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2022/07/20

中山道六十九次歩き(第25回) 塩名田宿~岩村田宿~小田井宿~追分宿~沓掛宿~軽井沢駅3

(2より続き)

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行人塚。山伏や修験者の墓だそうで、千手観音、馬頭観音、地蔵菩薩などが並ぶ。

このあたりの県道はすぐ近くにインターがあるからか、チェーン店が並ぶ。
その中から昼食場所に選んだのはビッグボーイ。

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手ごねハンバーグセットを頼もうとしたら、同じ値段で、カニコロかフィッシュフライもついたセットの方がお得とすすめられて、カニコロもつける。
おなかいっぱいになり出発。

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少し進むと一里塚があった。鵜縄沢端一里塚、42里目。
どこが一里塚?と思ったら、この全体が大きな塚のようだ。周囲20メートル、高さ4メートルと大きい。

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皎月原。
用明天皇時代(586)にこの地に流された皎月という官女がいて、自らを白山大権現というようになり、時々小田井の原へ来て馬の輪乗りをし、その跡には草が生えなかったので、その所を皎月の輪と呼ぶようになったとのことである。

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皎月歌碑。
「むかしより かわらぬ影を うつしてや 月毛乃駒の 跡のみちしば」

小田井南交差点から旧道に入る。

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この日唯一の猫。

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白山比咩神社。

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十九夜と刻まれた観音像があった。

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双体道祖神も。

御代田町に入った。

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マンホールは、町の花ヤマユリ、浅間山の稜線と煙が描かれている。

ここが小田井宿の始まり。
小田井宿は飯盛り女がおらず、婦女子の宿泊が多いところから「姫の宿」と呼ばれた。
本陣1、脇本陣1、旅籠5。

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尾台家が勤めた下問屋場跡。
切妻造り、屋根は元板葺石置、三室続きの客室を備えている。

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旅籠大黒屋。元禄年間の建築様式。

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問屋跡(安川家住宅)。江戸後期のもの。切妻造り。

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本陣跡(安川家住宅)。
宝暦6年(1756)に大規模改修が行われ、その際の建築のまま残された客室部を良好に残しているそうである。また厠と湯殿は文久元年(1861)の和宮降嫁の際に修築されている。

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宝珠院に寄る。

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入り口にとてつもなく大きな馬頭観音が!

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お地蔵様。

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アカマツが大きい。元禄3年(1690)植樹。

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と思ったら、しだれ桜も立派だった推定樹齢300年だそう。

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久々に見た一石六地蔵。

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本堂。

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鐘楼。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています

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