姫街道歩き(第1回) 御油追分~和田辻5
(4より続き)
三明寺に寄る。
大宝2年(702)の創建。平安時代に焼失したが南北朝時代に再興された。通称豊川弁財天。
鳥居。
観音霊場石仏・馬頭観音・地蔵菩薩などが並ぶ。
三重塔。重要文化財。
享禄4年(1531)の建造で、総高14.5mの柿葺。一層、二層を和様に、三層を禅宗様にしたのが全国的にも珍しいのだそう。
弁天橋(神橋)。
豊川弁財天堂拝殿。
弘法堂。
先に進む。
霞堤へ。
堤防の数か所に切れ目をつくり、豊川の水位が増すと、その切れ目から堤防内に水を入れて、広い田や畑に誘水し、一時的に水を溜め、川の水位が下がった時に減水させるようになっていたという。
っこのあたり、洪水が多かったのですね。
今でも切れ目はあるらしい。
三谷原神社を通り過ぎ、古川を渡って旧道へと入る。
「時ハ吾人ノ生命ナリ」と刻まれた常夜燈。
文政2年(1819)の秋葉常夜燈の奥には秋葉神社があるのだが、石積みの上にある。
洪水が多かったためらしい。
当古の渡し場に突き当たった。
当古村はかつて渡しの船宿と豊川の船運の港として栄えたが、豊川鉄道が通ることとなり、廃れてしまった。
豊川を当古橋で渡る。
豊川、きれいな川だ。
ここで豊橋市に入る。
豊橋市のマンホール。
朝日のなかを船が三河港を出港する姿から人・緑・街をデザインした・・・ものだそう。
小倉橋で牟呂用水を渡った先の段上に馬頭観音と弁慶首塚松碑がある。
大正時代の馬頭観音とのことだが、馬がかわいい。
弁慶首塚松碑の方は、かつてここに弁慶塚があり、直径7尺の松の木が二本あったものの、一本は明治26年4月に倒れ、もう一本は明治32年9月に倒れたのだそう。
向かいの崖の上は南北朝時代の高井城址とのことである。
消火栓は手筒花火。
そしてこの日のゴール和田辻東バス停に到着。
もう少し先まで歩けるのだが、この先はバスがあまりないため、ここで終了。
バスで豊橋駅に出る。
駅ビルでおみやげを買い、壺屋で稲荷寿しを買う。
もう少し待ってひかりに乗った方が早く着くのだが、確実に座って帰りたいということでこだまに乗る。
5時半すぎたところで夕食タイム。
夕食の稲荷寿しは季節の稲荷。普通のおいなりさんの他、帆立うま煮、かに、黒豆と酢蓮根、野沢菜とゆず。ビールで乾杯!
東京駅でも順調に乗り継ぎ、帰宅は8時だった。
おみやげは、豊川稲荷門前の宝珠まんじゅう、豊橋の四海王ワンカップ、そして黄色いゼリー。このゼリーは東海道を歩いた際に買いそびれていつか買いたいと思っていたもの。井上靖のしろばんばに出てくる日向夏のゼリーだ。
約40660歩。意外と歩きました。
次回は助っ人1名を加えて本坂峠を越えます。
(完)
マップはこちらを使っています
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