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2022/07/22

中山道六十九次歩き(第25回) 塩名田宿~岩村田宿~小田井宿~追分宿~沓掛宿~軽井沢駅5

(4より続き)

街道に戻る。

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高札場跡。

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旅籠油屋。脇本陣跡(その手前に本陣跡の表札があったらしいのだけどわからず)。
堀辰雄は、旅籠である油屋の 「つげの間」 で「風立ちぬ」 を執筆した。

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堀辰雄記念館の門は本陣の裏門を移築したものだそうだ。

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あずまやがあったので休憩。佐久で買ったお菓子を食べる。
鯉の一つはあんこ、もう一つはカスタードが入っている。

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精進橋を渡ったところで追分宿を出る。

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浅間神社には大きな芭蕉句碑があった。
「吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉」

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追分宿郷土館の前にはまたまたでっかい馬頭観音。3メートルあって軽井沢町最大の大きさだそうだ。

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道を上がっていくと追分一里塚がある。39里目。
両塚残っているのだが、片側のみしか見なかった(雨のせいということにしておこう)。

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国道に合流すると標高1003メートルの標識があった。どうりで涼しいはず・・・18度台になって涼しいというより寒い(雨でずぶ濡れになっていたこともあり)。

国道からまた旧道へ。
ここからいくつもの馬頭観音を見る。

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そして、やはり大きな馬頭観音も多く・・・このあたりは大きい馬頭観音を造った地域なんだろうか?
ここ、手前には竿石に馬が彫られた明治21年(1888)の石燈籠があった。

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高札場跡の隣に黄壁布屋。米問屋だった土屋家である。
ここは下仁田街道の分岐点である借宿だ。古い街並みが残っている。

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遠近宮(おちこちぐう)。
伊勢物語の主人公として登場する在原業平が詠んだ和歌から、
在原遠近宮と名前が改められたという。

下仁田道(姫街道・女街道ともいう・・・女性は関所を避けて裏街道をいくようになった)入り口の看板を通り過ぎ・・・

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4つほど馬頭観音を見る。

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二十三夜塔に馬頭観音。

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軽井沢町のカラー版のマンホールがあった。
噴煙を上げる浅間山と白樺の木である。

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沓掛宿に入ってきた。
安永2年(1773)の大火、そして天明3年(1783)の浅間山の大噴火
で壊滅的な被害を受け、現在地に移転。本陣1、脇本陣3、旅籠17。皇女和宮は追分の名を嫌いここ沓掛宿の土屋本陣に宿泊している。
1951年にも大火があり宿場の面影は残っていない。

当初は中軽井沢の駅から帰ろうかと思っていたが、なんとか軽井沢駅まで行けそうということで頑張ることにする。

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が、すごく時間的に余裕があるわけではないので、長倉神社の鳥居のところのみ撮影し、沓掛時次郎の碑を見にいくのはあきらめる。

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沓掛宿を出る。

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しなの鉄道の線路をくぐり、少し駅方面に歩いたところに宮之前一里塚跡碑があった。38里目。

雨の中、黙々と軽井沢駅に向かって歩く。街道はどんどん線路から離れていく・・・

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時間があったら寄ってみたかった近衛文麿別荘(市村記念館)。

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雨宮御殿。
伊藤博文をはじめ、政府、財界の大物がこの屋敷に宿泊したという。

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まだまだあった馬頭観音。

高級ホテルやレストランをいいなあと横目で見つつ、ひたすら歩く。さすがに足も疲れてきた。

六本辻でこの日の中山道は終了、駅へと向かう。

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ふー、ようやく到着。

おにぎりを買い、さて荷物を整理するかと思ったところ、頭から肩にかけてびしょ濡れだったことに気づく。タオル2枚でふいてもまだまだぐっしょり。
持ってきた折りたたみ傘は、風には強いというふれこみだったが、長時間の雨には対応していなかったようだ・・・

6時55分発の新幹線に乗り、大宮着が7時35分。
帰宅は8時半過ぎだった。

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おみやげは、佐久の戸塚酒造の寒竹と、和泉屋酒店の鯉ぐるま。

約55200歩。
これまで一番歩いたのが箱根町港から沼津まで歩いた時の約54800歩だったので記録更新!よく歩きました。

碓氷峠はヒルがあまり出ない時期に越えたいので、おそらく横川から一回先に歩くことになりそうです・・・

(完)

マップはこちらを使っています

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