中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿1
約1ヶ月ぶりの中山道歩き。
前回は碓氷峠越えだったが、横川~安中まではすでにその前に歩いていたので、今回は安中駅からスタートである。
最近よく乗っている大宮駅6時53分発のはくたかで高碕へ。
早速、富士山が見えてご機嫌である。
高碕着7時17分、30分の信越本線に乗り換え、前回のゴール安中駅到着7時42分。
気温もまだ低く寒いので、ネックウォーマーをする。
前回、天気が悪くて山が見えなかった久芳橋に行ってみると・・・
おお、今回はお天気がよく、雪をかぶった浅間山がきれいに見える。
そして、妙義山と荒船山も・・・
杉のレリーフのあるところから降りて少しだけ碓氷川沿いに進む。
なんだかクリームのような浅間山だ。
寛政10年の三面八臂寒念仏供養塔。。
このあたりに昔、仮土橋がかかっていたらしい。
蚕養神、道祖神のところで右に曲がると中宿(安中宿と板鼻宿の中間)で、静かな通りだ。
進むと、庚申塔道標がある。
正面には「庚申塔」、左側面には「従是 一宮・大日 街道
」、右側面には「享和二壬戌九月吉日」と刻まれている。上野国一宮へ向かう道のようだ。
公民館敷地にある中里一里塚跡(29里目)を通り過ぎ、川に突き当たる前(昔はこの先が渡し場だった)に右折、橋を渡る前に諏訪神社に寄る。
ここには明治天皇御小休所腰掛石がある。
明治11年、北陸東海御巡幸の際、座った石だそうだ。
庚申塔、御嶽山座生大権現。
本殿と石祠群。
ここでまた碓氷川を鷹之巣橋で渡るのだが、向こう岸にレンガでできた橋の台が見える。
当初、碓氷川は徒渡りだったが、しばしば川留めとなった。明和2年(1765)仮土橋が、明治16年には木橋が架けられた。その時に橋台である。
橋を渡る途中振り返ってみると・・・
妙義山がきれいに見えた。
渡り終えて旧道に入る。
鷹巣神社、依田六郎城址(依田六郎は武田信玄の家臣?)の石柱がある。聖徳太子塔、石灯籠などもある。
石橋も奥にあって、県道ができたたため、神社の入り口だけが残されているということらしい。
板鼻宿に入ってきた。
碓氷川の渡し場は、増水で川留めとなることが多く、旅人が宿に逗留するために宿場は繁盛した。又高崎宿が城下町で泊まるものが少ないこともあっての宿に泊まる旅人が多かったようだ。本陣1、脇本陣1、旅籠54。
板鼻堰用水路。
板鼻地区から始まる全長約15キロの用水路のことで、農業用水路として今から約400年前に造られたもの。水がとても豊富。
かつては鯉の養殖が盛んだった。
ちょっと寄り道、大乗院を通って南窓寺へ。
大乗院の階段の脇には庚申塔と青面塔があるが、青面塔には向かい合わせになった2匹の猿。2猿は日光街道の最後の方でも見たっけ。
南窓寺は県道を越えて階段を上がったところにある。
本堂。
小野良佐栄重の墓。
伊能忠敬の測量に同行した人物で、寛政9年(1797)には板鼻に戻って和算塾を開き、多くの弟子を育てたとのこと。
街道に戻る。
八坂神社跡は高札場だったところ。
青面金剛、猿田彦大神、双体道祖神が並ぶ。
群馬に入っても結構双体道祖神があったりする。
向かいの板鼻公園はかつて牛宿があったところだそうだ。
公民館前に「中仙道板鼻宿」碑がある(海音寺潮五郎)。
ここが本陣跡である。
裏に和宮資料館があるが、これは本陣の書院の2部屋だけ移築し保存したもので、和宮が宿泊した部屋とのこと。
残念ながらまだ開館前だったので、中は見学できなかった。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
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