音、地蔵菩薩などが並ぶ。
このあたりの県道はすぐ近くにインターがあるからか、チェーン店が並ぶ。
その中から昼食場所に選んだのはビッグボーイ。
手ごねハンバーグセットを頼もうとしたら、同じ値段で、カニコロかフィッシュフライもついたセットの方がお得とすすめられて、カニコロもつける。
おなかいっぱいになり出発。
少し進むと一里塚があった。鵜縄沢端一里塚、42里目。
どこが一里塚?と思ったら、この全体が大きな塚のようだ。周囲20メートル、高さ4メートルと大きい。
皎月原。
用明天皇時代(586)にこの地に流された皎月という官女がいて、自らを白山大権現というようになり、時々小田井の原へ来て馬の輪乗りをし、その跡には草が生えなかったので、その所を皎月の輪と呼ぶようになったとのことである。
皎月歌碑。
「むかしより かわらぬ影を うつしてや 月毛乃駒の 跡のみちしば」
小田井南交差点から旧道に入る。
この日唯一の猫。
白山比咩神社。
十九夜と刻まれた観音像があった。
双体道祖神も。
御代田町に入った。
マンホールは、町の花ヤマユリ、浅間山の稜線と煙が描かれている。
ここが小田井宿の始まり。
小田井宿は飯盛り女がおらず、婦女子の宿泊が多いところから「姫の宿」と呼ばれた。
本陣1、脇本陣1、旅籠5。
尾台家が勤めた下問屋場跡。
切妻造り、屋根は元板葺石置、三室続きの客室を備えている。
旅籠大黒屋。元禄年間の建築様式。
問屋跡(安川家住宅)。江戸後期のもの。切妻造り。
本陣跡(安川家住宅)。
宝暦6年(1756)に大規模改修が行われ、その際の建築のまま残された客室部を良好に残しているそうである。また厠と湯殿は文久元年(1861)の和宮降嫁の際に修築されている。
宝珠院に寄る。
入り口にとてつもなく大きな馬頭観音が!
お地蔵様。
アカマツが大きい。元禄3年(1690)植樹。
と思ったら、しだれ桜も立派だった推定樹齢300年だそう。
久々に見た一石六地蔵。
本堂。
鐘楼。
(4へ続く)
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(1より続き)
ちょっと寄り道、若宮八幡神社へ。鎌倉から勧請された神社。
鳥居はなくなってしまっており、寄付を募っていた。
寛政2年(1790)下仁田道常夜燈。
街道に戻り先を進むと中山道踏切があった。小海線をこえる。
この頃になると薄日が差し始めた。
佐久甲州街道(韮崎で甲州街道に合流)との分岐を過ぎ、相生町交差点を右折したところが岩村田宿の京方見附。
岩村田宿は内藤藩1万5千石の城下町。宿泊する諸大名はなく、本陣、脇本陣はなし。旅籠8軒。佐久甲州街道、下仁田街道、善光寺街道が交差することから商人町として栄えた。
宿は今はアーケード街となっている。
招き狐のタイルが歩道にある。
これは百姓の嫁が田植えの手伝いを友達に頼み、田植えは無事済んだものの狐であることがバレそうになり、百姓と息子を残して消えてしまった・・・との言い伝えに基づくものらしい。
承応2年(1653)創業の戸塚酒造により、寒竹を無事ゲット、和泉屋により、おやつとおみやげの和菓子を買う。
上を見ると数珠があった。ここは西念寺への入り口である。
知恩院の末寺だそう。
山門(実は向かいに5代目岩村田藩主内藤正国のお墓があったのだが気づかなかった・・・)。
12本の柱で支えらている楼門。
天井の四隅に天女が描かれている。
西念寺別時念仏会報恩塔、地蔵菩薩坐像の向こうに見える大銀杏。
本堂。
六地蔵。
先に進み龍雲寺にも寄る。
総門。上に武田菱が見える。
鎌倉時代に創建されたが、戦火のため荒れ果て、信玄が興隆した。その後、亡くなった信玄の遺骨が埋葬されたということから武田菱があるんですね。
山門(楼門)にも武田菱。
本堂にも武田菱。
街道に戻り少し進むと、善光寺街道の道標があった(レプリカ)。
小諸市四ツ谷で北国街道を合流する。
そういえば、洗馬宿からは善光寺西街道が分岐してましたっけ。
この道標の本物は住吉神社にある。享保20年(1735)の事故で破損したのを修復、ここに移された。
神社のご神木のケヤキは大きい。鳥居は両部鳥居。
享和2年(1802)の常夜燈。
十九夜塔、二十三夜塔など。
霊神碑、庚申塔、石祠、猿田彦大神など。
双体道祖神もある。
このあたりで岩村田宿を出る。
(3へ続く)
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天気予報では雨は確実に降りそうだけれど、本降りになるのは夕方から夜以降ということだったので、思い切って出かけることにした。
大宮発6時53分の新幹線に乗り、佐久平着7時42分。
蓼科口に出て、バスを待つ。
51分にくるはずのバスだったが・・・
10分近く遅れてやってきた。
前回のゴール塩名田のバス停に到着した時には雨が降り出していたので、待合室でザックカバーをかけて出発。
前回、丸山新左衛門本陣を見たが、こちらも本陣跡。丸山善兵衛本陣跡で、現大井屋である。
塩名田の交差点のところで、塩名田宿を出る。
駒形坂を上がっていく。
アマガエルが何匹も歩いていた。踏まれませんように・・・
その先にあるのが、駒形神社。
源頼朝が騎乗したまま拝礼せずに通ろうとしたところ落馬したという伝説が伝わる。
参道の橋。
拝殿。石灯籠は元禄9年(1696)のもの。
後ろにある本殿は文明18年(1486)に再建されたもので国の重要文化財とのこと。うーむ、見損なってしまった。
県道に出たところでりんご畑が見えてきた。
長野県では養蚕が世界恐慌で不振に陥って、りんごへと転換していったのだという。
少し赤くなりかかったりんごも見える。
雨はやんできたが、この天気では浅間山も見えない。
蓼科山も・・・
水田の中に、浅間山の噴石の上に3つの石造物が。左右は庚申塔、真ん中は御嶽の講の記念碑と思われる。
如意輪観音碑、諏訪神社を通り過ぎ、またまたりんご畑が。
先ほどよりは浅間山が見えてきた。
公衆電話とドアに書いてあるが、昔の電話ボックスなのだろうか。
民家の塀のところに芭蕉句碑。「刈りかけし田づらのつるや里の秋」。
中部横断自動車道をくぐった先に、荘山稲荷神社。
「野を横に 馬引きむけよ 郭公」の芭蕉句碑があるはずだったのだが、見つけられず。
すぐ先で、濁川を渡る。
確かに濁っているが、石尊山が水源で、鉄
分が酸化して濁るのだそうだ。
またりんご畑が見えてきたが、小さい実のりんごがあった。
どうやらイヌリンゴのようで、そのままでは食べず、リンゴ飴になるらしい。なるほど!
砂田用水改修記念碑、水神大神を通り過ぎ、国道を渡った先にあるのが、福徳稲荷。
ろいろな石造物がある。
道が曲がるところ(枡形)にあるのが、相生の松。このあたりの地名はこの松からきている。
男松と女松が同じ松から生えているという説や、クロマツとアカマツが一緒になったからという説があるらしい。
文久元年(1861)の皇女和宮降嫁の折、ここで休憩し野点を行ったそうだが(2代目の松)、現在は3代目の松だそう。
ここで佐久市のマンホール発見。
市の花コスモスが描かれている。
御嶽神社。
甲子大黒尊天、不動尊、石祠、保食神、妙見尊、庚申塔、月神尊があった。あまり聞き慣れないものもある。
(2へ続く)
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TOKYO CRAFTの新しいのを見つけたので購入。
缶のデザインは涼しげですね。
注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、IPAらしく苦みがガツンとくるのだけれど、全然重くはなく、後味はすっきり。
ビールの苦みが堪能できて、しかも夏向きにさわやかなのはいいですね。
先週中山道を歩いた際に購入した佐久市茂田井(間の宿茂田井)の酒蔵のお酒。
生酛造りの技術を継承している蔵元は全国でも数十社とか・・・
飲んでみると、甘みがほんの少し広がるけれど、最終的に感じるの辛み。どっしり系のお酒だけど、キレはよし。
こってりなお料理にあいますね。
プレモルの派生品。
昨年も発売された製品である。
缶のデザイン、きれいだな。
注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、ホップの香りがぐっとくる。これはあまりない感じのホップかな。香りがとてもよいのだが、希少品種のサファイアホップとのこと。
苦みもしっかりあって、おいしいビールでした。
(4より続き)
八幡神社に寄る。
随神門が立派だ。
左の衣冠束帯の武官神像。
右。
額殿。龍と猿の彫刻がほどこされている。算額が奉納されているとのこと。
瑞垣門。
拝殿。
延徳3年(1491)望月城主滋野遠江守光重により建立され、国の重要文化財に指定されている旧本殿の高良社。
街道に戻ると旧浅科村のマンホールがあった。
浅間山、千曲川、稲穂が描かれている。
稲穂の向こうに確かに浅間山が見えるんですね。
うっかり生井大神をスルーしてしまったが、御井大神は写真におさめた。
いずれも水神である。
御馬寄の一里塚跡。44里目。ここは塚が残っていない。
大日如来があった。向こうには浅間山が見えている。
横には芭蕉句碑もあった。
「涼しさや 直ぐに野松の 枝の形」。
ちょっと寄り道。勝手神社(名前がおもしろい)。
武田信玄が社前で落馬したという。
ケヤキが大きい。
千曲川を渡る。
向こうには北陸新幹線が通っている。
渡った先に舟つなぎ石がある。
明治期に9艘の舟をつないで橋としたもの。
さて、塩名田宿に入ってきた。
塩名田宿は本陣2、脇本陣1、旅籠7。
千曲川川留めで潤うこともあったが、往還の確保が厳しく、氾濫で打撃にもなったので、大きく発展しなかった。
お滝通りを進む。
川魚料理店の竹廼屋は100年以上前に創業している。
三階建ての角屋(茶屋跡)。
国道が高いところを通ることになり、そちらからも出入りできるよう、3階建てや4階建ての建物が作られた。
写真を撮りそびれてしまったが、ケヤキの根元から水が流れでている瀧大明神社跡。
脇にある天保10年(1839)の十九夜塔と明治40年頃の道祖神。
道を上がっていくと広い通りに出た。
ゴールのバスターミナルも見えている。
高札場跡を通り過ぎ、問屋を兼ねた丸山新左衛門本陣跡を見て終了。
現在は御殿部分が改装した住宅となっており、宿場関係史料が多数保存されているそうである。
バスターミナルの待合室でしばし休む(日野屋さんに行っておみやげのお菓子を購入)。
5時39分のバスに乗る。乗客は我々のみ。
10分で佐久平駅到着。
55分ほどの待ち時間があったので、イオンまで行って夕食のお寿司を買う。
前回と同じ新幹線に乗り、軽井沢ビール浅間名水プレミアムクリアで乾杯!
大宮から乗り継ぎ、帰宅は9時前だった。
おみやげは日野屋さんの鯉もなか(栗が入っている!)と、茂田井の2つの酒蔵のお酒。
ちょっと暑かったけれど、がんばって歩きました。
約42200歩。
(完)
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(3より続き)
城光院に寄る。望月氏代々の菩提寺で居館跡。
塀に窓のような模様が。
なかなかに立派なお寺だ。
十王もいる。
この双子の首のはなんだろう?
流れている川は鹿曲川だ。
真山家。やまとやの屋号札がかかる。
問屋と旅籠を兼ねていたところ。
大森家がつとめた本陣。
この敷地にあるのが望月歴史民俗資料館である。
あまり時間がなかったので、宿場の展示を中心にささって見て出発。
旅館山城屋。
井出野屋旅館。
映画「犬神家の一族」のロケで使われたそう!むむ、映画をもう一回見てみなければ!
あまりに暑くて喜月堂でクーリッシュを買って食べる(飲む)。やはり暑い日にはアイスですね。
望月宿を出ると道は直角に曲がり、長坂橋を渡る。
時間がなかったのでそこまで行けなかったが、信永院のかやの木が見えた。樹齢500年。
長坂を上がっていくとたくさんの石造物がある。
石尊大権現、大聖不動、普寛霊神、木食一心霊神、御岳山座王大権現、百万遍供養塔、馬頭観音、道祖神など。
いったん県道に出て少し進むと土道があって上っていく。
苔ですべりそうな坂を上がると瓜生峠に到着。
元文元年(1736)の念仏塔と享保2年(1717)の大乗妙典供養塔がある。
進むと瓜生坂の一里塚があった。
塚に見えないなと思ったら、半分道路で削られてしまっているのだった。
国道を横切りつつ、百沢集落に入る。
ここにあったのが祝言道祖神。宮廷貴族の装いをした男女が酒を酌み交わす華麗な祝言像である。
静かな集落だ。
浅間山の上の方もまあまあ見えてきた。
またまた大きな馬頭観音。
八幡宿に入ってきた。
本陣1、脇本陣4、旅籠3。次の塩名田宿からはとても近いが、塩名田宿~望月宿間はかなりの悪路で、通行に難渋し、荷物の運搬にも支障をきたしたので、一宿を必要としたらしい。
本陣跡。
和宮様はここで宿泊している。
(5へ続く)
マップはこちらを使っています(2より続き)
ピーチソーダをぐぐっと飲んで出発。
そろそろ芦田宿も終わりだ。
芦田川を渡ると浅間山が見えてきたが、まだ雲がかかっている。
先を進むと上り坂に。間の宿茂田井に向かって少しずつ上がっていく。
茂田井一里塚跡。45里目。
おや?石祠のところに何か動くものがと思ったら猫だった。
暑い中、涼しい場所を見つけたらしい。
石割坂がはじまり道は下っていく。
勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったが、その石を割り中山道を開通させたので石割坂と呼ばれている、のだそうだ。
高札場跡を通り過ぎ、角に大きな馬頭観音があった。
そこを右折、ちょっと寄り道。
諏訪神社。
本殿の彫刻が見事だ。
双体道祖神9体は茂田井村各地から集められたもの。
日の出地蔵もあった。
もう一カ所の高札場跡を通り過ぎた先に杉玉が見えてきた。
大澤酒造である。
大澤家は名主をつとめた。
資料館や美術館があったが、時間の都合上パス。
続いて見えてきたのが武重酒造。
明治元年(1868)創業で酒造施設30棟が国の登録有形文化財に指定されている。
ちょっと中に入ってみる。
こんな展示も。
しかし、暑くてお酒を買うのは断念。
酒蔵の向かいには若山牧水の碑があった。
このあたりをしばしば訪れていたそうだ。
ここからまた上り坂となる。
神明社。雨乞いの神様。
県道に合流した地点に緑色の池があった。
にごり池という農業用の池だ。
やがてピークに達し、下っていって、国道をくぐる。
寒念仏供養塔を過ぎて急激に下ると開けた。
佐久良公園だ。
ここでもまた草を刈っていた。
旧望月町のマンホールがあった。
望月は平安時代、朝廷直轄の牧場がある駒の里だったということで、望月の駒とりんごの花のデザインだ。
駒の里ということで看板にも馬がついている。
ということで望月宿に入ってきた。本陣1、脇本陣1、旅籠9。
大伴神社。景行天皇40年(317)の鎮座という古社。
石柱は現代書道の父、比田井天来の書だ。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています
(1より続き)
立場茶屋絵のタイル。
往時はここに笠取峠名物三国一の力餅を商う小松屋があったとのこと。
現代の茶屋(峠之茶屋)前に小松屋跡の立て札がある。
長久保宿野釜鳴屋に版木が保存されているというのは、一福処濱屋の展示で見た。
ほどなく笠取峠到着。
スマホの標高ワーカーではかったところ、904.6メートルと出た。
峠の辺りは強い風が吹いて旅人の笠を吹き飛ばすことがあったことから、笠取峠と呼ばれるようになったという。
ここで、長和町から立科町へと入る。
笠取峠竣工記念碑。
ここからどんどん下っていく。
途中にあったのが笠取峠の一里塚(47里)。北塚が現存。
当時のアカマツが残っているとのことだったが、ちょっと枯れている?
浅間山が見えてきた。上の方は雲がかかってしまっているが・・・
そして、笠取峠の松並木も見えてきた。
慶長7年(1602)、幕府は中仙道の整備に着手し、小諸藩に赤松数百本が下付され、植栽したもの。
国道から離れてちょっとほっとする。
気持ちのよい道だ。
松並木は国道で分断されているが、その後も続く。
従是東小諸領と刻まれた榜示石。笠取峠までは幕府領で、東側は小諸領だった。
よく整備された公園で(ちょうど草刈りの最中だった)、牧水の歌碑や和宮降嫁行列のレリーフなどもある。
馬頭観音もいくつか。
編み笠を持った双体道祖神と馬頭観音。
芦田宿入り口交差点を渡った先に石打場公園がある。
石打場は石打の当て字で、「境界」または石敢当の意味があり、「災害除け」または防御示のための場所なのだそうだ。
正明寺。だいぶ前から本堂の赤い屋根が見えていた。
ささーっと本堂の下に入っていったのは狐の親子!その後ちらちら見えてはいたのだが、さすがすばしっこくて写真には撮れず・・・
紫雲の松。大きくて全部を写真に収めるのは大変!
馬頭観音。
敷地内には、古墳があるとのことだったが、どこだかわからなかった。
芦田宿に入ってきた。
本陣1、脇本陣2、旅籠6。小さな宿だが、笠取峠をひかえて休憩する旅人が多かったそうだ。和宮様も本陣で休憩している。
金丸土屋旅館。
出梁造り。
向かいは酢屋茂さん。酢の醸造から始まったが、今は味噌・醤油を売っているそうだ。お味噌のにおいがぷーんとしていた。
脇本陣跡を右折し、お昼を食べにいく。
ときん亭というお店である。だいぶ暑くなってきていたので、お店の中の涼しさにほっとする。
着席したときに、テレビから臨時ニュースが流れてきて、安倍元首相が銃撃されたという・・・驚き・・・
頼んだのは暑いけれど鳥南そば。
ブロッコリーなんかも入っている。汗をかいたので、つゆをついつい多めに飲んでしまった。
550円と実に良心的なお値段だ。
隣の建物のつばめの巣を撮影したあと(親鳥さんごめん)、街道に戻る。
本陣跡(土屋家)。問屋も兼ね、芦田宿の開祖でもあったそうだ。
向かいにはもう一軒の脇本陣跡がある。
芦田宿ふるさと交流館に寄る。
先ほどから見ていたマンホールのカラー版が入り口にあった。
蓼科山と女神湖、町の花すずらん。
いやー、立科町って南北に長細い町なんですね。
南北に26.4キロメートル、東西に9.9キロメートル、中央のくびれたところは53.5メートルとか!
ジオラマもすばらしい。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています
梅雨明けがあまりに早く、暑さでもう秋まで歩けないのではと思っていたが、ギリギリ歩けるかもという予報になっていたので、思い切って歩きにう!と決意。
前回(正確には前々回)のゴール長久保には、同じく上田から8時15分のバスに乗る。なんと前回乗っていた人2名がまたもや乗っており、途中からは我々2人となった。
1時間後終点の長久保に到着。早速歩き始める。結構暑くなりそうな予感・・・
前回、一福処濱屋までは歩いた。4時を過ぎていたので中には入れなかったので、今回は中に入ってみる。
明治初期に旅籠として建てられたものの、中山道の交通量が減った為に開業されなかった。出梁造りの建物だ。
中は歴史民俗資料館となっている。
外にも顔出しパネルがあったのだが、おすへさん(真田幸村の娘)とたびまろ(その旦那さん)がイメージキャラクターのようだ。
2階には宿に関する展示がいろいろ。
2階から板の間を見たところ。
1階の展示。
土間。
斜め向かいは元旅籠のまるきや。
上から見ると、屋根に石がたくさん置かれているのが見える(石おき屋根)。
ここも中を見ることができる。
吾一庵は、江戸末期から明治初期の建物。兼農で馬も取り扱っていたとのこと。馬も土間を通って裏にある馬やへと出入りしていたそうだ。
お座敷。
2階には街道の資料の他、能面がたくさん展示されていたのだが、これはいったい??
この先で長久保宿を出る。
やがて鳥居が見えてきた。松尾神社の鳥居である。
中山道は松尾神社の中を通る。
松尾神社皇太神宮式年遷宮御柱。
樹齢200年の椹(さわら)。
拝殿。
裏の道を上ると舗装道路に出るが、向かいの畑の横の道を行くとショートカットでまた舗装道路に出られる。
しばらく進んでいくと原道の入り口がある。
こうした道は涼しく気持ちよい。
いつからある倒木だろう。苔、そして違う植物も生えている。
舗装道路に出てまた原道に入る・・・というのを繰り返す。
途中の馬頭観音とお地蔵様。
しだれ桜。推定樹齢150年。春はきれいでしょうね。
再び原道に入り・・・
ここで終了。この後は国道を進むことになる。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています同居人の富山出張みやげ。
ここのお酒はしばしば飲んでいるけれど、これははじめて。
冷やしておきました。
飲んでみると、はじめにちょっと渋みを感じた。
いや、これは辛みか。
辛口のお酒なんですね。
すっきり味でお料理は選ばない感じ。
後味もすーっと消えていく。
富山出張がまだあったら別のも求む!
よく買うワイン屋さんのセットに入っていた赤ワイン。
ボルドー、メドックのワインなのだが・・・
注いでみると、色がちょいやばそうな雰囲気を醸し出している・・・
2017年のだから若干古いとはいえ、まだ大丈夫のはず・・・
飲んでみると、うーん、ギリギリオッケーではあるけれど、やはりちょっと劣化してますかね~
もう少し前に巡り会いたかったです。
ご存じ、ミャウシリーズのシャルドネ。
このラベル好きなんですよね。
安いワインなので手軽に飲めます。シャルドネははじめて、多分・・・
注いでみると、少し黄色がかっている。
飲んでみると、すっきり辛口。酸味や渋みはそれほどでもなく、癖なく何にでもお料理はあいそうな感じだけど、まあお魚料理かな。
キューピッドのラベルが印象的なフランス、ボルドー・メドックの赤ワイン。
カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローが半々ずつ。
注いでみると、きれいな紫色。
飲んでみると、フルボディなんだけど、どちらかというとメルローの特色が少し強めかな。
ちょっと甘みがあって、まろやかな感じでした。
本日の本
book-8 『高い砦』 デズモンド・バグリィ著 ハヤカワ文庫
STORY:アンデスで飛行機が乗っ取られ不時着。生き残った者たちは麓を目指して山を下りるが、武装ゲリラが襲ってくる。武器もない中、知恵で乗り切っていく者たちだったが。
☆☆☆冒険小説。
いろいろなミステリーベストにあがってくる小説だったので気にはなっていたのだが、冒険小説は本では読まなかったので、これまでスルーしてきた。
が、五十音読書を進める中、「た」は「高い窓」かこれしか思いつかず、とうとう読んでみるかとなった次第。
いや、これが面白かった!
確かに1960年代に書かれた小説なのでちょっと古い感じはあるのだけど、そう気にはならない。
飛行機が山奥に不時着、大破し、数名が亡くなる中、生存したものたちのサバイバル物語になるわけなのだけど、前進すれば武装ゲリラが待ち受け、後ろは険しい山に阻まれる。
絶体絶命の生存者たちだが、これからがすごい、強い。
投石機や石弓など、お手製の武器を作り、突破していくのだ。そして、山越えをするチームも何の装備もない中、気力で突破していく。
それぞれがそれぞれの役割を果たす姿がかっこいい!
これ、絶対映画にしたら面白いと思うのだけど、いまだ映画化はされていないんですね。残念。
スペインの白ワイン。
品種はヴィウラだそう。はじめて聞いた気が?
と思ったら、カタルーニャではマカベウという品種で、リオハ、アラゴンあたりではヴィウラというそうな。カタールニャでは主にカヴァに使用されるんですね。なーるほど。
飲んでみると、柑橘系のほのかな香りで、辛口。
うんと冷やして飲むといいですね。
昨年もあった金麦の派生品。
夏限定なんですね。缶のデザインも涼しそう・・・暑いけど・・・
注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、うーん、当然ながらビールのようなコクはないですね。いや、そんなことは期待はしてませんでしたが。
苦みは少なく、やや甘さを感じるけれど、暑い日にぐぐっと飲むには適していそうだと思いました。
今年1月以来のコストコへ。
その前に多摩センター駅近くのジョナサンで昼食を。
クーポンがあったので・・・
頼んだのは盛岡冷麺。
暑いと冷たいものが食べたくなります。
お好みでコチュジャンだれをかけてくださいとのことだったが、かけなくてもおいしくいただける。途中、少しかけてみたが、結構辛い。甘さもあるけれど。
久々の冷麺でした~
東京都多摩市鶴牧1丁目19-2
その後コストコへ。
暑い一日だったけれど、コストコの中は、とっても涼しい!野菜室など寒いくらい。
結構混んでいて、通路など通りづらい場所もありました。
本日買ったもの。
はじめて買ったのは、揖保乃糸の冷やし中華、冷凍チヂミ、スープリゾット、ペイザンヌサラダキット、グリルソーセージセット。
サラダとソーセージは早速いただきました。
2019年からセブン&アイグループ限定で売られているホップ畑シリーズの第7弾。
どうも飲みそびれたのがいくつかありそうな??
第1弾も大角さんでこれは飲んだっけ?
第3弾の大角さん+1名のコラボビールは飲んだ記憶あるんだけど。
今回のホップはフラノスペシャルとフラノマジカル。マジカルは昨年品種登録されたばかりだそうだ。
注いでみると、それほど濃い色ではない。
飲んでみると、ホップの香りはそれほどではないかなと思ったけれど、飲んだあと、すーっと抜けていきますね。でもマイルド。
苦みもマイルドだけど、じわじわおいしいビール。
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