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2022/11/15

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋3

(2より続き)

如来寺にも寄る。
三代将軍家光が東照宮造営のために御殿を建設しここに逗留したところで、二宮尊徳の葬儀もここで行われた。

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山門。

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化け桜。樹齢200年以上。

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観音堂。

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本堂。

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地蔵堂。鎌倉時代に二位の禅尼(北条政子)が、安達盛長に日光山へ奉納するため運ばせた途中、此の地で車が動かなくなったという地蔵菩薩立像(車止め地蔵)が安置されている。ガラスが反射して中の撮影はできず。

戊辰役戦死者供養塔があるとのことだったが見つけられなかった。

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街道に戻ったところで、日光仮面(!)の汚水桝の蓋を発見。
日光仮面、メタボな中年ヒーローですって(笑)
どうりでずんぐりむっくりなわけですね。

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今年3月をもって閉場となった今市宿市縁ひろばは脇本陣跡。

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明治天皇御小休之蹟碑があった。

浄泉寺に寄る。家光移葬の折りに棺が安置されたところだが、天明2年(1782)の大火で焼失し、現在は薬師堂だけが残る。

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薬師堂。

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庚申塔など。

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2匹の猿が向かい合っている庚申塔。この後もこの庚申塔を見ることとなる。

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奥にあるのはそば喰い稲荷。
二宮尊徳の子弥太郎が文久2年(1862)に寄進したが、戦乱に遭い消滅、その後、弥太郎の子金之亟・延之輔等によって復興した。金之亟の妹が夜泣きするので、そばを献上し、祈願したら直ちに治ったことから「そば喰稲荷」と云われるようになったのだそう。

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すぐ先にまた杉並木が出現するのだが、その角にあるのが瀧尾神社。天応2年(782)の創建、今市宿の総鎮守である。

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天保7年(1836)の狛犬。

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叶願橋の石碑が建つ神橋を渡る。

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拝殿。

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天皇陛下即位十年記念の恵比寿神・弁財天・大黒神があった。

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またまた杉並木街道を行く。

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堰のあるところを曲がっていくと・・・

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トーテムポールのようなものが?

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水車が見える。紅葉がきれいだ。

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朝鮮通信使今市客館跡碑。江戸幕府に最初の朝鮮通信使が来日して400年になるのを記念して造られた。

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水車は重連水車で、直径4m50㎝、幅80㎝。

(4へ続く)

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