中山道六十九次歩き(第29回) 倉賀野宿~新町宿~本庄宿1
2週間前に続いての中山道歩き。
今回から新幹線の予約なしで気軽に出かけられる。
中央線、武蔵野線、京浜東北線、高崎線を乗り継いで倉賀野まで。
乗り継ぎがうまくいって、予定していたより1本早い高崎線に乗ることができたのだが、結果的にこれがよかった。人身事故の影響なく、到着できたので・・・

倉賀野駅より8時に歩きスタート。
5分ほどで街道に出る。
まだまだ寒い。
昔、五貫堀に掛けられていた太鼓橋の説明板、おもてなし館を通り過ぎる。

おもてなし館は明治6年建築の古い商家(大黒屋)を休憩所としているところだが、残念ながら開館前だったので中は見学出来ず。

土蔵造りの建物につづくなまこ壁がずいぶん奥まで見える。

古い家がいくつか残っていて、こちらは矢島家(昭和8年)。

続いて大山家。昭和8年。

叶屋は造り酒屋だった商家。明治20年代の建築。

追分が見えてきた。右に行くのが中山道、左は例幣使街道。先日、日光街道と例幣使街道の追分も見たけれど、これもいつか歩いてみたい。

道標には「従是 左日光道 右江戸道」と彫られている。

文化10年(1814)の道標を兼ねた常夜燈の台座には「中山道 日光道」と彫られている。

そして、台座には寄進者の名前が彫られているが(312人とか)、雷電(力士)の名前もある(真ん中より左)。

後ろにあるのが閻魔堂。最近建て替えられたようだ。

中には閻魔様が。

脇には、庚申塔や、六地蔵、道祖神などがある。
その先でちょっとだけ旧道に入り、しばらくは広い県道を歩く。工場が多い。

ミートプランニングという会社の前には派手な牛さんたちがいた。

まるでカウパレードみたいだ。

振り返ると妙義や浅間山が見えるが、浅間山は上の方に雲がかかっていて全体は見えない。

八高線を越える。向こうには榛名。

続いて高崎線、国道を越え、また少しだけ旧道を歩き、再び県道に戻ったすぐ先に「陸軍用地」の石柱があった。
このあたりは岩鼻で、江戸時代には陣屋が置かれた。
その後、陸軍の火薬製造所ができ、明治39年には日本で初めてのダイナマイトの製造を行ったそうである。
本来中山道は岩鼻町交差点を直進するのだが、令和6年まで工事中ということで通れない。

遠くから北向子育観音のお堂を撮影し、迂回する。

昔は柳瀬の渡しから、烏川を船で渡っていたが、現代では橋で渡る。

橋まで土手を歩いて行く。狭い道だが、車が何台も通っていく。

橋の途中で藤岡市に入った。

浅間山の雲もだいぶとれてきたようだ。左端には荒船山も見える。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
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