姫街道歩き(第2回) 和田辻~嵩山宿~三ヶ日宿~都筑駅3
(2より続き)
体がすっかり冷えないうちに出発。
ごくごく短い距離、旧道があり、そこに弘法堂(太子堂)がある。
2体の弘法大師像。
国道を渡って、下り坂の旧道へ。
とにかく、みかん畑・・・である。
それほどなっていなくて、地面にたくさん落ちているので、もう収穫が終わったということだろう。
お、なってると思ったら、いよかんか何か?だろうか。
高札場跡に秋葉常夜燈鞘堂がある。常夜燈は文化4年(1807)のもの。
どうやら石垣の土台の上に高札場があったようだ。
ちょっと寄り道。橘神社。
平安時代の初期三筆の一人として著名な橘逸勢を祀った神社である。
逸勢は承和9年(842)伴健岑(とものこわみね)等と皇太子恒貞親王を奉じて叛を謀ったとのことで伊豆に配流の途次遠江国板築駅に於いて病没其の地に埋葬された。随行した逸勢の娘、妙沖尼は墓畔に庵を結び父の冥福を祈った、とのことだ。
筆塚と妙冲尼観音。
妙冲尼の孝行を称えた旌孝碑。
急な石段をさらに登る。
本殿。
横にさざれ石のようなものがあったのだが、これがどうやら橘逸勢だったらしい?うーむ、撮りそびれてしまった・・・
街道に戻る。
本所関所跡。
戦国時代から関所が置かれ、江戸時代、幕府により新居関所とともに整備されたが、寛永元年(1624)気賀関所が置かれると、ここは廃止されている。
国道に合流するが、すぐ先の崖の上に旧道が残っており、そこにあるのが本坂一里坂である。72里目。
北側の塚は現存。南側の塚は大正4年(1915)、本坂隧道開設のため崩され復元されたもの。
一里塚前にはずらりと馬頭観音が並ぶ。
再び国道に合流、しばらくは国道歩きだ。
板築駅跡(古東海道の駅家で、海側を通っていた猪鼻道が天長10年(833)の大地震で崩壊し、承和10年(843)に復興するまでの間の10年あまり存在)を通り過ぎ、少し進んだ先に二宮金次郎像。
二宮金次郎があるとついつい写真を撮ってしまう。
元々小学校の分校があった場所で、戦時中に供出されてしまったため、戦後作り直されたもの。
華蔵寺に寄る。
山門。
植栽で作られた門と本堂。
十王堂。
大日堂。
板築駅の説明板の近くにあった道標が保存されているとのことだったが見つからなかった。
長屋門が遺された家がある。
門屋と言われていたしょうや、鈴木家の屋敷跡地だそうだ。
少し先左側に秋葉山常夜燈鞘堂。
夜燈はちらっとしか写っていないけれど、木製だ。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています
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