日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋4
(3より続き)

ここの杉並木は水路が左右にあり、とてもよい雰囲気だ。

高龗神社。

たかお神社と読む。この字ははじめて見た気がする。
高龗神は水や雨を司る神様のようだ。
栃木県には結構この名前の神社があるらしく、今市のあたりでも15ほどあるようだ。

手前は嘉永7年(1854)の常夜燈。

神社のすぐ先にある石仏石塔群。
一番左は寛保3年(1743)の如意輪十九夜供養塔。

このあたりの杉はどれも背が高く大きい。

石垣の上に杉が植えられていて、車道は一段上にある。
瀬川一里塚(34里目)は見逃してしまった・・・
車道側に案内板があるらしいのだが・・・

杉並木が途切れるところを右折すると古民家があった。
江戸時代名主だった旧江連家で、天保元年(1830)に建てられたものを移築した。

その向こうに見えるのは、そばやさんの報徳庵だが、これは二宮尊徳の報徳仕法農家を復元したものである。

旧江連家内部。

庭。

ここもまた紅葉がきれいだ。
街道に戻る。

今市に入ってきてから、こういう思いやりベンチがたくさん置いてあって助かる。
日光仮面がここにも!

杉並木がまた始まり、始まってすぐのところに大日如来堂がある。
境内には石造物がいろいろ。

享和4年(1804)の十九夜塔の如意輪観音。

左から寛保元年(1741)の十九夜塔の如意輪観音、延宝3年(1675)の石仏、弁財天、寛延3年(1750)の如意輪観音。

気づくと、猫がこちらを見ていた。

お堂の斜め前にあるのが、七本杉跡。
七本の杉の根がくっついて一株になったものだが、明治35年の暴風雨、大正3年の強風により折れ、その後老朽化が進み、昭和43年切られてしまった。切り株だけでも相当大きいことがわかる。

この区間は土の道で車も通らず、快適に歩くことができる。杉もどれも立派である。

この瘤はなんだろう?

砲弾打込杉なるものがあった。
明治戊辰の役に、官軍が日光に拠る幕府軍を攻撃した際、西軍が発砲した砲弾が杉の木に当たり、幹が損傷している。

薬師堂。
青雲山竜蔵寺という寺があったと云われているところ。

お堂の入り口に石の釣り鐘が置いてある。
お金がなく、金属製の釣鐘を造ることが出来ないため石の釣鐘を造ったが、重みで竜頭が壊れ、ここに放置されているらしい。

如意輪観音十九夜塔がずらりと並ぶ。
(5へ続く)
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