中山道六十九次歩き(第26回) 横川駅~松井田宿~安中宿~安中駅1
二ヶ月ぶりの中山道歩き。
前回、軽井沢まで歩いていて、本来なら碓氷峠を越えるところだけれど、まだまだ気温も高いし、ヒルが出るかも・・・
ということで、碓氷峠越えは来月にすることにして、横川駅からを先に歩くことにした。
いつもと同じ大宮発6時53分発の新幹線に乗り、高崎着7時17分。信越本線に乗り換え、横川駅着は8時3分。

なんと!横川に着いたら霧雨が降っているではありませんか。
元々曇りのち晴れという天気予報で、ただ、前日夜から昼まで濃霧注意報が出ていたのだった。まさか降るとは思っておらず、でも一応ザックカバーはもってきていたので、早速取り付ける。傘もモンベルのを買ったのでオッケー。
と思ったのだが、霧雨だと傘をさしていてもぬれるんですね。マップがぬれないように必死である。

改札を出ると正面にあったのがおぎのや。言わずと知れた釜飯のお店である。
資料館もあるのだが、残念ながら10時からなので寄れず。このお店が朝からやっていて、釜飯おにぎりでもゲットできたらよかったのだが・・・

ぐいぐい歩いて第十五中山道踏切を渡る。
今までも中山道踏切をさんざん渡ってきた気がするけどと思ったけれど、これまでは中「仙」道踏切だったかな。

国道から旧道に入ったところに、百合若大臣の足跡石なるものがあった。
昔、百合若大臣という大男の若者がいて、 向こうの山の首あたりを射貫いてみようと思いつき、力をこめて矢を射はなった。その時、後足を踏ん張っていたのがこの石だとのこと。確かにくぼんでますね。
家来の一人も負けじと弁当のむすびを力一杯放り投げ、山には二つの穴があいた・・・
ま、あくまでも伝承なんだろうけど・・・

先を進むといろいろな石造物。

宝暦4年(1754)の馬頭観音。

双体道祖神もある。

閉校になったという小学校の先で高墓踏切を渡る。
ちょうど横川からきた電車が通っていった。
高墓(こうはか)という地名だが、源頼朝が浅間山麓で巻狩を行った際、愛犬の高白が猿と戦って死んだのを埋葬したことに由来するという。

渡った先に碓氷神社がある。
頼朝が巻狩の際、碓氷神社の境内に御所を置いたところから、この地を御所平と呼ぶようになったのだそう。

神社の前には庚申塔と二十三夜塔。
やがて梨子の木集落の坂を上がっていく。

途中の馬頭観音1。

2(文政10年(1827)のもの)。

3。

彼岸花が咲き始めている。
こういうのんびりした道を歩くのは気持ちいい。
道が下り始める。

4体の石仏(お地蔵様3、馬頭観音1)があった。

一番右の背の高いお地蔵様の下に頭が!!
なんでも、昔、馬方が左右の荷のバランスをとる為に地蔵の頭を利用したが、用が済むと深谷の道ばたに捨てたのだが、夜毎五料恋しやと地蔵の頭が泣くため、里人が憐れみここに届けたのだそうだ。

手前にある石は茶釜石。
石でたたくと茶釜のような金属音がするというのでやってみたが、うーん、言われてみるとそのような??

坂を下りきって、榎踏切を渡る(よく踏切を渡る)。

双体道祖神の前をとおりすぎ、高札場跡を左折して(お東踏切を渡って)ちょっと寄り道。

五科の茶屋本陣である。
受付は「お西」の方にある。
おや?受付に人がいないなあとキョロキョロしていると「お東」の方から案内の方がやってきた。入場料210円を支払い、詳しく説明をしていただく。
五料の茶屋本陣は、「お西」「お東」ともに名主を勤めた中島家の屋敷で、天保7年(1836)から明治にかけて1年交代で茶屋本陣を営んでいた。中山道を参勤交代で往来する大名や公家の休憩所として利用されたという。

借景庭園(晴れていれば妙義山が見える。残念)。

外から、上段の間を見たところ。

中に入ったところが馬屋、台所。上がったところに囲炉裏がある。

下の間、中の間、上段の間。

上段の間は書院造りだ。

2階に上がることもでき、いろいろな展示がある。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
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