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2022/09/25

日光街道歩き(第10回) 石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿~上戸祭2

(1より続き)

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寿鶴薬師堂。

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中には薬師如来を中心に、如意輪観音や地蔵菩薩など。

この先で昼食を。11時半。

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丸亀製麺にて、とろ玉うどんの温かいの。
ぱぱっと食事を済ませられるのがよろしい。
30分ほどで出発する。

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菅原神社。

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集会所の方が目立っているけれど、奥にちゃんと神社があるのだ。
もちろん?菅原道真を祀った神社だ。

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安政6年(1859)の石灯籠。

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一里という信号やら、バス停やら、踏切があるこのあたりに一里塚(江曽島の一里塚。西は桧、東は松)があったそうだが、東北本線が通ることになって壊されてしまっている。

しばらく行くと大きなケヤキがあるとのことだったが・・・

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うーん、どうやら枯れてしまったのかな?葉が全然ついていない。

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根元には石祠と鳥居があった。

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宇都宮市のマンホールは市の木いちょう。正直あまりおもしろくないけれど、餃子通りには餃子のデザインのがあるらしい!

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JR日光線を眼鏡橋で越えた。
このあたり、自動車関連のお店や工場が連なっている。

そして、不動前の信号のところで日光街道は左に入っていく。

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不動堂がある。

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お堂の中の不動明王。

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お堂の横には御大典記念道標があり、「左裁判所前に至る」、「正面東京に至る」、「右奥州街道及び日光街道」と刻まれている。
江戸時代の初め頃、宇都宮城主本多正純が日光街道と奥州街道をつけかえ、そのとき、旧奥州街道と奥州街道の分かれ目にあったのが、不動明王を祀った不動堂であったとのことだ。

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道沿いにはお花がいろいろ植えられていて、蒲生君平花街道と書かれていた。

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東武宇都宮線のガードをくぐると宇都宮宿であるが、明治2年建立の蒲生君平勅旌碑なるものもあった。
蒲生君平は、高山彦九郎、林子平とともに 「寛政の三奇人」 といわれた人で、一番知られているのは前方後円墳の名付け親であるということかも?

宇都宮宿は、宇都宮城の城下町として日光街道でもっとも栄えた。地名の由来に関しては、奥州攻めの源氏が戦勝を祈願した討つの宮とか、二荒山神社の別名宇都宮大名明神からきているといった説があるようだ。
本陣2、脇本陣2、旅籠42。

ここからお寺めぐりをする。

まずは台陽寺。

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供養塔の上にお釈迦様。

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子安地蔵尊。

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宇都宮城主戸田氏の守り地蔵尊だったという。

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山門。

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境内に入ると六地蔵がマスクをしていた。

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本堂。

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内陣。
このあとめぐることになるお寺の多くで内陣を見ることができたのは、どうやらお彼岸だったからではないかと思う。

(3へ続く)

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