中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅4
(3より続き)
やがて杉並木が見えてきた。
天保15年(1844)には732本あったが、現存するものは14本。昭和60年以降54本植えられたそうだが、いろいろな高さの杉が混在している。枯れているものもあって大丈夫だろうか・・・
案内板は切り株つき!
並木配水池の貯水塔には安政遠足之図が描かれている。
碓氷峠の熊野権現まで7里あまりを走る「安政のとおあし」は藩士の心身鍛錬のために始めたもので日本マラソンの起源と言われる。安政2年に実施された遠足には96名の藩士が参加したそうだ。
ホテルルートイン前の道祖神など。
新島襄旧宅(親の家で3週間ほどしか滞在していない)は、同行者が行ったことあるということでパス。
いよいよ安中宿に入ってきた(安中上野尻郵便局の敷地内の安中大木戸址の石柱は見逃す)。
永禄2年(1559)越後の安中忠政が安中城を築き、元和元年(1615)井伊直政の子井伊直勝が街並みを整備し安中宿ができた。本陣1、脇本陣2、旅籠17。
醤油醸造元の有田屋さん。
荷物に余裕があれば、小さなお醤油でも買って帰りたかったところだが、さすがにもう入らず、あきらめる。
向かいに便覧舎跡の碑。有田屋三代目投手湯浅治郎氏が明治五年に開設した日本で最初の私設図書館だが、明治20年の大火で建物は焼失、現在は碑が残るのみ。
少し進んで、街道からちょっと離れる。
蓮久寺の仁王門。
正面の妙光院に向かう手前で、お菓子の家あんなるお店に思わず吸い込まれる。安中ってお菓子やさんがおおいなあ。
ここで買い求めたのは、あん中さま。フィナンシェの中にあんこが入っているお菓子、有田屋さんのお醤油を使用したもの、さくら味、抹茶味を購入。
で、妙光院だが、ここも山門は仁王門だ。
仁王様。
本堂の彫刻がなかなかだ。
不動明王。
ここには、新島襄の祖父と弟の墓があった。
ここみたいに、たくさん案内板があるとわかりやすいですね。
ここで、安中市のカラーマンホールがあったので撮影。
市の木のスギ、市の花の梅が描かれている。
武家長屋(四軒長屋)が見えてきた。
チケットは、通りを挟んだ向こうの郡奉行役宅へと書いてあったので、まずはそちらへ。
長屋門を入る。
さあチケットをと思ったら、今武家長屋が改修中で見学は郡奉行役宅のみ。ただし無料で見られる。うーん残念だが仕方ない。
建物は曲がり屋になっている。
ということでボランティアガイドの方に説明していただく。やはり説明を聞くといろいろなことがわかっていいですね。
幕末から明治初年にかけて猪狩家が安中藩の郡奉行として住んでいたお屋敷で、子孫の方が安中市に寄贈したもの。
郡奉行とは安中藩の民政をつかさどる役職で、年貢の割り当てから徴収、お触れの通達、領内の治安・裁判などのたくさんの仕事をしていたとのこと。
上段の間。床の間がある。
お座敷。
古い大きなおひな様(享保雛)を見せていただく。
板ガラスは明治時代のもので手吹き円筒法で造られたものだそう。よく残ってるもんですねぇ。
お庭。真ん中の垣根はお茶だそうだ。
(5へ続く)
マップはこちらを使っています
« 中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅3 | トップページ | 中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅5 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋6(2024.05.04)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋5(2024.05.03)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4(2024.05.02)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3(2024.05.01)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2(2024.04.29)
« 中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅3 | トップページ | 中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅5 »
コメント