姫街道歩き(第1回) 御油追分~和田辻1
本年初の街道歩きは姫街道。
中山道をちょっとお休みする間、どこを歩こうかと悩んだのだが、比較的暖かく(浜名湖あたりは寒いかも??)、距離もそれほど長くはない姫街道を歩いてみることにした。使うマップは風人社さんのもの。
姫街道は浜名湖の北にある本坂峠を通って東海道見附宿(磐田)と御油宿を結ぶ街道で、本坂通、本坂道と呼ばれる。
なぜ姫街道と言われるようになったかは、女性が浜名湖の渡しをきらったり、新居関所を嫌った女性が多く通ったことによる、また古くからある道という意味の「ひね」街道が転訛した、本道を男、脇道を女と見なしたなど諸説あるそうだ。
家を出るときは氷点下で寒く、真っ暗。
早めに東京駅について、ひかり(自由席)に乗り込む。6時21分発。まだまだ暗い。
やがて徐々に日が昇り、富士山が姿を現した。
年末に高尾山から見た富士山は真っ白だったけれど、溶けてしまったのだろうか。
豊橋駅到着7時48分。
7時58分発の名鉄に乗り換える。
国府駅着8時5分。御油まで行ってまた松並木を見ようかとも思ったけれど、御油は特急などが止まらない駅なので、時間短縮のため国府でおり、御油追分に向かう。
豊川市のマンホール。東海道を歩いた際に多分撮っているはずだけれどもう一度。豊川をはねる魚、本宮山、豊川稲荷の狐、市の木クロマツ、サクラ、市の花サツキと盛りだくさんなデザイン。
こちらのマンホールは前はとってなかったかな?
雨だれ、傘、テルテル坊主。
さて、東海道と姫街道の追分に到着。懐かしい・・・
安永3年(1774)の秋葉山常夜燈(右ごゆ 左ほうらいじ道)、明治16年(1883)の秋葉山三尺坊大権現道道標、明治13年(1880)の國幣小社砥鹿神社道道標がある。
「これより姫街道」の道標もそういえばあったんでした。見附の方の道標はとてもよく覚えていたのだが、こちらにもあったんだなと。
ここから姫街道スタート。もと来た道を戻り、国道一号線を渡って、歩道橋で名鉄の線路を越える。
西明寺の寺標が見えてきた。
ここには芭蕉句碑もある。寛保3年(1743)、国府の俳人米林下が建てた句碑で東三河の中では一番古いとのこと。
「かげろふの 我が肩に立 紙子哉」
お寺自体はちょっと遠いのでパス、船山古墳へ。
登ってもよくわからないのだが、確かに上から見ると(あとで写真で見たのだが)前方後円墳である。三河地方最大級の前方後円墳だ。
続いて久保神社へ。
伊勢神宮遥拝所がある。
奥には(実は道路沿いだったのだがはじめて気づかなかった)古墳がある。直径20メートルの、6~7世紀頃の円墳。
上には横穴式石室の天井石がある。
さらに寄り道。
三河総社へ。
国司が国内の神社を巡拝する労を省くため、祭神を一か所に合祀した神社を総社といって、平安時代、各国の国府の近くにもうけられたという。
神門。
拝殿。
正面に見えるのが曹源寺だが、このあたりが三河の国府(国庁)跡である。
街道に戻る。ちょっとだけ旧道を歩き、県道に合流したところの交差点に桜地蔵があった。
別のマンホール発見。
いなりん??どうやら豊川市宣伝部長らしい!
八幡宮の社標のところを左折、西古瀬川にかかる宮前橋のところに、文化8年(1811)の常夜燈がある。左に見えるのは駒嶽社と秋葉社だ。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
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