姫街道歩き(第2回) 和田辻~嵩山宿~三ヶ日宿~都筑駅4
(3より続き)
しばらくしてようやく国道脱出!
またまた秋葉山常夜燈鞘堂が。
鞘堂自体は明治のもののようだが、常夜燈は大正5年のもののようだ。
みかんの流通センターやJAなどの建物が続き、みかんをのせたトラックも頻繁に行き交って、とにかくみかんの街だなあと思う。
昔三ヶ日高校だったところにはJAがある。
宇利山川を宇利山橋渡る。
釣橋川に合流する。
釣橋川橋との間に公園があり少々休憩。
水仙のいい香りが漂う。
浜松市に入ってから全然マンホールがなかったが、ようやく発見。旧三ヶ日町のマンホールである。
浜名湖に浮かぶヨット、瀬戸橋、町の花みかんの花と実が描かれている。
いよいよ三ヶ日宿に入ってきた。
本陣1、脇本陣なし、旅籠4。
遺構は何もなく、本陣跡の説明板も見逃してしまった・・・
そろそろ帰りの電車が気になるところだが、がんばれば次の駅都筑で3時半すぎの電車にもしかして乗れるかも?とペースアップ。といいつつ、寄り道して三ヶ日製菓でみかん最中を買い求める。
大急ぎで街道に戻り先を進む。
三ヶ日一里塚址の碑。71里目。
さらに先に進んだところで痛恨のミス!
整体院のところで左に進むべきところ、右へ行ってしまった!
国道まで行って間違いに気づいたが、元々ギリギリ間に合うかというところだったので、もう間に合わないことは確実。1時間後の電車をめざしてゆっくり行くことにする。
整体院のところに戻ってみると、ちゃんと案内板があるではないですか・・・
ゆるやかな坂道を上がっていくと高札場跡と茶屋跡の説明板があった。
片山竹茂墓(は見つからなかったが)の方に上がっていくと、猪鼻湖が見えた。猪鼻湖は浜名湖の支湖。大崎半島で浜名湖と仕切られ、幅120メートルの瀬戸水道で浜名湖に通じている。
今度は坂を下っていくと田んぼが広がっており・・・
その先はまたまたミカン畑。
道は大里峠へ向かって登っていく。
この道は高速道路で分断されていて、いったん大里橋で高速を渡る。
大里峠の案内板があったが、行き止まりとのことだった。
今度は高速の下を通ってまた南側へと戻ってくる。
仇討説明板(嘉永5年(1852)の仇討ちのお話)を通り過ぎ、御殿道との分岐でこの日の街道歩きは終了。
家光が休憩所として、寛永3年(1626)浜名湖に面した野地城にお茶屋御殿(野地城御殿)を建てた。寛永11年(1654)の上洛の際、行きも帰りも姫街道を通り、野地城御殿で昼休みをとった。姫街道から南に分かれて野地城址まで続く一本道を、今でも御殿道と呼んでいるのだそう。家光以降、将軍があまり上洛しなくなったため、廃城となり建物は新居関所に移されている。
この御殿道を南下、都筑駅に向かう。
駅舎があるのは南側なので、踏切を越えぐるりとまわって駅へ。4時到着。
ここにある公衆トイレは水色の象。他の天竜浜名湖鉄道の駅にあるトイレもみかんとかうなぎと牛とかあるらしいけれど、ここが象なのは、次回歩く引佐峠への途中に象鳴き坂があるから。
パン屋さんのイートインで電車を待ちたいところだったが、混んでいたのであきらめて駅待合室で待つ。
4時31分発の一両編成の電車に乗り、新所原駅到着5時。ちょうど日が沈むところだった。
5時17分発の東海道線を待つ間が寒くて寒くてすっかり体が冷え切ってしまった・・・
浜松駅到着5時41分。
改札を出て、まずは新幹線の切符を買う。次のこだまよりその次のひかりの方が早く到着するのでそちらを。
おみやげやさんでお酒とうなぎパイのおみやげを買い、駅弁も購入(あとで、改札内のお弁当やさんを見たら残り2つだったから、やはり外で買っておいてよかった)。
改札内のコンビニでビールを買い、6時17分のひかりに乗り込む。
この日の駅弁は、浜松三ヶ日牛&遠州しらす弁当。2種類の味が楽しめてよい。久々の静岡麦酒もおいしかった。
東京到着7時42分。
帰宅は8時半すぎだった。
この日のおみやげ。
三ヶ日みかんはお裾分け。
次回も助っ人を加えて引佐峠を越えます。
約37000歩。
(完)
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