中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿4
(3より続き)
若宮八幡宮は源頼義・義家父子が奥州征伐の戦勝祈願で建立した伝えられている。

赤い随身門がある。

右大臣。

左大臣。

拝殿。

土俵の柱は陰陽五行の色なのだそうだ。

八坂神社前にある道標には、正面に「草津温泉 かわなか・かわらゆ温泉・はとのゆ」、左側面に「左中仙道 安中・松井田・横川」、右側面に「従是 神山三里・三ノ倉五り半・大戸九り半」と刻まれている。

石神社。昔はしゃもじを寄進したそう。

境内には明和9年の道祖神がある。

君が代の手前に萬日堂がある。
昔、永観律師が不断念仏を思い立ち、本尊をめぐって行道念仏中つい眠くなって立ち止まっていたところ、本尊が 「永観遅いぞ」 と、後ろを振り向いて声をかけられた・・・ということで見かえり阿弥陀が安置されているという。
土手に上がってみると・・・

榛名山が大きく見えた!
地下道をくぐり橋を渡る。

高碕市役所が見える。

からの榛名山。

渡った先に君が代橋親柱。
この橋の名の由来は、明治11年(1878)明治天皇が北陸東海行幸の時、馬車で木橋を渡られたことを記念したものという。昭和52年に橋が架け替えられている。
しばらく進んで中山道は常盤町交差点で直角に曲がる。

その角にあるのが山田文庫。
日本家屋を改装した木造の和風図書館。高碕倉庫社長夫妻んの私邸だった。

曲がった先に岡醤油店。明治期の醤油工場。レンガの煙突が見える。虫籠窓が残る。
ここから道は上がっていく。赤坂である。

長松寺。
高碕城に幽閉された家光の弟忠長が自刃した書院が移築されているそうだ。

本堂。

恵徳禅寺の参道には高碕の地名の由来が描いてあった。
高碕に転封された井伊直政が和田を松ヶ崎に名称をかようと和尚に相談したところ、「松は枯れる事があるが高さには限りがない、その意をとって高崎は如何か」 と進言し、高碕になったそうである。
高碕宿は中山道随一の宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いに賑わったが、城下町なので大名達は遠慮して、本陣、脇本陣はなく旅籠が15軒があったのみだった。
鉢の木七富久という和菓子店に寄り、鉢の木というお菓子を買う。
謡曲鉢の木にちなんだお菓子で、とても上品なお菓子だ。

山田家(現在は漆器店)は明治15年頃の建物。
その先、本町3丁目交差点で中山道は右に曲がっていく。
大きな通りを進み、スズラン百貨店に寄るべく、連雀町を右に曲がる。

と、ベンチがアート!!

いろいろあった。楽しい。
一時過ぎ、ようやくスズラン百貨店の中のスパゲティのお店で、昼食を。高碕はパスタの町なんですね。

この日食べたのは、モンテマーレ・トマト(手打ちフェトチーネ)。結構麺の量が多く、おなかがいっぱいになった。
体がちと重いが出発する。
百貨店を出るとすぐそこが高碕城址公園。

東門と

乾櫓が移築再現されている。

お堀もある。

市庁舎の前の通りから街道に戻る。
(5へ続く)
マップはこちらを使っています
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