中山道六十九次歩き(第24回) 長久保宿~芦田宿~望月宿~八幡宿~塩名田宿2
(1より続き)
立場茶屋絵のタイル。
往時はここに笠取峠名物三国一の力餅を商う小松屋があったとのこと。
現代の茶屋(峠之茶屋)前に小松屋跡の立て札がある。
長久保宿野釜鳴屋に版木が保存されているというのは、一福処濱屋の展示で見た。
ほどなく笠取峠到着。
スマホの標高ワーカーではかったところ、904.6メートルと出た。
峠の辺りは強い風が吹いて旅人の笠を吹き飛ばすことがあったことから、笠取峠と呼ばれるようになったという。
ここで、長和町から立科町へと入る。
笠取峠竣工記念碑。
ここからどんどん下っていく。
途中にあったのが笠取峠の一里塚(47里)。北塚が現存。
当時のアカマツが残っているとのことだったが、ちょっと枯れている?
浅間山が見えてきた。上の方は雲がかかってしまっているが・・・
そして、笠取峠の松並木も見えてきた。
慶長7年(1602)、幕府は中仙道の整備に着手し、小諸藩に赤松数百本が下付され、植栽したもの。
国道から離れてちょっとほっとする。
気持ちのよい道だ。
松並木は国道で分断されているが、その後も続く。
従是東小諸領と刻まれた榜示石。笠取峠までは幕府領で、東側は小諸領だった。
よく整備された公園で(ちょうど草刈りの最中だった)、牧水の歌碑や和宮降嫁行列のレリーフなどもある。
馬頭観音もいくつか。
編み笠を持った双体道祖神と馬頭観音。
芦田宿入り口交差点を渡った先に石打場公園がある。
石打場は石打の当て字で、「境界」または石敢当の意味があり、「災害除け」または防御示のための場所なのだそうだ。
正明寺。だいぶ前から本堂の赤い屋根が見えていた。
ささーっと本堂の下に入っていったのは狐の親子!その後ちらちら見えてはいたのだが、さすがすばしっこくて写真には撮れず・・・
紫雲の松。大きくて全部を写真に収めるのは大変!
馬頭観音。
敷地内には、古墳があるとのことだったが、どこだかわからなかった。
芦田宿に入ってきた。
本陣1、脇本陣2、旅籠6。小さな宿だが、笠取峠をひかえて休憩する旅人が多かったそうだ。和宮様も本陣で休憩している。
金丸土屋旅館。
出梁造り。
向かいは酢屋茂さん。酢の醸造から始まったが、今は味噌・醤油を売っているそうだ。お味噌のにおいがぷーんとしていた。
脇本陣跡を右折し、お昼を食べにいく。
ときん亭というお店である。だいぶ暑くなってきていたので、お店の中の涼しさにほっとする。
着席したときに、テレビから臨時ニュースが流れてきて、安倍元首相が銃撃されたという・・・驚き・・・
頼んだのは暑いけれど鳥南そば。
ブロッコリーなんかも入っている。汗をかいたので、つゆをついつい多めに飲んでしまった。
550円と実に良心的なお値段だ。
隣の建物のつばめの巣を撮影したあと(親鳥さんごめん)、街道に戻る。
本陣跡(土屋家)。問屋も兼ね、芦田宿の開祖でもあったそうだ。
向かいにはもう一軒の脇本陣跡がある。
芦田宿ふるさと交流館に寄る。
先ほどから見ていたマンホールのカラー版が入り口にあった。
蓼科山と女神湖、町の花すずらん。
いやー、立科町って南北に長細い町なんですね。
南北に26.4キロメートル、東西に9.9キロメートル、中央のくびれたところは53.5メートルとか!
ジオラマもすばらしい。
(3へ続く)
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