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2022年11月

2022/11/30

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿3

(2より続き)

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だるまいし。まあ見ようによっては達磨かなあ。

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洗心亭は、ナチ政権から逃れて日本にやってきた建築家ブルーノ・タウトが住んだ家である。
結構小さい。

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招福の鐘はついていただけますよと声をかけてもらい、せっかくなのでついてみる。
意外と難しいものである。

帰りは階段を降りる。上りだったら結構大変だったかも?

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総門は意外と新しい。摩伽羅が上に乗っている。

さて街道に戻って先を進む。

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達磨やさん(その後もいくつか見る)。ここ大門屋は創業100年。

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皇大神宮。

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射水神(いずみかみ)は大正9年の少林山の地滑りを伝えるもの。

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逆側にあるのが洪水記念之碑は明治43年の洪水被害の碑。

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藤塚一里塚(28里目)。群馬県で唯一残っている一里塚。

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向かい側には富士浅間神社がある。

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神社から降りたところで、高碕のマンホール発見。
高碕祭りの山車と花火がデザインされている。
そういえば、その後山車庫をいくつか見たのだった。

その先の交差点で、中山道は旧道に入る。

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上州櫓造りの家。このあたりも養蚕が盛んだったのだろうか。

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金ケ崎不動尊は、街道に背を向けているのでうっかり通りすぎそう・・

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文政6年(1823)の庚申塔と明和元年(1764)の道祖神。

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中にはちゃんと不動明王がいる。

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湯沢のお地蔵様。茶屋本陣を営んでいた飯野家が建立。

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その茶屋本陣は斜め前にある。せっかくなので見学していくことにする。

ボランティアガイドの方に説明していただく。時間が許せば是非解説をお願いしたいですね。

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上段の間。

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欄間。

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次の間。
茶屋本陣は主屋と接続する離れ座敷として増築されたものである。

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廊下も畳敷きで、ふすまも風情あり。背景は金か銀だったものがくすんでしまったそうだ。

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住まいの間には立派な神棚がある。

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お庭もよい。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/11/29

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿2

(1より続き)

ちょっとより道。長傳寺に寄る。

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山門は赤門。

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本堂。日光東照宮の造営に関わった者の彫刻があると描いてあったが、どこにあったのだろう?

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墓地の前にずらりと並んだ庚申塔(このあとも庚申塔をたくさん見ることになる)。

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二十二夜塔というのはあまり見ないかな?
と思ったら、群馬、埼玉ではよくあるらしい。

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板鼻二丁目交差点に道標があった。
正面は「やはたみち」(上野国一宮八幡宮)、右側面には「はるな、くさつ、河原湯、かねこ、沢たり、志ぶ川、みち」と彫られている。

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踏切を渡って進むと左手に庚申塔と地蔵尊、寒念仏塔。

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そのすぐ先に大きな双体道祖神があった。男性が杯を女性がひょうたんを持っている。このあたりが宿の江戸見附。

その先で国道に合流する。国道だと途端に面白みがなくなる・・・

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だいぶ進むと、かねつ橋供養塔があった。
板鼻宿の念仏講中が寒念仏供養で得た報謝金によって石橋を改修したものを、 その後破損したため享和二(1802)年、木嶋七郎左衛門がさらに改修し、その近くに供養記念塔を建てた、のだそうだ。
このあたりは寒念仏供養が多かったのだろうか。寒そう・・・

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高碕市に入る。達磨と観音!

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八幡八幡宮の大きな赤い鳥居があるが、ちょっと距離があるのでパス。

ここで寄り道。久々に達磨寺に行ってみる。

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鼻高橋を渡って向こう岸に行くのだが、橋にも達磨がいてさすが!

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で、橋から振り返るとまたまた浅間山が大きく見えていた。

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達磨寺到着。

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自販機も達磨!

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階段を上がっていく。

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本堂(霊符堂)。

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とにかく達磨だらけ!

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ん?達磨じゃないのも混じってる?

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本堂から振り返ると榛名山が見える。

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達磨堂の中には全国の達磨とか、玩具とかとにかく達磨づくしでとても楽しいのだけど、残念ながら撮影は禁止なんである。

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観音堂は茅葺き。

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ここから階段で降りていくと、途中に百庚申があった。

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百とあったけれど、実際は130ほどあるらしい。

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圧巻である。

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降りてから観音堂を見る。紅葉が美しい。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/11/28

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿1

約1ヶ月ぶりの中山道歩き。
前回は碓氷峠越えだったが、横川~安中まではすでにその前に歩いていたので、今回は安中駅からスタートである。

最近よく乗っている大宮駅6時53分発のはくたかで高碕へ。
早速、富士山が見えてご機嫌である。

高碕着7時17分、30分の信越本線に乗り換え、前回のゴール安中駅到着7時42分。
気温もまだ低く寒いので、ネックウォーマーをする。

前回、天気が悪くて山が見えなかった久芳橋に行ってみると・・・

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おお、今回はお天気がよく、雪をかぶった浅間山がきれいに見える。

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そして、妙義山と荒船山も・・・

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杉のレリーフのあるところから降りて少しだけ碓氷川沿いに進む。

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なんだかクリームのような浅間山だ。

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寛政10年の三面八臂寒念仏供養塔。。
このあたりに昔、仮土橋がかかっていたらしい。

蚕養神、道祖神のところで右に曲がると中宿(安中宿と板鼻宿の中間)で、静かな通りだ。

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進むと、庚申塔道標がある。
正面には「庚申塔」、左側面には「従是 一宮・大日 街道
」、右側面には「享和二壬戌九月吉日」と刻まれている。上野国一宮へ向かう道のようだ。

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公民館敷地にある中里一里塚跡(29里目)を通り過ぎ、川に突き当たる前(昔はこの先が渡し場だった)に右折、橋を渡る前に諏訪神社に寄る。

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ここには明治天皇御小休所腰掛石がある。
明治11年、北陸東海御巡幸の際、座った石だそうだ。

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庚申塔、御嶽山座生大権現。

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本殿と石祠群。

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ここでまた碓氷川を鷹之巣橋で渡るのだが、向こう岸にレンガでできた橋の台が見える。
当初、碓氷川は徒渡りだったが、しばしば川留めとなった。明和2年(1765)仮土橋が、明治16年には木橋が架けられた。その時に橋台である。

橋を渡る途中振り返ってみると・・・

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妙義山がきれいに見えた。

渡り終えて旧道に入る。

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鷹巣神社、依田六郎城址(依田六郎は武田信玄の家臣?)の石柱がある。聖徳太子塔、石灯籠などもある。
石橋も奥にあって、県道ができたたため、神社の入り口だけが残されているということらしい。

板鼻宿に入ってきた。
碓氷川の渡し場は、増水で川留めとなることが多く、旅人が宿に逗留するために宿場は繁盛した。又高崎宿が城下町で泊まるものが少ないこともあっての宿に泊まる旅人が多かったようだ。本陣1、脇本陣1、旅籠54。

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板鼻堰用水路。
板鼻地区から始まる全長約15キロの用水路のことで、農業用水路として今から約400年前に造られたもの。水がとても豊富。
かつては鯉の養殖が盛んだった。

ちょっと寄り道、大乗院を通って南窓寺へ。

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大乗院の階段の脇には庚申塔と青面塔があるが、青面塔には向かい合わせになった2匹の猿。2猿は日光街道の最後の方でも見たっけ。

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南窓寺は県道を越えて階段を上がったところにある。

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本堂。

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小野良佐栄重の墓。
伊能忠敬の測量に同行した人物で、寛政9年(1797)には板鼻に戻って和算塾を開き、多くの弟子を育てたとのこと。

街道に戻る。

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八坂神社跡は高札場だったところ。

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青面金剛、猿田彦大神、双体道祖神が並ぶ。
群馬に入っても結構双体道祖神があったりする。

向かいの板鼻公園はかつて牛宿があったところだそうだ。

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公民館前に「中仙道板鼻宿」碑がある(海音寺潮五郎)。
ここが本陣跡である。

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裏に和宮資料館があるが、これは本陣の書院の2部屋だけ移築し保存したもので、和宮が宿泊した部屋とのこと。
残念ながらまだ開館前だったので、中は見学できなかった。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/11/27

萬屋醸造店 春鶯囀 純米酒 あきざけ

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春鶯囀2本目。
あきざけとあるから、冷やおろしといってよいのかな?

やはり柔らかな、角のないお酒ですね。
少しだけ甘みがあって、まろやか。
これまたどんなお料理にもあいそう。

 

2022/11/26

上野:かつ楽 上野店

先日東京都美術館に行ったあとの昼食。
駅の方の戻ってきてみると、なんだかどこのお店も混んでいる模様・・・

いつものようにさくらテラスに行ってみると、やっぱりどのお店にも列が・・・
その中で一番列が短そうなとんかつのお店にて名前を書いて待つ。夏休みにも来たっけ。
思ったほど待たずに済んで頼んだのは・・・

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ワタクシはレディース定食。
かつ煮にしようかなと思っていたのに、チーズの文字をみてあっさり変更(笑)
ヒレカツ、チキンチーズ大葉巻、オクラカツ、かぼちゃカツのセット。女性が好きそうな感じ?だけど、もちろん男性も頼めるらしい。かぼちゃがほくほくだった。

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同居人のロースカツ定食。
ま、基本ですね。

ご飯、味噌汁、生卵お代わり自由ということで、ご飯が少なめなのがワタクシにはうれしい限り。卵がけご飯も食べてみたいけれど、そこまではたどり着かないだろうなあ。

東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス 3F

2022/11/25

【展覧会 岡本太郎】

art-24【展覧会 岡本太郎】 東京都美術館

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雨の中、岡本太郎の展覧会に行って参りました。

まず入場すると、地下一階は年代、絵画か立体作品をわけずに、これでもかというくらいに展示されているのが圧巻。

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まずは、岡本太郎のお墓にあるのと同じ作品が目に飛び込んでくる。

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立体作品では「河童」や「ノン」も好きなのだが、多分はじめて見たと思う「犬の植木鉢が」が気に入った。シュールだ。
青の手と赤の手もインパクトあり。対角線上に展示してあった。

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梵鐘は、お寺の依頼で作製したそうだが、これ、実際に吊すことになったのか・・・

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この時計欲しいな。

絵画はやはり、色が強烈で、これだけの数が並んでいたらおなかいっぱいになりそうなものだけど、そうでもないんですね。そして、これってどういう意味だろう、何が描かれているのだろうと考えてしまうので、一作品にかける時間がおのずの長くなる。

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「森の掟」(飛んでる!)、「重工業」(労働者の悲哀)など有名作品もよいのだけれど、今回のツボは

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「駄々っ子」。いやほんとに駄々っ子と、ニャロメみたいな犬がおもしろい。

この地下一階だけでも圧倒されたな。

第1章 “岡本太郎”誕生ーパリ時代ー
岡本太郎が、パリ時代に描いたと言われている三作があった。
らしさはあまりない感じもするのだけれど・・・どうなんだろう。

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「傷ましき腕」。これは何度か見ているけれど、生々しくてちょっと苦手。
この時代はよりシュルレアリスムに近いかな。

第2章 創造の孤独ー日本の文化を挑発するー
めずらしい作品があった。
徴兵されて描かされた「師団長の肖像」。ごく普通だけれど、どういう思いで描いたのだろう。

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「夜」。暗い絵だし、女性がナイフを持っているのが怖い。
「赤い兎」。黄色い方は狐??
「作家」。父親がモデルらしい。こんなかなあ。

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「樹人」。樹人が楽しそうに見える。

第3章 人間の根源ー呪力の魅惑ー
縄文土器や、民俗学の影響を受けた頃の作品。

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ちょっと作風が変わり、単純化されたり、サンスクリット文字のような作品があったり・・・
幾何学的要素が強くなった気がする。
何を表しているのかわからない作品も多い。

第4章 大衆の中の芸術
パブリックアートに力を入れるようになった太郎。
結構いろいろなところに作品があるんですね。
旧都庁舎の作品群とか、リアルタイムで見てみたかったなあ。

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椅子もいいけれど、ネクタイ!派手だ。
芸術は爆発だのCMもあの当時結構衝撃的だった。

第5章 ふたつの太陽ー《太陽の塔》と《明日の神話》ー

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岡本太郎といえば、なんといっても太陽の塔!不思議な塔だけれど、見ていて飽きない。
是非とも中を見学してみたいものだ。

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ミニチュアの生命の樹もあったが、いやー、これはおもしろい。

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そして渋谷駅の「明日への神話」の小さい版もあったが、これってそんなに古くからあったわけじゃないんですね。メキシコで描かれたものとは!

第6章 黒い眼の深淵ーつき抜けた孤独ー
晩年の作品はちょっと暗めで、テーマも若干わかりにくい気もするけれど・・・

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最後の作品の「雷人」の突き抜けた明るさに少々驚く。よくよく見ると気持ち悪いのだけど・・・

充実した展覧会でした。
岡本太郎ワールド、是非どうぞ。

2022/11/24

ジェフ・アボット『逃げる悪女』  

本日の本

book-14 『逃げる悪女』  ジェフ・アボット著  ハヤカワ・ミステリ文庫

STORY:モーズリー判事は幼い時に自分を捨てた母親を探していた。ついに見つけた母親はギャングになっており、組織のお金を盗んで逃走中。その金を狙って、ギャング、麻薬組織、恋人が追うが・・・

☆☆☆モーズリー判事シリーズ第3弾。
といっても、1作目も2作目も読んではいない。
ということで、途中からだとわからないかしら?と思ったけれど、それは大丈夫。

いろんな人物(全員変・・・)が入り乱れ、敵味方がわからないままストーリーは進行。なんだかどういう方向に進んでいくかわからないのだけど・・・
だましだまされ、ホントの悪はというと、なるほどねと。
ちょっといろんな要素を詰め込みすぎて渋滞してしまっているのが残念かな。

アメリカ的親子愛のサイドストーリーもあって、一瞬感動の場面もあるものの、最後はシニカル。

この作家さんの作品は図書館シリーズ以来で、好みとしては図書館の方かなあ。

2022/11/23

小澤酒造 澤乃井 純米生原酒しぼりたて無濾過中汲み

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いただきもののお酒。

しぼりたて!
というだけあって、かなりフレッシュ。
でも結構じわじわとうまみが来ておいしい。

これいいなあ。
来年も是非飲みたいものだ。

 

2022/11/22

ドロシー・L・セイヤーズ『ナイン・テイラーズ』 

本日の本

book-13 『ナイン・テイラーズ』 ドロシー・L・セイヤーズ著 創元推理文庫  

STORY:ある村の屋敷の主人が亡くなり、亡き妻と同じ墓に葬られることになったが、掘り返してみると、見知らぬ死体が埋まっていた。ピーター郷が呼ばれるが・・・

☆☆☆ピーター郷シリーズ第9弾。

以前、セイヤーズ作品は1作だけ読んだことがあるのだが、読みづらくてそれきりになっていた。
今回、五十音順読書ミステリー編で「な」はないかなと思ったら、この有名作品があったので読んでみた。

前よりは苦手意識がなかったかなと思うけれど、翻訳がちょっと・・・
大好きな訳者さんなんだけど、多分なまりを日本語的に再現してるのだろうと思ったけれど、うーん・・・

そして、やっぱり長いんですね。
さらに、ペダントリー的でちょっと冗長。もうちょっとそぎ落とした方が読みやすいのではないかなあ。

ミステリーとしては最後のおちがなるほどど思ったけれど、またしばらくセイヤーズは読まない気がする・・・

イギリス女流ミステリー本格作家のビッグ4では、やはり好きなのは圧倒的にクリスティー、続いてマージョリー・アリンガム、セイヤーズかな。ナイオ・マーシュはまだ一冊も読んでないのです。

2022/11/21

サッポロ 冬物語 SAPPORO 2022 LIMITED EDITION

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今年もこの季節がやってきた。
冬ビール系を先陣を切ったのは、冬物語。
1988年発売。ながく続いてますね。

注いでみると、やや濃いめの色。
飲んでみると、がっしりビール。
やや甘みもあるけれど、それを上回るしっかりとした苦みがあり、じんわりうまみも出てくる。

やはり毎年飲みたいビールである。

2022/11/20

ジョルジュ・デュブッフ ボジョレー ヌーヴォー

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ボジョレー第2弾。
これまた約倍の値段。つらい・・・
でもこれは毎年飲んでるので買わざるをえません。

注いでみると、やはりきれいな赤紫色。
飲んでみると、ピリピリ感はあるけれど、酸味はおさえぎみ。
香りはよく、ちょっと花のニュアンス。
まあまあいいんじゃないでしょうか。

しかし、記録的な不作ということで入荷が少なかったのは残念ですね。

2022/11/19

フランソワ・フッシェ ボジョレー・ヌーヴォー

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ボジョレー解禁日の木曜日。
ウキウキ、買いにスーパーに行ったのだが・・・

そもそもほとんど置いていない。
そして、聞いていたことではあるが、高い!!
倍以上のお値段。
一瞬ひるんだけれども、一年に一回だからと、2本購入した。

こちらは、毎年購入している西友のペットボトルのワイン。
去年までは3桁の値段で買えたのに・・・

注いでみると、きれいな赤紫色。
飲んでみると、ぴりり。酸味が結構強い。そののち、甘みがくる。
ぶどうジュース感はちょいあるけれど、ボジョレーだからまあこんなもんでしょう。

2022/11/18

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋6

(5より続き)

さああと少し。

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日光物産商会の建物は国登録有形文化財である。
明治36年、金谷ホテルの土産店として創業している。

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ちょうどきたバスはとてもレトロ!

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橋の手前右側に天海大僧正像。
天海は、徳川家に仕え、家康が亡くなると遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移して、東照宮の創建に尽くした日光山中興の恩人という。

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左側には板垣退助像。
戊辰戦争の時、彼は新政府軍の将として日光廟に立てこもった旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったのだそうだ。

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そして、ついに神橋が見えた!

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日光街道のゴール!!
水の色も紅葉も美しい。
さあ、駅に引き返そう。

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少し予定より早く到着できたので、帰り道観音寺に寄る。

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上に上がると、鉢石宿のまっすぐな街並みが見える。

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享和3年(1803)の草木塚供養塔。

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如意輪観音十九夜塔や鳥獣供養之塔など。

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五輪塔など。

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弘化4年(1847)再建の観音寺本堂。

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向こうの山も紅葉してますね。

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旧日光市庁舎。
外国人旅行者を対象したホテルとして大正時代に建てられましたが、ホテルとしては使われず、寮や市役所として利用されてきた。2018年新市庁舎に市役所の機能は移り、今年、旧日光市役所記念公園として整備された。
天守閣風の入母屋造である。

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湯沢屋で酒まんじゅうを買い・・・(これはおみやげ)

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東武日光駅前で、ゆばまんじゅうを買う。お茶をいただいて休憩。甘さ控えめでおいしい。

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JR日光駅到着。
大正元年に完成した洋館である。

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駅の中もちょっとレトロ。

東武の駅の方が圧倒的に人が多いが、ワタクシとしてはこちらの方が便利。ただ1時間に1本しかないので・・・

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5時19分の日光線に乗り、宇都宮駅到着は6時。
6時37分のやまびこに乗り、大宮着7時3分。

大宮で予定していたのより1本早い電車に乗ることができ、地元駅到着は8時前。いやーこの電車に乗れてよかった。でないと人身事故で電車がとまってしまったところだった・・・

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駅ビルで季節にぎり(サワラ柚子塩がおいしかった!)とビールで乾杯!!

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おみやげは、日光誉、たまり漬、綿半の一口羊羹、湯沢屋の酒まんじゅう。

約41300歩。

最後の方はバスを使用したが、ほとんどは電車に沿っての歩きだったので、交通の便はよく、気軽に歩けます。国道沿いが多く、見所が少なめの回もあったけれど、最後の杉並木は圧巻でした。

次回街道歩きは中山道の予定だけど、そのうち奥州街道も歩こうかな。

(完)

2022/11/17

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋5

(4より続き)

薬師堂から少し進むと国道119号線に合流する。
このあとしばらく、歩道がない区間もあってちょっと怖い。

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常夜燈があった。
生岡山王と刻まれている。寛政3年(1791)建立。

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生岡神社参道口を過ぎると、大きな杉がたくさん見えてくるが、こちらが並木太郎と呼ばれる杉(またもや、説明板がなくなっていたが、多分これだと思う)。
一番大きく美しい杉だという。幹回り5メートル以上、高さは40メートル弱。

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銀杏杉。根が銀杏の葉の形をしていることから呼ばれる。

杉並木がいったん終わる。

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ちょっと通り過ぎてしまい戻って撮影したのが、明治天皇七里御小休所跡碑。明治9年東北巡幸の帰途の休息場所となった。

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志度淵川に架かる筋違橋(川と街道が筋違い交わる)の手前に地蔵堂がある。

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筋違地蔵=麻疹地蔵といわれ、願をかけて筋違橋の橋下をくぐると麻疹が軽く済むと言われていたそうだ。

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再び杉並木へ。砂利道だ。

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抜けて、JR日光線の高架をくぐると、最後の杉並木。

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これにて長かった杉並木も終わりである。

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東武日光駅までくると急に人が多くなり、観光地だなあと思う。

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昭和28年から15年間運行されていた路面電車の展示があった。
この駅のあたりが、鉢石宿の木戸門だったところだ。
鉢石宿は、日光参詣が盛んになると発展した宿で、本陣2、脇本陣0、旅籠19。

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道はぐんぐん上がっていく。

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景観に配慮して、お店なども色を控えめにしたりしてるが、消防署もなんだか趣きがあったりして。

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龍蔵寺。
源頼朝の忠臣畠山重忠の子重慶が庵を建てたのが始まり。鎌倉幕府に謀反を企てたと誤解され首を斬られた重慶を弔うために寺が建てられたという。

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二十三夜尊の地蔵。

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裏に抜けるとあるのが稲荷神社。

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西行戻石なるものがある。
西行がこの巨石の上の少年にどこへ行くのか訪ねると、「冬萌きて夏枯れ草を刈りに行く」と、少年が麦刈の事を歌で答えたのに驚き、この地での歌比べは無理と悟り、男体山を遥拝して引き返したとの言い伝えがあるそうだ。

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西行歌碑。
「ながむながむ 散りなむことを きみも思へ くろ髪山に 花さきにけり」

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拝殿。

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二匹の猿が向かい合った庚申塔。

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このあたりはやはりこういうタイプの庚申塔なんですね。

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これは五輪塔が刻まれているのかな?

街道に戻って進む。

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山もずいぶんと近くなってきた。
残念ながら、本陣などは残っておらず、標柱などもない。

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地名の由来となった鉢石。
うーん、でも鉢を伏せた形?そうかな~

(6へ続く)

2022/11/16

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋4

(3より続き)

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ここの杉並木は水路が左右にあり、とてもよい雰囲気だ。

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高龗神社。

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たかお神社と読む。この字ははじめて見た気がする。
高龗神は水や雨を司る神様のようだ。
栃木県には結構この名前の神社があるらしく、今市のあたりでも15ほどあるようだ。

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手前は嘉永7年(1854)の常夜燈。

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神社のすぐ先にある石仏石塔群。
一番左は寛保3年(1743)の如意輪十九夜供養塔。

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このあたりの杉はどれも背が高く大きい。

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石垣の上に杉が植えられていて、車道は一段上にある。
瀬川一里塚(34里目)は見逃してしまった・・・
車道側に案内板があるらしいのだが・・・

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杉並木が途切れるところを右折すると古民家があった。
江戸時代名主だった旧江連家で、天保元年(1830)に建てられたものを移築した。

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その向こうに見えるのは、そばやさんの報徳庵だが、これは二宮尊徳の報徳仕法農家を復元したものである。

 

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旧江連家内部。

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庭。

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ここもまた紅葉がきれいだ。

街道に戻る。

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今市に入ってきてから、こういう思いやりベンチがたくさん置いてあって助かる。
日光仮面がここにも!

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杉並木がまた始まり、始まってすぐのところに大日如来堂がある。
境内には石造物がいろいろ。

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享和4年(1804)の十九夜塔の如意輪観音。

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左から寛保元年(1741)の十九夜塔の如意輪観音、延宝3年(1675)の石仏、弁財天、寛延3年(1750)の如意輪観音。

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気づくと、猫がこちらを見ていた。

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お堂の斜め前にあるのが、七本杉跡。
七本の杉の根がくっついて一株になったものだが、明治35年の暴風雨、大正3年の強風により折れ、その後老朽化が進み、昭和43年切られてしまった。切り株だけでも相当大きいことがわかる。

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この区間は土の道で車も通らず、快適に歩くことができる。杉もどれも立派である。

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この瘤はなんだろう?

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砲弾打込杉なるものがあった。
明治戊辰の役に、官軍が日光に拠る幕府軍を攻撃した際、西軍が発砲した砲弾が杉の木に当たり、幹が損傷している。

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薬師堂。
青雲山竜蔵寺という寺があったと云われているところ。

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お堂の入り口に石の釣り鐘が置いてある。
お金がなく、金属製の釣鐘を造ることが出来ないため石の釣鐘を造ったが、重みで竜頭が壊れ、ここに放置されているらしい。

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如意輪観音十九夜塔がずらりと並ぶ。

(5へ続く)

2022/11/15

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋3

(2より続き)

如来寺にも寄る。
三代将軍家光が東照宮造営のために御殿を建設しここに逗留したところで、二宮尊徳の葬儀もここで行われた。

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山門。

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化け桜。樹齢200年以上。

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観音堂。

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本堂。

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地蔵堂。鎌倉時代に二位の禅尼(北条政子)が、安達盛長に日光山へ奉納するため運ばせた途中、此の地で車が動かなくなったという地蔵菩薩立像(車止め地蔵)が安置されている。ガラスが反射して中の撮影はできず。

戊辰役戦死者供養塔があるとのことだったが見つけられなかった。

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街道に戻ったところで、日光仮面(!)の汚水桝の蓋を発見。
日光仮面、メタボな中年ヒーローですって(笑)
どうりでずんぐりむっくりなわけですね。

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今年3月をもって閉場となった今市宿市縁ひろばは脇本陣跡。

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明治天皇御小休之蹟碑があった。

浄泉寺に寄る。家光移葬の折りに棺が安置されたところだが、天明2年(1782)の大火で焼失し、現在は薬師堂だけが残る。

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薬師堂。

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庚申塔など。

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2匹の猿が向かい合っている庚申塔。この後もこの庚申塔を見ることとなる。

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奥にあるのはそば喰い稲荷。
二宮尊徳の子弥太郎が文久2年(1862)に寄進したが、戦乱に遭い消滅、その後、弥太郎の子金之亟・延之輔等によって復興した。金之亟の妹が夜泣きするので、そばを献上し、祈願したら直ちに治ったことから「そば喰稲荷」と云われるようになったのだそう。

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すぐ先にまた杉並木が出現するのだが、その角にあるのが瀧尾神社。天応2年(782)の創建、今市宿の総鎮守である。

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天保7年(1836)の狛犬。

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叶願橋の石碑が建つ神橋を渡る。

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拝殿。

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天皇陛下即位十年記念の恵比寿神・弁財天・大黒神があった。

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またまた杉並木街道を行く。

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堰のあるところを曲がっていくと・・・

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トーテムポールのようなものが?

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水車が見える。紅葉がきれいだ。

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朝鮮通信使今市客館跡碑。江戸幕府に最初の朝鮮通信使が来日して400年になるのを記念して造られた。

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水車は重連水車で、直径4m50㎝、幅80㎝。

(4へ続く)

2022/11/14

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋2

(1より続き)

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先を進むと、第一接合井があった。ここはだいぶ新しい感じだ。

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七本桜の交差点を越えて、また杉並木に入る。

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東武日光線の下をくぐる。
しばらく進んで小倉歩道橋を越えると、国道119号線に合流、そこにあるのが追分地蔵尊である。

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日光例幣使街道との追分にあることから、追分地蔵尊の名がある。

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二十三夜尊とくさ地蔵尊の覆屋がある。

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くさ地蔵様。

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追分地蔵尊、大きい!高さ2.9m・肩幅1.4m。
なんでも石工が、大谷川の中に眠る安山岩石にのみを当て削りだしたときに(背中にのみの跡があるらしい)、何か血のような赤いものが出てきたので、これはただごとでないということで、全体を掘り起こしてみると地蔵尊だった。 早速、村人達を呼び寄せて今市の地に運んだところこの三角の道筋で急にこの地蔵動かなくなってしまった。
ところが、如来寺に移したところ、お地蔵様の泣き声が聞こえる様になり、村人達は「このお地蔵様は日光の含満ヶ渕の親地蔵で、洪水で流されて来たのだろう」と、日光の見える元の追分に戻し、日光に向けてここに安置した、そうである。

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左右に小さなお地蔵様が並んでいる。

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こちらは例幣使街道の杉並木だ。いつかここも歩いてみたい。

さて、今市宿に入ってきた。
今市宿は例幣使街道と会津西街道の追分であり、大いににぎわった。本陣1、脇本陣1、旅籠21。

まずは道の駅 「日光街道ニコニコ本陣」に寄る。
ここにあるそばやさんでお昼を食べることにしていたのだが、まだ11時前。
ということで、おみやげを先に物色。そうこうしているうちに11時近くになり、開店までお店の前で待つ。

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頼んだのは、ゆば入りちたけそば。
ちたけは栃木県でよく食べられるきのこらしいのが、多分食べたのははじめて。茄子と炒めて食べることが多いと聞いていたが、このおそばもそうだった。独特の香りでおいしい。

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ついつい道の駅に突進してしまったが、通りを挟んだ向かい側には日光誉を醸す酒蔵、渡邊佐平商店がある(おみやげには、純米吟醸を買った)。

すぐ先の鹿沼信金のところが本陣跡らしいが、特に標柱などはなさそうだ。

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報徳二宮神社に寄る。

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拝殿。

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二宮金次郎の像。

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よくよく見ると、拝殿の前にも二宮金次郎が!

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裏手には、二宮尊徳のお墓がある。尊徳は安政3年(1856)報徳役所にて七十歳で亡くなっている。
二宮尊徳は墓を造らないよう遺言したが、是非建てるべきとの声があり、未亡人の意思を伺って建立したとのことである。

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手水舎に花が飾られていてきれいだ。

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ここにも。

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これ、ハートに見えますね。

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ペット長寿祈願なんてあるよと写真を撮っていたら・・・

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向こうに猫がいた。

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あちらにも。

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うなりあう猫たち。背中がハート!


(3へ続く)

2022/11/13

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋1

ついに日光街道も最終回。
中山道も歩きたいが、先に日光街道を終わらせることにした。

前回と同じく、大宮6時37分発のつばさに乗り、宇都宮到着7時。
7時17分の日光東照宮行きのバスに乗る。
前回と同じバスなのだが、前回ははじめて宇都宮で霜が降りた日でとっても寒かったので、今回もしっかり着込んできた(が、前回よりは暖かかった)。

きっと遅れるだろうと思っていたバスは案の定遅れ・・・

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20分以上遅れて上水無に8時35分すぎに到着。早速歩き始める。

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昨年バイパスが出来、バス停4つ位置が変わり、旧道はどうやら通行止めらしいので、しばらくはバイパスを歩いていく。杉並木は外からの見学だ。

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天気がとてもよく、男体山と女峰山がきれいに見える。

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第二接合井が、杉並木の中に見えている。

下森友北の交差点で左折、本来の道に復帰する。
下森友は大沢宿と今市宿の中間地点で立場があったところだ。

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来迎寺に寄る。永正14年(1517)創建。

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山門。

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参道には如意輪観音十九夜塔があり、右から2番目が享保21年(1736)のもの。

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本堂。

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内陣。ご本尊は阿弥陀如来である。

森友の交差点で右折、瀧尾神社へ。

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途中、いまいちの水というのがあった。今市は水のおいしいところらしい。カップを持っていなかったので飲めなかったのが残念だ。

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瀧尾神社は、建長4年(1242)森脇の地に祠を健立し、田心姫命(たごりひめのみこと)を祭神に奉斎されたことが始まりと言われ、大正5年遷座。

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拝殿には縁結び、子宝祈願の大注連縄がかけられている。

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おがたまの木(芸能成就のご神木とか)。

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こんな葉っぱなんですね。

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三春の瀧桜。三春の瀧桜の子供という。

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安産子宝祈願の腰掛石。

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街道に戻り、杉並木の道に入っていく。

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根元から何本かに分かれた杉が多い。

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これは4本?

標柱を見逃してしまったのか、桜杉(杉と桜が一体化してしまった)はわからず・・・

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一瞬通り過ぎそうになったけれど、いわゆる「並木ホテル」は気づいた(ここも前は説明札があったようだけれどなくなっていた)。

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確かに大きな空洞があり、中はすすけている。

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反対側から見たところ。

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ここ、実は一里塚(七本桜一里塚)なんですね。33里目。

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南の塚はよくわからなかったけれど、このあたりかな?

(2へ続く)

キリン 本麒麟 香りの舞

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本麒麟の派生品。
本麒麟といえば赤の缶が印象的だけれど、これは綠。
はてしてどうか。

注いでみると、まずまず濃い色。
飲んでみると、ホップが香る。なんでも国産ホップIBUKI使用とのことで、新ジャンルとしては香りがするほう。ホップがいい香りなのでしょう。
しかし、味はというとはじめ苦みを感じるものの、最後は甘みを感じて、やっぱりビールではないなと思いましいた。

2022/11/11

牧野酒造 大盃 桶五十三号

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いただきもののお酒。
何度か飲んだことのある大盃だが、桶に番号がついてる?
貯蔵タンクの番号なんですね。
毎年、番号が替わるのかしらん。

飲んでみると、純米原酒というわりには、それほどがっつり系ではなく、意外なほどあっさりめ。するっと入っていくお酒でした。

2022/11/10

シャトー勝沼 菱山甲州

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先日、山梨ドライブをした際に買ってきたワイン。
やはり、山梨といえば甲州種でしょってことで、購入。

飲んでみると、ちょっとピリッときますね。
で、ちょうどいい酸味で、おいしい。

白というと魚というイメージだけれど、肉でもいけます。

2022/11/09

キリン 一番搾り とれたてホップ生ビール 2022年収穫

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今年もこの季節がやってきました。19年目とか。
遠野の生ホップ使用だそう。

注いでみると、若干薄めの色。
飲んでみると、うーん、みずみずしくフレッシュですね。
でも、最後にきゅーっと苦みがきて、おいしい。

来年も期待!

2022/11/08

キリン ファミマル グランドタイム

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ファミマのプライベートブランド、ファミマルの製品。

注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、うーん、やっぱり変な香りですね。第三のビールだから。
度数がやや高めなので、ガツンと強い感じはあるのだけど、最後に残るのが甘みで、ちょっと気になりますね。

2022/11/07

ヤッホーブルーイング 前略 好みなんて聞いてないぜSORRY うま味一番だしアロマ仕立て ホワイトIPA

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やたら長い名前のビール。
前略のシリーズでは前回入手したセッション柚子エール ~あら塩仕立てで玉砕したので、ちょっと心配・・・
ということで、たくさん買わないようにした。

注いでみると、やや濁りのあるホワイトビールという感じの色。
飲んでみると、コリアンダーとか柑橘系とかホワイトビールらしい香り。

けれど、心配されたかつおだしの味はまったく感じなかった。
これはいいかも。

2022/11/06

中村橋:中国家常菜 同心房 中村橋店

練馬区立美術館に行った後の昼食。

中村橋、中華料理やさんが多いんですね。

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ということで、前に入ったのとは別の中華屋さんへ。

定食メニュー豊富で安く、大いに迷った末・・・

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選んだのは鉄板棒餃子定食。
あちちちち。
鉄板でじゅーじゅーまだいっているだけあって、熱い。
特に一口目が・・・
プチやけどしてしまったけれど、おいしい。

デザートの杏仁豆腐もおいしかった。

定食にはご飯が必ずつくということで、麺についているらしかったけれど、チャーハンにさすがにご飯はつかないよね?


東京都練馬区中村北3-23-6 2階

2022/11/05

【日本の中のマネ展】

art-23【日本の中のマネ展】 練馬区立美術館

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マネが日本でどのように受容されていったか、日本にどれくらいマネの作品があるか、マネを現代のアーティストがどう考えるか・・・
というマネづくしの展覧会に行って参りました。
最終日だったので、少々混んでいましたね。

第1章 クールベと印象派のはざまで
まずは、マネに影響を与えた画家、同時代の画家、マネが影響を与えた画家たちの作品。
マネが日本で初めて紹介されたときは印象派とされていたそうだけれど・・・マネって印象派展には一度も出品はしていないのだ。
クールベ、セザンヌ、ピサロ、シスレー、モネ、ルノワール、ドガ。この中ではシスレーとモネが好き。クールベも迫力があって素晴らしい。
すべて日本にある作品だけれど、カサットの絵は見るのがはじめてかも?

第2章 日本所在のマネ作品
日本にあるマネの油彩、パステル画はたった17点だそうだ。そんなに少ないのか・・・
その中の10点の展示があった(あとは、版画多数)。
「スペインの舞踏家」、「サラマンカの学生たち」、「杖をもつ男」は、スペインの影響が大きい作品。ベラスケスの影響ですね。
版画作品にもそうした作品が多く、結構見応えあり。今まで版画はあまり見たことがなかったかも?
肖像画の「イザベル・ルモニエ嬢の肖像」。わりとラフな感じ。
「散歩(ガンピー夫人)」は、印象がベルト・モリゾ。どうやらモデルはモリゾの親戚とか。
一番、今回気に入ったのは「白菊の図」。ジャポニズムの影響大の扇絵。
版画作品では、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」の挿絵がよい。雰囲気にあってるなと。

第3章 日本におけるマネ受容
マネの影響を受けた日本の画家たちの作品の展示。
石井柏亭「草上の小憩」。これはヌードじゃないけれど、草上の昼食だ!描き方は印象派だけど。
村山槐多の「日曜の遊び」。一瞬、これはセザンヌの影響かと思ったけれど、奥の人たちは草上の昼食だ。
でも安井曾太郎「水浴裸婦」は、セザンヌとルノワールっぽいなあ。
熊岡美彦「裸体」はオランピアの影響・・・というけれど、向き違うしなあ。
むしろ片岡銀蔵「融和」の方がオランピアだと思う。ゴーギャンぽくもある。
小磯良平「斉唱」は人物の描き方がマネっぽい。

第4章 現代のマネ解釈 - 森村泰昌と福田美蘭
しかし、最終章で全部もって行かれた感じ。
森村泰昌は、「笛を吹く少年」、「フォリー=ベルジェールのバー」、「オランピア」のパロディ。なりきりぶりがすごいなといつも思う。ついつい笑ってしまう。
が、今回一番すごかったのは福田美蘭だ。
「帽子を被った男性から見た草上の二人」。その視点から描くとこうなるのか~と。描き方もまるでマネだ。
新作も8点あった。
草上の昼食で「一富士二鷹三茄子」を無理矢理見つけてみたり・・・
マネがやったように絵を切断してみたり・・・
「ミュージアムショップのマネ」は、都内の美術館でマネのグッズを集めたけれど、あまりなくて、隅に寄せて描いたら余白が大きいという・・・なんか悲しい絵だ。
そして「LEGO Flower Bouquet」。マネの「花瓶の苔バラ」をモチーフにしているのだが、マネがサロンに出品することにこだわったことも真似て日展に出品したという・・・結局落選して、最後にまた展示されたわけですが。
いやー、おもしろい。

おもしろい視点の展覧会でした。
(すでに展覧会は終了しています。)

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2022/11/04

日光街道歩き(第11回) 上戸祭~徳次郎宿~大沢宿~水無4

(3より続き)

山口の交差点の先から道は二又に分かれ、右に行くのが旧日光街道。

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分かれてすぐに並木寄進碑があった。
徳川三代につかえた松平正綱が杉並木を植栽して東照宮に寄進した。

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ここから杉並木が始まる。静かな道だ。

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大沢の交差点でまた道は合流、すぐ先にあったのが王子神社。

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境内には推定樹齢240年の大イチョウがあった。

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安政7年(1860)の阿形の狛犬、元文元年(1736)の石燈籠(左)と元禄12年(1699)の石燈籠(右)。

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境内舎の愛宕神社。

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さて、また杉並木に入ってきた。

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車が入れない杉並木だ。

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第三接合井。

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水無一里塚。西塚。

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東塚。32里目。

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地蔵堂があった。

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一石六地蔵、寒念仏供養塔の地蔵菩薩、十九夜塔の如意輪観音、享保15年(1730)の寒念仏供養塔、念仏供養塔、馬頭観音。

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念仏供養塔・地蔵菩薩・如意輪観音など。

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地蔵堂の中には延命地蔵菩薩がいらした。

さらに道を進むと、???
通行止めになるという看板が。
え???この先のバス停から帰ろうと思ったのにどういうこと??
あせる。

が、どうやら新バイパスができて、バス停も昨年秋に変わったらしい。

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稲穂を見る。まだ刈り入れがすんでないのかな・・・

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ふと見ると幻日が!

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というところで、上水無のバス停で歩き終了とする。

ところがなかなかバスがこない。
7分遅れでやってきたバスは、さらに遅れに遅れ・・・
新幹線に乗り遅れないか心配になる。
結局20分遅れで宇都宮駅到着。
おみやげを買う間もなく、5時59分発のつばさに乗り込む。

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大宮駅で、前々から買ってみたかった十万石まんじゅうを買い込み、その後は順調に地元駅到着。

いつものお店で飲む。
お通しは栗のしらあえ、さつま揚げ入り筑前煮。

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白エビの刺身、米なすのチーズ焼き、八角の塩焼き、骨煎餅、ほたてバターの炊き込みご飯。
お酒は瓶ビールのあとは、日本酒瑠華。

帰宅は9時すぎだった。

約47000歩。思ったより歩きました。

次回はゴール予定です。

(完)

2022/11/03

日光街道歩き(第11回) 上戸祭~徳次郎宿~大沢宿~水無3

(2より続き)

1setugou

街道に戻って進むと、第五接合井があった。

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馬力神(神道系の馬頭観音)。

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そろそろリンゴのシーズンなのか、お店がいくつか出ていた。

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石那田八坂神社拝殿。

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天王祭の際に繰り出す、彫刻屋台見てみたいなあ。

本殿はちょっと遠いのでパスすることにして先を進む。

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このあたりからまた並木道となり、歩道は一段高いところを通る。

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かわいらしい馬頭観音。

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りんご畑。何種類かあるようだ。

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男体山も徐々に大きく見え始めている。

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石那田バス停の先の青面金剛庚申塔(両サイドは何かわからず)。

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大谷石の蔵3。

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蔵4。

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ちっちゃな積みわらとリンゴ畑。

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りんご、おいしそう!

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松本バス停の先にお願い地蔵があった。
享保15年(1730)八代将軍吉宗公時代疫病が流行し、住民が苦しんだ時、地域の人々により石仏が造られ、人体の悪い所と石仏の同じところに赤い布を付けてお願いすると不思議に治ったことから 「お願い地蔵」 と呼ぶようになったという。

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三個の丸石のうち、一つを持ち上げて軽ければ願いが叶うとも言われ、占い地蔵とも呼ばれている。
真ん中の石は、軽々持ち上げられました!

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新渡神社。

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参道口には文化7年(1810)の御神燈がある。

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神社斜め向こうにあるのが上小池の一里塚。31里目。南塚のみ現存。
なのだが、説明板や石柱がなく、一瞬わからなかった。

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とうとう、日光市に入った!

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第四接合井。

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稲孫だろうか。

(4へ続く)

2022/11/02

日光街道歩き(第11回) 上戸祭~徳次郎宿~大沢宿~水無2

(1より続き)

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下町薬師堂の山門。
切妻の屋根を乗せた棟門で、柱と屋根には徳次郎石が用いられている。

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薬師堂。入母屋風の二重屋根となっている。

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覆屋内には、一石六地蔵、文久3年(1863)の十九夜塔、「右ハ山道 左ハ氏家・白沢道」と刻まれた文化元年(1804)の三面六臂の馬頭観音があった。

すぐ先が徳次郎の交差点で、そこにあるバーミヤンでお昼をと思っていたのだが、まだ10時半前。

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ということで、先に左折したところにある痣地蔵へ。

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お地蔵様。
土の中から掘り出されたお地蔵様で、痣や疣が治る・・・らしい。

運試しの狛犬があるという神明宮も寄ろうと思ったのだが、思ったより遠く道がよくわからないので断念。

ちょっと早いが、お昼にする。

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頼んだのは台湾雲呑。
ネコちゃんロボットが運ぶこともございますと言われたのだけど、運んでくれたのは人(笑)。そのロボットも見てみたいなあ。
雲呑は、八角が効いていてスパイシーだった。

30分ほどで出発。

中徳次郎宿の跡を通り過ぎたあとに、大きな木が見えてきた。

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智賀都神社である。

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参道口の木は、長寿の夫婦ケヤキで推定樹齢700年。

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拝殿。

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少し進むと、徳次郎六本杉が復元されている・・・と書かれていたが、2本しかなかった。枯れてしまったのだろうか。

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ちょっと寄り道。二宮堰に行ってみることにする。

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現代の堰。

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二宮堰(宝木用水)は、二宮尊徳が設計、弟子が村人を指導して造られた。田川から水を引き、徳次郎と宝木地区を経て、宇都宮まで流れている。

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水明宮。

街道に戻る。

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徳次郎上町屋台庫。
屋台は徳次郎の6地区でそれぞれ保存されており、智賀都神社の夏祭りで町内を練り歩くという。

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徳次郎宿を出るあたりから、男体山と女峰山が見えてきた。
下の方に少し雲がかかっているかな・・・

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石那田の一里塚は北塚のみ現存。30里目。

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向かいには日光街道植樹記念碑がある。
宇都宮市上戸祭町より今市山口まで、昭和26年4月山ざくら1300本、つつじ1500株、昭和30年5月山ざくら500本、つつじ350株、かえで200本が植えられたのだそうだ。

石那田堰にも寄ってみる。

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右折すると、覆屋の中に如意輪観音十九夜塔と地蔵があった。ここにも大谷石が使われている。

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田川に行き当たる。

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土手に二宮金次郎の像があった。

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その他、徳次郎用水堰護岸工事竣工記念碑、移築記念碑、大堰竣工記念碑などがあった。

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ここもまた二宮金次郎の指揮のもと、田川から取水するための堰が造られたのである。


(3へ続く)

2022/11/01

日光街道歩き(第11回) 上戸祭~徳次郎宿~大沢宿~水無1

中山道は先日の碓氷峠越えで一段落。日光街道を歩きます。

4時半起きで出かける。このシーズン一番の冷え込みで寒い。冬用のズボンに、薄いセーター、ライトダウンを着てお出かけ。

元々もう一本遅い新幹線に乗ろうと思っていたのだが、予約した時期が遅く満席。やむなく、6時37分発のつばさを予約。山形新幹線は乗るの初めて。座席は2-2、7両編成と短い。全席指定席。
大宮から宇都宮はたった23分なので、ささっと朝食を済ませる。

宇都宮7時着。霜が降りるような気候で寒い。
寒い中バスを待つ。まあでも早く並んだおかげで座れてよかった。途中まで結構な混雑だった。

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バスは20分ほど遅れて、前回のゴール上戸祭小入口に到着。

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交差点を渡ると、並木道が始まる。
桜が基本だが、他の木もある。

ふと気づくと上戸祭の一里塚を通り過ぎてしまっていて、慌てて戻って撮影。

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東塚。

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西塚。
両方、現存しているが、昭和58年、一部修復されている。28里目。

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歩道は車道より一段上がったところにあり、気持ちよく歩ける。

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大谷石を使った蔵1(この後もたくさん見ることとなる)。

光明寺に寄る。
将軍の日光社参のおりには、境内に御茶屋がもうけられたという。

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山門は鐘楼門となっている。

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立派な門だ。

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小さな静桜が数本あった。
奥州に落ち延びた義経を追う静御前(ここ野沢の地にて義経の討ち死にを知り、自らも病で亡くなった)が携えてきた杖をさしたところ根付いた、という。一枝に八重と一重の花が咲くそうだ。

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ぼけ封じ観音。

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ビルマの鐘。

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宝暦7年(1757)の宝篋印塔。

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本堂。

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内陣。

先を進む。

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大谷石の蔵2。

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再び並木道を進むが、竹もある。

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太い杉も増えてきた。

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紅葉には少し早いだろうか。

高野林の一里塚も現存。29里目。

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西塚は原型を残している。桧と桜だ。

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東塚は昭和58年に修復されている。

レンガ造りのおもしろい建物が見えてきた。

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宇都宮市水道の第六号接合井だ。
今市浄水場で浄水した水を戸祭配水場まで送る際、送水管にかかる水圧を弱めるための施設である。
壱号~六号まであるが、ここだけが当時のままの姿を残す。登録有形文化財であり、土木学会建築土木遺産でもある。

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徳次郎(とくじら)宿に入ってきた。
日光に大きな勢力をもっていた久次郎(くじら)一族が、 奈良時代末期に日光二荒山神社からご神体を智賀都(ちかつ)神社に勧請した際、日光の宗家久次郎に対し外久次郎(そとくじら)と称したのが始まりである。
上、中、下の三宿で一宿であり、問屋は上10日が中徳次郎、中10日が上徳次郎、下10日が下徳次郎が勤めた。本陣2、仮本陣1、脇本陣3、仮脇本陣1、旅籠72。
以前は、宿命はとくじらでも行政的にはとくじろうとされていたが、今ではとくじらに統一されている。

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このような説明板が随所にあったが、ほんの2年前に造られたもので新しい。

(2へ続く)

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