日光街道歩き(第11回) 上戸祭~徳次郎宿~大沢宿~水無1
中山道は先日の碓氷峠越えで一段落。日光街道を歩きます。
4時半起きで出かける。このシーズン一番の冷え込みで寒い。冬用のズボンに、薄いセーター、ライトダウンを着てお出かけ。
元々もう一本遅い新幹線に乗ろうと思っていたのだが、予約した時期が遅く満席。やむなく、6時37分発のつばさを予約。山形新幹線は乗るの初めて。座席は2-2、7両編成と短い。全席指定席。
大宮から宇都宮はたった23分なので、ささっと朝食を済ませる。
宇都宮7時着。霜が降りるような気候で寒い。
寒い中バスを待つ。まあでも早く並んだおかげで座れてよかった。途中まで結構な混雑だった。
バスは20分ほど遅れて、前回のゴール上戸祭小入口に到着。
交差点を渡ると、並木道が始まる。
桜が基本だが、他の木もある。
ふと気づくと上戸祭の一里塚を通り過ぎてしまっていて、慌てて戻って撮影。
東塚。
西塚。
両方、現存しているが、昭和58年、一部修復されている。28里目。
歩道は車道より一段上がったところにあり、気持ちよく歩ける。
大谷石を使った蔵1(この後もたくさん見ることとなる)。
光明寺に寄る。
将軍の日光社参のおりには、境内に御茶屋がもうけられたという。
山門は鐘楼門となっている。
立派な門だ。
小さな静桜が数本あった。
奥州に落ち延びた義経を追う静御前(ここ野沢の地にて義経の討ち死にを知り、自らも病で亡くなった)が携えてきた杖をさしたところ根付いた、という。一枝に八重と一重の花が咲くそうだ。
ぼけ封じ観音。
ビルマの鐘。
宝暦7年(1757)の宝篋印塔。
本堂。
内陣。
先を進む。
大谷石の蔵2。
再び並木道を進むが、竹もある。
太い杉も増えてきた。
紅葉には少し早いだろうか。
高野林の一里塚も現存。29里目。
西塚は原型を残している。桧と桜だ。
東塚は昭和58年に修復されている。
レンガ造りのおもしろい建物が見えてきた。
宇都宮市水道の第六号接合井だ。
今市浄水場で浄水した水を戸祭配水場まで送る際、送水管にかかる水圧を弱めるための施設である。
壱号~六号まであるが、ここだけが当時のままの姿を残す。登録有形文化財であり、土木学会建築土木遺産でもある。
徳次郎(とくじら)宿に入ってきた。
日光に大きな勢力をもっていた久次郎(くじら)一族が、 奈良時代末期に日光二荒山神社からご神体を智賀都(ちかつ)神社に勧請した際、日光の宗家久次郎に対し外久次郎(そとくじら)と称したのが始まりである。
上、中、下の三宿で一宿であり、問屋は上10日が中徳次郎、中10日が上徳次郎、下10日が下徳次郎が勤めた。本陣2、仮本陣1、脇本陣3、仮脇本陣1、旅籠72。
以前は、宿命はとくじらでも行政的にはとくじろうとされていたが、今ではとくじらに統一されている。
このような説明板が随所にあったが、ほんの2年前に造られたもので新しい。
(2へ続く)
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