中山道六十九次歩き(第25回) 塩名田宿~岩村田宿~小田井宿~追分宿~沓掛宿~軽井沢駅2
(1より続き)
ちょっと寄り道、若宮八幡神社へ。鎌倉から勧請された神社。
鳥居はなくなってしまっており、寄付を募っていた。
寛政2年(1790)下仁田道常夜燈。
街道に戻り先を進むと中山道踏切があった。小海線をこえる。
この頃になると薄日が差し始めた。
佐久甲州街道(韮崎で甲州街道に合流)との分岐を過ぎ、相生町交差点を右折したところが岩村田宿の京方見附。
岩村田宿は内藤藩1万5千石の城下町。宿泊する諸大名はなく、本陣、脇本陣はなし。旅籠8軒。佐久甲州街道、下仁田街道、善光寺街道が交差することから商人町として栄えた。
宿は今はアーケード街となっている。
招き狐のタイルが歩道にある。
これは百姓の嫁が田植えの手伝いを友達に頼み、田植えは無事済んだものの狐であることがバレそうになり、百姓と息子を残して消えてしまった・・・との言い伝えに基づくものらしい。
承応2年(1653)創業の戸塚酒造により、寒竹を無事ゲット、和泉屋により、おやつとおみやげの和菓子を買う。
上を見ると数珠があった。ここは西念寺への入り口である。
知恩院の末寺だそう。
山門(実は向かいに5代目岩村田藩主内藤正国のお墓があったのだが気づかなかった・・・)。
12本の柱で支えらている楼門。
天井の四隅に天女が描かれている。
西念寺別時念仏会報恩塔、地蔵菩薩坐像の向こうに見える大銀杏。
本堂。
六地蔵。
先に進み龍雲寺にも寄る。
総門。上に武田菱が見える。
鎌倉時代に創建されたが、戦火のため荒れ果て、信玄が興隆した。その後、亡くなった信玄の遺骨が埋葬されたということから武田菱があるんですね。
山門(楼門)にも武田菱。
本堂にも武田菱。
街道に戻り少し進むと、善光寺街道の道標があった(レプリカ)。
小諸市四ツ谷で北国街道を合流する。
そういえば、洗馬宿からは善光寺西街道が分岐してましたっけ。
この道標の本物は住吉神社にある。享保20年(1735)の事故で破損したのを修復、ここに移された。
神社のご神木のケヤキは大きい。鳥居は両部鳥居。
享和2年(1802)の常夜燈。
十九夜塔、二十三夜塔など。
霊神碑、庚申塔、石祠、猿田彦大神など。
双体道祖神もある。
このあたりで岩村田宿を出る。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています
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