中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿5
(4より続き)
やがて人通りも少なくなってくる。
愛宕神社の鳥居。
上に鳩がとまっている!と思うと本物ではないという・・・よくできてますね。
拝殿。
和田城(後の高崎城)の鎮守神として和田六郎兵衛義信が、京都市嵯峨の愛宕神社の御分霊を祭祀創建したもの。
このあたりで、高碕宿を出る。
高碕アリーナを横目にみつつ、先を進む。
達磨が見えてきた!
と思ったら、だるま弁当を作っているたかべん=高碕弁当の工場である。ずっと食べてないなあ・・・
少し進むと古墳が見えてきた。
浅間山古墳である。墳丘全長171.5mの前方後円墳とのことだが、全容が見えない。大きな古墳のようだ。
その先に松並木があるが、あらたに植えられたものだ。
左道通行の道標(昭和7年)が見えるが、その頃もまだ残っていた杉と松並木と中央分離帯として左右一方通行として建てられたもの。
倉賀野一里塚跡の説明板を通り過ぎ、安楽寺に寄る。
異形板碑があった。
通常の板碑より厚みがあり、将棋の駒型をしている。鎌倉末期から南北朝前半のものと推定されている。
本堂。
見学をしていると、住職の方が資料をいろいろともって来てくださり、ちょっとした説明をうけつつ、さらに見てまわる。
本堂の裏は古墳(7世紀末頃、直径20メートル、高さ4メートルの円墳)となっている。
勝軍地蔵尊堂。鎧を着ているお地蔵さんだそうだが見られない(前のお地蔵さんではないとのこと)。
二十二夜堂の中には如意輪観音がいくつか。
残念ながら鼠供養塔は見逃してしまった・・・
倉賀野神社入り口あたりが倉賀野宿の上木戸。
倉賀野宿は、烏川を利用した舟運搬の河岸があった。日光例幣使街道の分岐点として、大名の宿泊や日光東照宮へ派遣される例弊使などで賑わいを見せた宿だったが、例幣使はガラが悪く恐喝まがいの行為が目に余り宿は相当迷惑したらしい・・・本陣1、脇本陣2、旅籠32。
倉賀野神社に寄る。
拝殿の彫刻。
本殿。こちらも彫刻が見事だ。
末社(10社)。
庚申塔群。
街道に戻る。
高札場跡兼上町問屋跡。
脇本陣の一つ(須賀庄兵衛家)は石碑のみだが、もう一つの脇本陣(須賀喜太郎家)は明治の建物が残っている。
裏手に回ると薬医門が残る。
勅使河原本陣跡は薬局の敷地内。石碑のみ。
双体道祖神もあった。
ここで歩き終了。倉賀野駅へと向かう。
ギリギリで4時の電車に間に合い、高崎線、埼京線、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ、地元到着は6時過ぎ。
いつものお店で飲む。
お通しは蟹味噌かまぼこ、なすの鰹味噌がけ。あらの刺身、あずきハタの煮付け、あん肝ポン酢、下仁田ねぎの焼き浸し。
お酒は、瓶ビールのあとは尾瀬の雪どけ。
帰宅は8時前だった。
今回のおみやげ。
約42700歩。
次回は本庄まで歩きたいですね。
(完)
マップはこちらを使っています
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