中山道六十九次歩き(第29回) 倉賀野宿~新町宿~本庄宿3
(2より続き)
さらに進むと於菊稲荷神社がある。
飯盛り於菊は病に倒れ、稲荷に祈願したところ全快し、稲荷神社の巫女になった。
赤い鳥居が続く。
まだまだ続く。
文政6年(1823)の水屋。
通路に描かれた狐がかわいい。
白狐社にはきつねがたくさん!
ここにも狐。
街道に戻り、公園の向かいの創業100年になる酢屋という和菓子やさんにて、味噌まんじゅうを買う(翌々日食べたが、皮は味噌のしょっぱさ、中は甘い白あんでおいしかった)。
続いてガトフェスタハラダへ。宮殿のような建物だ。
おみやげを買い、紅茶をいただいて休憩する。
次から次へと人が入ってきて大変な繁昌ぶりだ。
駐車上のところが高札場跡。
その先で左折、一本奥の通りを行く。
まずは天正2年(1574)創建の浄泉寺。樹齢400年の銀杏が目立つ。
ここには土師清大夫のお墓があるという。
万治(1660)創建の専福寺。
新町出身の和算家、田口文五郎の墓があるそうだ。
続いて、諏訪神社。
本殿には新田義貞が彫られている。
奥に埋まっているのは、元禄の鳥居。元禄15年(1702)のもので新町で一番古い鳥居。
街道に戻って先に進む。
八坂神社の前に、芭蕉句碑がある。
昔、このあたりに柳の大木があり、側の茶屋を柳茶屋といった。
「傘におしわけ見たる柳かな」
ここで、群馬県のカラーマンホールを発見。
県の花レンゲツツジ、県の木クロマツ、県の鳥ヤマドリ、県の魚アユ、上毛三山がデザインされている。
11時半を過ぎて、先に進むことも考えたが、早めにお昼にすることにして、踏切を越えた先のお寿司やさんに入る。
頼んだのは寿しづくしセット。
茶碗蒸し、サラダ、小付(ねぎのぬた)、味噌汁、デザート(栗羊羹)つき。かなりボリューミーでおなかいっぱいになった。
街道に戻って、国道に合流する地点に、昭和53年に再建された見通灯籠。
小林一茶が川留で新町の旅籠高瀬屋五兵衛に宿泊していると、神流川岸に建てる石灯籠の寄進を強要され、12文を寄進したいう。
ガトーフェスタハラダの本社工場も宮殿みたい。
神流川を渡る。
橋はつい先日新しくできたばかりできれい。
遠くに見えるのは谷川岳かな?
浅間山。
橋の途中で埼玉県に突入!上里町である。
橋が新しく造られたことで、少し遠回りになってしまった。
少し戻って勝場一里塚跡。
お堂の中にはなぜか木刀があった。
信号を渡ったところに庚申塔群。
賀美小学校の敷地内には二宮金次郎が。
台座が大きいのは、戦前に楠木正成像がおかれていたからだそうだ。
(4へ続く)
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