佐藤酒造店 藤乃井 純米大吟醸
郡山みやげにいただいたお酒。
注いでみると、透明。
飲んでみると、米の甘みがきますね。ちょっととろみがあるような感じでもある。
で、結構しっかり主張する味。
じっくり飲むのがいいかもです。
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郡山みやげにいただいたお酒。
注いでみると、透明。
飲んでみると、米の甘みがきますね。ちょっととろみがあるような感じでもある。
で、結構しっかり主張する味。
じっくり飲むのがいいかもです。
これまた別の日に姫街道の続きを歩いた際に購入したお酒。
飲んでみると、春のしずくよりしっかりしたお酒。
甘さ控えめで、お酒感がちょっとあるので、これが純米吟醸って思ったくらい。
これはがっつり系のメニューがあうかも?
先日、姫街道を歩いた帰りに浜松駅の直営ショップで買ったお酒。
春らしいデザインですね。春限定のお酒。
注いでみると、やや黄色みがかった色。
飲んでみると、ふわーっといい香りがくる。フルーツっぽい香りですね。
やや甘さがあるけれどべとつく感じではなくてわりとすっきり飲める。
洋風なお料理にもあうかも?
毎年スタイルをかえてくる軽井沢高原ビール。
2023年限定版はフルーティホワイトエール。
軽井沢産の小麦のゆめかおりを使っているそう。
注いでみるとやや薄めの色。濁りはそれほどでもない。
飲んでみると、オレンジっぽい香りが。爽やかだ。ホワイトビールはまあだいたい飲みやすいのだけれど、これもそう。
ちょっと軽めに感じるけれど、こういうのもいいですね。
東京ステーションギャラリーに行ったあとの昼食。
東京駅の飲食店はどこも混んでいるけれど、わりと新しくできたエリアのエスニックエリア?は並ばずに入れるんですね。
ということで、こちらに向かいます。
今回は韓国料理のお店にて。
まずはお通し。ナムル、白菜キムチ、チヂミ。おかわり自由。しなかったですけどね。
私のチャプチェ。
前日の深夜のテレビで春雨を見たので、食べたくなりました。
同居人のチーズタッカルビ。
味見させてもらったけれど、結構辛くてチーズで中和。
他に気になるメニューもあるのでまた行こう。
韓国酒場コッキオ グランスタ八重北店
art-6【佐伯祐三 自画像としての風景展】 東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリーで開催されている佐伯祐三展に行って参りました。
2005年、練馬区立美術館で見て以来の回顧展。
大阪中之島美術館のコレクションを中心に、各地から集められた絵の数々。
プロローグ:自画像
「立てる自画像」からスタート。粗いタッチで描かれ、本人によって顔が削り取られているという・・・自信作をブラマンクに見せたところこのアカデミック!とけなされてショックを受けたことに描いたというから、そういう気持ちの表れだろうか。結局この出来に満足できず、裏面にはノートルダムが描かれている。
その他の自画像は、印象派風だったり、セザンヌ風だったり、中村彝風だったり、いろいろな作風だ。
1-1 大阪と東京:画家になるまで
学生の頃の作品「勝浦風景」。波が荒々しいタッチで描かれる。
クールベを思い出す作品。
1-2 大阪と東京:〈柱〉と坂の日本ー下落合と滞船
佐伯祐三というと、パリの風景のイメージだが、2度のパリ行きの間に日本に戻ってきて日本の風景も描いている。
自身が住んでいた下落合の風景をたくさん描いているが、これだけまとめて見たのははじめてと思うが、これがなかなかよいのですね。まだまだ下落合も田舎の風景で、牧歌的な風景画になるかと思いきや、そこに電柱を描いてみたり(電線はあまり描かれていないけれど)、佐伯ならではの視点かなと。「ガード風景」なんてとてもいいですね。
大阪では滞船を描いていて、マストやロープが印象的で、これが主役かもと思うくらい。
○親しい人々の肖像
娘伽椰子を描いた絵は、印象派風なのだけど、愛情あふれた絵ですね。かわいがっていたのだろう。娘も佐伯が亡くなってすぐに結核で亡くなってしまうとは・・・
奥さんの絵もあったが、奥さんはその後画家になっていたんですね。
○静物
佐伯祐三は風景ばかり描いていたというイメージだけれど、静物画もあある。パリでは雨で外に描きにいけない時に家の中のものを描いていたという。
「テレピン油のある静物」。なかなかおしゃれ。
「蟹」「鯖」もいいなあ。
2-1 パリ:自己の作風を模索して
パリの絵が登場!
第一回目のフランス滞在時の作品はいろいろな画家の影響が感じられる。
「オーヴェールの教会」などはヴラマンクのような荒々しいタッチだったり、「パリ遠望」はもろセザンヌ!いろいろな試行錯誤があったんですね。
2-2 パリ:壁のパリ
ヴラマンクよりユトリロに近づいてくる。そして次第に佐伯祐三独特の世界へと変化。
気に入ったモチーフは何度も描いたということで、「レ・ジュ・ド・ノエル」、「靴屋(コルドヌリ)」が2枚ずつ。「靴屋」いいですね。壁に描かれた文字がだんだん主役になっていくのがわかる。
「靴屋」は積み重なった靴と中にいる人もポイント。
「壁」は壁そのものが主題、「広告のある門」、「門と広告」などはすでにポスターが主題となっている。
2-3 パリ:線のパリ
2度目のパリ。この時代のポスターを描いた作品が佐伯祐三のイメージ。
広告の文字がまさに線となって、踊っているよう。
描かれる人物も線・・・というか細くて(なぜか赤い服の人は描かれる)・・・人ももう描かれてない作品も。「ガス燈と広告」「広告貼り」。
「新聞屋」は好きな作品。新聞の文字、文字、文字・・・
あと好きなのは、「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」と「テラスの広告」。外を描くより明るい作品となっている。
ちょっと異色なのが「靴屋」。佐伯祐三とはわからない。いやでもこれいい。
3 ヴィエリ=シュル=モラン
最晩年、家族や後輩画家とパリ郊外のヴィエリ=シュル=モランでの写生旅行へと出かける。
20日の滞在期間で30点以上描いているが、作風がまた変わる・・・くっきりとした太い線がヴラマンクのよう。この頃はだいぶ具合が悪かったようだが、最後の力を振り絞って描いたのではと思う。家はゆがんでいるのも鬼気迫る感じ。
一番好きなのは「煉瓦焼」。
エピローグ:人物と扉佐伯祐三 ―自画像としての風景
モランからパリに戻った佐伯は雨にうたれて風邪をこじらせ、弱っていく。
そんな中、たまたま訪ねてきた郵便配達夫にモデルを頼み描かれたのが「郵便配達夫」「郵便配達夫(半身)」。カクカクした線が印象的だ。
最後は絶筆となった「黄色いレストラン」「扉」。相当具合が悪い時に描かれたようだが、力強い絵である。
構成もよく充実した展覧会でした。
是非どうぞ。
(3より続き)
追分一里塚。66里目。
南側のみ現存だが、これも低いですね。
三方原台地から二重坂を下り、豊隆団地交差点から左の旧道へと入る。
入ったところにあるのが浜松市域の姫街道最古の道標で、天保3年(1832)のもの。いまいち読みづらいけれど、「右 きが かなさし」「左 庄内道」と彫られているようだ。
秋葉常夜燈鞘堂。
このあたりから宇藤坂を下って行く。
立派な御屋敷が多い。槙の垣根が続く。
左折して見に行ったのは旧俊光将軍社。坂上田村麻呂の子俊光が武勇の守護神として祀られていたが、明治40年、このあと行くことになる有玉神社に合祀された。
街道に戻って、さらに宇藤坂を下って県道に出てふと左を見ると、富士山が見えた!!
このあたりからも見えるのですね。
階段を降りてさらに下る。
馬込川を五枚橋で渡る。かつてはもう少し下流の方にあったらしい。
このあたりから半僧坊里程石がたくさん見られるようになる。
これは四里廿丁。
明治14年に奥山方広寺で大火があったが、半僧坊本殿は焼失を免れ、半僧坊への信仰が高まって参拝者が急増。そのため、多くの里程石が設置されたのだそうだ。
少し前から次々と降りて行く飛行機が見えたが、航空自衛隊の浜松基地がすぐ近くにあるわけですね。
最後の寄り道、有玉神社。
高速をくぐって行く。
家康が大阪の役から帰陣する際、戦場で乗った馬を寄進したことから、流鏑馬が行われるようになったそう。
俊光将軍社。
八幡大菩薩。なぜか、割烹着を着ている??
拝殿。
街道に戻り、自動車学校前駅に到着。
切符を買って時刻表を見ると、あと1分もないうちに3時44分の電車がくる!ということで慌ててホームへ。
赤い電車が入ってきた。
12分で新浜松駅到着。少し歩いて浜松駅へ。
ささっと駅弁とおみやげを買って、4時25分のこだまに乗り込む。
かなり早めではあるが、5時過ぎに駅弁タイム。
今回はしらす弁当。と静岡麦酒。
一日に必要なカルシウムの2分の1の量を摂取!
まだまだ明るかったので、富士山の写真も撮れてごキゲンだ。
日が沈む頃の富士山。
東京には6時18分着。順調に乗り継いで帰宅は7時半前だった。
おみやげはまるたま製茶おおちゃと焙じ茶葛餅、浜松駅の直営店で買った花の舞純米吟醸。
約35300歩。寄り道がいろいろあったので、それなりに歩きました。
次回はいよいよゴールです。
(完)
マップはこちらを使っています
(2より続き)
松並木を進む。
権七商店・・・ごんひちというお店があった。
三方原追分からずっとうっそうとした松並木が続いていて、寂しいところだった。約100年以上も続いた権七店の店先には山桃の木があって、そこに馬方は牛馬をつないで休憩した。店では、駄菓子、だんご、お酒などを売っていた。
三方原救貧院跡の石柱。
明治10年、気賀林(豪商)が困窮した士族の救済施設を設立。
間口八間、奥行き三間半の木造平屋建て瓦葺きの建物で、最大四家族ほどを収容、米麦、味噌、醤油、薪炭等を支給し救済したという。
ちょっと寄り道。
本乗寺に寄る。
ここには精鎮塚がある。
三方原の戦いの戦死者をまつるために建てられたといわれているもので、昔は権七商店のそばにあったが大正期にこの寺に移されたのだそうだ。慰霊のため、盆と12月25日にそば供養が行われるとのこと。
家康関係の場所には、家康公ゆかりの地というのぼり幟があるんですね。盛り上げようと頑張ってるな。
続いて三方原神社へ。裏から入る。
この神社は、旧浜松城内で祀られていた東照宮が移されたもの。御祭神は家康だが、秀忠、家光も合祀されている。
不動堂。
不動明王は道標を兼ねている。「右はま松道 左いけ田道」と彫られている。
扶持米倉庫跡。この地に倉庫を建てて扶持米を貯蔵、士族たちに支給した。
四勇士の碑。
昭和12年、4人乗りの重爆撃機がエンジン故障で墜落したが、搭乗員が人家の無い場所を選んで墜落したのを見た住民が慰霊のため建立した。三方原には陸軍の飛行場があったのだ。
第18代徳川恒孝公お手植えの松。
三方原開拓の碑。
かつての製茶場が経営不振で明治35年閉鎖。国のものとなると森林とされてしまうと心配した地元名士が購入し住民に分割。開拓地を荒廃から守った7名の功績をたたえて碑が作られた。
三方原小学校発祥の地碑。
大正2年の石鳥居の向こうに見える拝殿。
出たところには気賀林(三富翁)の碑があった。
明治2年、三方原開拓係となり、士族800戸の三方原入植の受入事業を完遂、明治6年からは茶園の開拓に専念、百里園長として百ヘクタールの茶園の育成と製茶工場の経営を成功させた。その後、三方原救貧院の創設をはじめ、福祉・教育・社寺への寄付等、地域行政に大きく貢献した人物ということだ。
この神社、碑が多いですね。
さて街道に戻り、松並木を進む。
追分も近づいてきて、そろそろ松並木も終わりだ。
手前が姫街道で一番太い松。
清田定春の姫様行列が描かれた建物。手前には姫まつ灯籠があった。
元追分の交差点にきた。真ん中に「奥山半僧坊大権現へ三里廿九丁」の里程標と慶応4年(1868)の道標があって、「右 みやこだ 中 かなさし 左 きが」と彫られている。
三方原追分である。
我々は見附の方面へと行く。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています
(1より続き)
次第に明るくなってくると・・・
姫の絵が描かれた配水タンクがあった。ここからはまた舗装路に。
すぐ先に老ヶ谷の一里塚跡があった。68里目。
かつて近くには富士見茶屋があったという。
このあたり、収穫は終わってしまっているが、若干のみかん畑が残る。
千日堂。
老ヶ谷原山新開発の褒賞として建てられ、寛文11年(1671)呉石の近藤家下屋敷にあった観音石像を移して祀られている。宝永年間に千日念仏を行ったため千日堂と呼ばれるようになった(現在でも毎月9日に念仏講が続けられているそうだ)。
文化8年(1811)建立の秋葉常夜燈。
このあたりからも秋葉神社へと詣でる人たちがいたんでしょうね。
秋葉道は何ルートかあるようだけれど、いずれも最後の方が交通の便が悪そうだ。
ここを左折。
しばらく歩くと六地蔵があった。正徳2年(1712)建立。
昔のこの裏の竹藪に刑場があり、刑死者の霊を弔うため建てられたという。
その向かいの道標には「右 大山 和地 庄内 方面」 「左 浜松方面」 と刻まれる。
ほどなく県道に合流した。
カーブミラーに姫様がついている!さすが姫街道!
曲がり松。
500年以上たっているにしては小さい・・・と思ったらこれは三代目。
でもちゃんと曲がってる!
姫街道と庄内二俣線(旧道)の交差点で、江戸時代には、気賀の領主や街道を通る行列を送迎した場所だったそう。
松島十湖句碑。
「別れるは また逢ふはしよ 月の友」友との別れはまためぐり会うきっかけだよ、という意味なのだそう。
そのすぐ先のまるたま製茶に寄る。自社農園でのお茶を販売する。
おみやげのお茶とほうじ茶葛餅を購入。
道は下っていく。
途中の法面の急な階段を上がっていくと、大谷の石仏があった。
他にも石造物があったが、なんだかわからず。
大谷川を大谷橋で渡り、今度は道を上がっていく。
昔はこの川を飛び石を渡って通行したとのこと。
お茶畑が見えてきた。
ここに江川永脩屋敷跡碑がある。
この人物は江川太郎左衛門の一族。へー、36代目はあの韮山反射炉の建設をした人なんですね。
永脩は明治にはいって入植、茶園を造営したが断念。今では茶畑となっている。
このあたりから松並木がはじまる。
昭和27年の大火により消失した小学校の再建のために北側は伐採されてしまったが、片側は3.8キロに渡って残っており、200本以上あるという。
ほどなく、カントリーレストランこくりこ大山店に到着。12時少し前。
中に入ってみると五組待ちでどうしようかと思ったが、この先で食べるとすればまだだいぶ歩かないといけないので、待つことに。
それほど待たずに案内されたけれど、人気店なんですね。
注文したのは、ふわふわお好み焼き。
折りたたまれているのかな。確かにふわふわでおいしい!
結構ボリューミーでおなかいっぱいになった。
外に出てみると、結構な強風。天気予報でも午後から強い風になるとのことだったのだが、それほど寒くはない。
大山入口交差点の手前に東大山一里塚がある。67里目。
両塚残っているけれど、低いですね。だんだん低くなっちゃったんでしょうか?
北側。
南側。
南側の塚の手前には馬頭観音がある。
といっても、馬頭には見えないんだよな~
(3へ続く)
マップはこちらを使っています
先々週に続いての姫街道歩き。
前回、気賀四ツ角で終えていたので、そこまでバスで行って再開のはずだったのだが、うっかり犬くぐり道を前回見るのを忘れてしまい、とても残念な気持ちだったので、少し戻ることにはなるが見ようということになった。
東京駅6時半のこだま自由席に乗り、浜松駅到着8時18分。
8時30分発気賀駅行きの遠鉄バスに乗る。三方原の追分からはほぼこの日歩く道である。
バスは15分ほど遅れて9時40分前に到着。早速歩き始める。
前回行った浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館のすぐ先が、犬くぐり道だったのだ。
これまた前回飛ばしてしまった東林寺。
貞観6年(864)、行基の開基。後醍醐天皇の皇子、円明大師が暮らしたという。
山門が立派だが、これは奥山方広寺から嘉永7(1854)年に移された。
さて、犬くぐり道。
ちゃんとむしろが垂らしてある!みおつくしのマークが描かれている。ちょっとかがんで下を通ってみる。
いやはや、あらためて行ってみてよかった。
街道に戻る。
ポケットパークのところが実質的なスタート地点だ。
天竜浜名湖鉄道の高架をくぐる。ちょうど電車が通らないかな~と思ったけれど、残念!一時間に1本ではね・・・
都田川を落合橋で渡る(うっかり宝生地蔵を見忘れる・・・)。
右が都田川、左は井伊谷川。川が落ち合う場所にかかっているので落合橋というのですね。
かつて落合の渡しで川を渡っていたが、明治になって旧落合橋が架けられた(その後新しい落合橋が架けられている)。
橋を渡って下に降り、少しだけ川べりを進んで右折。この曲がるところあたりに昔渡しがあった。
金襴池の伝説の説明板を見て(刑部城の城主の美しい姫が、攻め込んだ家康の軍に捕らえられないよう、池に入って金襴の蛇に姿をかえたという伝説。今は池はない)、ぐるりと刑部城址のまわりをまわっていく。
水田が広がる。条里制により造られたもので、近年まだ地割が残っていたという。
城址はこんもりとした丘になっている。
上にあがってみると、金山神社となっているけれど、お城にしてはちょっと小さいような?永禄11年(1568)年落城。
県道をわたって旧道を先に進む。
宗安寺の参道を上がってみる。
梅が咲いている。
跡地には何もない(奥に地蔵があったらしいが)。明治の廃仏毀釈で廃寺となり、山門は気賀の正明寺(前回に見た)に移転した。
天生5年(1587)、この先の長坂で何者かに殺された服部中保次を弔うために建立された。
ちょっと寄り道。
その服部中保次の墓を訪ねる。
この人物は、桶狭間の戦いで織田信長の家臣として今川義元を討ち取った服部小平太と解説にあったが、同一人物ではないという説もあるらしい。
元に戻って、秋葉鞘堂のところを上がっていくのが街道(長坂)。
中には復元された燭台があった。
土の道を上がって途中一回新道を横切る。
さらに山道を上がっていくと・・・
途中には服部中保次(小平太?)最期の地の碑がある。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
ファミマ限定ビール。
柑橘香る・・・とあるので、昔でいうとビールに入らない範疇のものかと思ったらちゃんとビールだった。
注いでみると、オレンジっぽい少し濃いめの色。
飲んでみると、確かに柑橘系の香り!レモンのようなグレープフルーツのような。そして、結構苦みが強くてなかなかよいですね。
ペールエールなのか。確かにホップが香る。
柑橘系を加えているわけではなくて、超希少ホップ「エクリプスホップ」が柑橘っぽい香りなのかな。
クラフト定期便が届いた。
先週水曜日にちょうど飲み終わったのでグッドタイミング!
今回の新しいビールは軽井沢高原ビール 2023年限定。どんなかな?楽しみ。
毎回、新しいビールは多めに入れるのだけれど、今回多めなのはさらに2種類。
東京ブラックとサンサンオーガニックだ。
この3月で製造中止ということなので、今のうち・・・
どちらもおいしかったのにな・・・
新発売のビールを購入。
信州早生というホップは明治時代に開発されたホップらしい。
それで、「始まりのホップ」って書かれてるんですね。
はじめて聞いた気もするけれど。
注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、うーん、すごいホップの香りだ!
若いホップの香りというか。
苦みもたっぷりで、クラフトビールにありそうな感じだなあと。
よいと思います。
(3より続き)
なぜかオオバンが陸地で餌をあさっている。浜離宮にもオオバンはいましたね。
大島に渡るための鯛橋。この石が鯛に見えなくはない。
大島。
九尺台。
明治天皇がこの庭園に行幸された際、この上から海の漁の様子を楽しまれたとのこと。
中島。蓬莱山を表した石組がある。
海水取入口跡。かつてはここから海水を取り入れていた。
こちらは、キンクロハジロが圧倒的だったが、白鷺も一羽。
向こうでは亀が甲羅干し。
手前には浮灯籠がある。
見学を終えて出るとすぐそこに駅。
4浜松町駅
ここからは国道15号線に出てしばらく東海道沿いを歩くことにする。
ちらりと見える東京タワー。
モノレールが通っていく。
5田町駅
札の辻(高札場のあった辻)の歩道橋から写した東京タワー。
東海道を歩いた際も写真を撮ったっけ。前の写真を見てみたら、この間にタワーの後ろに新しいビルが建ったようだ。
高輪大木戸跡。
江戸の南の入り口だ。
6高輪ゲートウェイ駅
東海道を歩いた際にはなかった駅。2020年開業。
うーん、この駅何か見たことが・・・と思ったら隈研吾の建築なんですね。
駅のまわりは再開発中でちょっと異様・・・
高層ビル群が出来あがるんですかね。
モダンな駅だな~なんか空港っぽい。
左奥に見えるのは無人コンビニかな?
NTTドコモのビルなど。
ここから品川駅は1キロもなくすぐ。
6品川駅
この日のゴール。4時少し前。
なんだかんだいろいろと寄り道したので6つで終わり。このペースだとあと4回かかりますね~
地元に戻り、いつものお店で飲む。
お通しは魚のキッシュ、帆立とキャベツ煮。あん肝煮、赤貝の刺身、キンキの開き、ウニグラタン、和牛と大黒しめじと下仁田ネギの陶板焼き。お酒は瓶ビール、日本酒は開運と浅間山。
8時すぎ帰宅。
おみやげは和歌山のアンテナショップで買った日本酒の鯨えびす、香川愛媛のアンテナショップで買った坊ちゃん団子、品川駅で買った御門屋の揚げまんじゅう。
約27760歩。
よいお散歩になりました。
次回はいつになるやら・・・
(完)
(2より続き)
富士見山にも登ってみる。
茶屋が4つ見える。
レインボーブリッジがまたちらり。
が、当然富士山が見えるわけではない。
お伝い橋を渡って潮入の池の向こう側に渡る。
ホシハジロがみなお昼寝。
中島の御茶屋。元々宝永4年(1707)に建てられたもので、昭和58年再建。将軍の休憩場所や接待場所として建てられた。
雪吊り。
ここで都立公園のマンホール発見。
都の花ソメイヨシノ、都の木イチョウ、都の鳥ユリカモメのデザイン。都立公園に行かないと見られないんですね、きっと。
茶屋は4つあって鷹の御茶屋は内部を見学できる(撮影忘れ)。
燕の御茶屋。
松の御茶屋。あとの3つは11代将軍家斉の時代に作られた。
中島の御茶屋に戻り、練り切りと抹茶のセットをいただく。梅にうぐいすだ。
浜離宮見学終了、中の御門から出て、芝離宮へと向かう。
旧芝離宮恩賜庭園は、小石川後楽園とともに、今残る最も古い大名庭園の一つで、回遊式庭園。かつては海水を引き入れた潮入の池だったが、現在は淡水の池となっている。幕末には紀州徳川家の芝御屋敷に、明治になって有栖川宮家の所有に、その後東京に下賜されている。
関東大震災でほとんどの建物と樹木が消失してしまったそうだ。
入場料150円。
浜離宮に比べるとぐっと小型だけどいい雰囲気だ。
こちらにも雪吊り。
むむ、これは何を巻いているのか??
雪見灯籠。
こちらにも梅があった。
大山。庭園内でもっと高い築山である(他には根府川山や唐津山があった)。
上からの眺め。
十月桜。
水仙は浜離宮恩賜公園よりまだ咲いていた。
(4へ続く)
(1より続き)
満月枝垂。
妙に高さの低い梅だな。
菜の花きれい。向こうの木々とビルとのコントラストがよい。
八重寒紅。
早咲きなんですね。満開。
旧稲生神社。この中に神社があるとは!
江戸時代後期にはあったようなのだが、明治27年の地震で倒壊、再建されたものの、関東大震災で破損して大修理が行われたという(平成17年に大規模修理を行っている)。
ヤブツバキ。
水仙はもうそろそろ終わりですかね。
タチカンツバキ(立寒椿)。
サザンカなのか、椿なのか??
思いのまま。
東京湾の方に行ってみる。
灯台跡。
将軍お上がり場。
将軍が船で御成りする際に使用された場所。慶喜が大阪から船で帰還した際にもここに上陸したとのこと。
レインボーブリッジが見える。
横堀水門。
ここから東京湾の海水を潮入の池に引き入れたり出したりしている。
この池、川の出口にいるような魚が棲んでいるらしいけれど、見えなかった。
樋の口山。こうした築山がいくつかある。
クロマツがたくさん植えられているが、これ、ど根性で生きてるな~
庚申堂鴨場。安政7年(1778)に築造され、何度か改修されている。
鴨場池にいくつかの細い堀をもうけ、小覗から鴨の様子をうかがいつつ、餌とおとりのアヒルで堀におびき寄せ、鷹や網で捕っていたそう。
小覗は3つあった。
御亭山。
上からの風景。
お台場のフジテレビも見えた。
(3へ続く)
街道歩きの中休みとして、山手線一周歩きをしてみようということに。
この日は風が強く、やんでるうちは暖かいのだが、特に駅近辺は風が吹き抜けてかなり寒かった一日でした。
1東京駅からスタートです。
丸の内側をまずは歩く。三菱一号館美術館が見える。
国際フォーラム。相田みつを美術館は行ったことないから、いつかは行こうかな。
ちょうどリラックマのはとバスが通った!富士山がリラックマになってる!
2有楽町駅
駅前の東京交通会館に寄る。
アンテナショップがいろいろありますね。
和歌山のアンテナショップで、カップ酒(鯨えびす)を購入。しょっぱなから荷物が多くなるという(笑)
駅近くの数寄屋橋公園には岡本太郎の「若い時計台」がある。1966年(昭和41年)に制作されたものとのことだけど、知らなかったなあ。
新橋まで東海道沿いを歩く。
おもしろいビルがいろいろ。
3新橋駅
ちょっと早いけれど、香川愛媛のアンテナショップせとうち旬彩館の2階にあるかおりひめでお昼を。
じゃこ天うどん。前も食べたことあるけれど、おいしい!
旧新橋停車場・鉄道歴史展示室に寄る。無料。
展示室では鉄道写真家の南正時写真展をやっていた。
蒸気機関車のある風景・西日本編とのことだったが、東日本編もやるのかな?
プラットホーム遺構見学窓と再現されたプラットホーム。
電通ビルを迂回して、浜離宮恩賜公園へ(入場料300円)。
徳川将軍家の庭園である。
大手門橋から入る。
築地川。
入るとすぐのところに梅がある。
紅千鳥。
白滝枝垂。
藤牡丹枝垂。
三百年の松。6代将軍家宣の頃に植えられたという。都内最大級の黒松だそうだ。確かに大きい!
(2へ続く)
本日の本
book-2 『ノースライト』 横山秀夫著 新潮文庫
STORY:青瀬が設計した信濃追分の家。施主一家は一脚の古い椅子を残して消えてしまった。青瀬は行方を追うが・・・
☆☆☆初横山秀夫である。
なんとなく食わず嫌いで読んでいなかったが、中山道歩きで高崎の達磨寺に寄り、ブルーノ・タウトの家を久々に見て、ブルーノ・タウトが登場するこの本を読んでみようと思ったのだ。
確かにミステリーではある。
主人公に是非建てて欲しいと言われて建てた家の施主が忽然と姿を消してしまい、行方を追う話と、主人公が所属する小さな建築事務所が参加することになったコンペの行方・・・
主人公の生い立ちや、離婚した妻や子との関係などを絡ませながら物語が進行していく。
そういうことだったのかという結末。悲しい物語がいくつも重なった末の結末。
謎は解きあかされるわけだけど、どちらかというと、主人公や主人公を囲む人々の再生の物語として読んだ。
ブルーノ・タウトの椅子も重要な役割を果たしていて、もうちょっとタウトのことが知りたいなあと思ったのだった。
さすがうまいなあ。ちょっと技巧的かなとは思ったけれど。
プロヴァンスの赤ワイン。
シラーとグルナッシュ。
南仏らしい明るいワインですね。
果実実たっぷりで、そんなにコクはないけれど、なかなかいいんじゃないでしょうか。値段を考えると!
(4より続き)
気賀四ツ角で、街道としての歩きは終了。駅の向こうの気賀関所(復元)の向かう。
要害堀。関所の防衛のために造られた堀。
駅到着。
まずは駅前のゆるキャン△の聖地、藤田屋さんで大判焼を買おうと思ったが・・・
すごい行列だったのでいったん諦める。
気賀駅舎は登録有形文化財に指定されている。
木造平屋建、寄棟造、赤色の洋瓦葺。なかなかに派手な駅舎だ。
ホームも赤いんですね。
待合室には、ゆるキャン△2のポスター?が。そうそう、なでしこは藤田屋さん(アニメでは一文字違う店名)でカスタードの大判焼を2個買って食べてたっけ。
気賀関所。門は冠木門。屋根がある。入場料150円。
本番所前のさすまた。
本番所中の間。こういう施設って絶対人形がいる(笑)。
上の間。
向番所。女改め。
制札。取り締まりの原則が掲げられている。
遠見番所は上がることができる。
上からの眺め。
姫様館(資料館)も見学。
結構豪華な食事ですね。二の膳まである。
うーん、この象、眉毛があって変・・・
御典医が使用したといわれる駕籠。
関所見学を終えてお隣の旬彩市でおみやげを買い、さあ大判焼を買いに戻ろう!
家康くんと直虎ちゃんのマンホールの写真を撮り・・・
戻ってみると・・・
なんと、売り切れでもうお店がしまっていた・・・
悲しや・・・残念だ。
ちょうど掛川行きの電車がくる時間で、掛川経由で帰ることも考えたけれど、浜松までバスで出た方が駅弁とかおみやげとかが買えそうということで4時15分のバスを待つ。
最後に電車を撮影。
これはヘッドマークに2nd Anniibersaryとあるけれど何のキャラかわからず。これはラッピング電車ではないのかな?
気賀駅前バス停よりバスに乗り、10分ほど遅れて5時25分浜松駅に到着。
まずは前回と同じひかりの切符を買い、駅弁を購入。今回はわりと残っていて、うなぎまぶしをチョイス。
おみやげを買い足し、ビールも買ってしばし待合室にて待つ。
6時17分発のひかりに乗り、早速駅弁タイム!
うなぎの肝の佃煮、はじめて食べたけど、つまみにいいな~
東京駅到着7時42分。帰宅は8時半すぎだった。
この日のおみやげ。またも三ヶ日みかんはお裾分け。
あとは、みそまん、らっか(ピーナッツ餡入り最中)、春限定の花の舞(春のしずく)、うなぎボーン。
約28660歩。
今回は距離が短く歩数は少なかったですね。上り下りは結構あったのでそれなりに足はくたびれましたが
・・・
あと2回、姫街道を歩きます。
(完)
マップはこちらを使っています
(3より続き)
この日2匹目の猫。前回は寒くて一匹も出会えませんでした・・・
街道に戻る。
獄門畷。
堀川城落城の際に1000人が殺され、のちに捕らえられた700人あまりの人々もこのあたりで首を打たれ、土手にさらされたので、獄門畷を言われるようになったという。
この先が枡形になっており、600メートルほど続く気賀宿の西見附である。
大きな秋葉常夜燈もあった。安政4年(1857)のもの。
向かいのかじやさんでみそまんをおみやげに買う。
気賀宿は、南に浜名湖、東に井伊谷川、都田川に挟まれた要害の地で、関所が置かれた。本陣1、旅籠8。
正明寺。
山門は次回通る宗安寺のものを移築している。本陣中村家の菩提寺。
この前には本陣前公園があり少々休憩。
馬頭観音。寛政12年(18)建立。以前は犬くぐり道にあったそう。
公園内には姫様の像。
公園の斜め向かいには、本陣の址碑があった。
ちょっと寄り道、浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館に寄る。
前には旧山瀬家のコヤがあったが、産屋だったようだ。
資料館の展示は、一階は漁に使われた船や、藺草や畳表、その道具などの展示で解説していただく。
二階は銅鐸など(二階は撮影するには申し出をとのことだったので遠慮)。銅鐸は実物。
マンホールになっている柄のもあった。鹿とと鳩(だったのか!)が描かれている。
銅鐸いいなあ。
ここを出たあと、犬くぐり道を見にいくはずが・・・なんとすっかり忘れて細江神社に行ってしまった!!あとで気づいたがもう時間がなくあきらめる。残念。
関所が設けられて住民の通行が不便になったために領主が裏道を作り、道の途中にむしろ1枚を垂らしてその下をくぐりぬけさせたということらしい。
細江神社へ。
神社参道。
御神木。500年前から細江町を見守って来た夫婦楠だそう。
拝殿。
樹高30m・根回り16m・樹齢500年の楠。
樹高30m・根回り13m・樹齢500年の楠。御神木。
昔々、この大きな穴の中で、大蛇と大蝙蝠が三日三晩戦ってお互い力尽き、そのときの血のあとがあるのだそうだ。
藺草神社。
浜名湖岸一体は琉球藺が名産だったんですね。
街道に戻って進むと、本番所の遺構が残っている・・・のだが、シートが掛けられていて、屋根の部分しか見えなかった。
(5へ続く)
マップはこちらを使っています
(2より続き)
今度は坂を下って行くが、いろいろな柑橘類がある。
金柑。
レモン。
ダイダラボッチの足跡。
琵琶尾を掘った土を運んで富士山を造ったという、伝説の巨人ダイダラボッチの足跡と伝えられる池だそう。
尉ケ峰(じょうがみね)に腰をかけて弁当を食べたとき、ご飯の中に入っていた小石を浜名湖に捨てたら、礫島(つぶてじま)が出来たそうです。そして腰をかけた尉ケ峰は、少し低くなってしまった・・・どんだけ大きいんだか!
名古屋のでえたらぼっちのふりかけを思い出したのだった。
菜の花の先に・・・
山田一里塚跡。69里目。
少し進むと山村修理の墓所がある。
永禄11年(1568)、遠州に攻め入った家康に対し、尾藤主膳、山村修理等は一揆を企て、地元民男女1500~1600人とともに堀川城に立てこもったが、禄12年(1569)3月、家康軍の攻撃の前に1日で落城、捕虜700人が呉石の塔の下で処刑されたと言い伝えられている。落城のとき舟で逃れた山村修理は、この場所で燃え落ちる堀川城を見ながら切腹。村人が霊を弔うため植えた松は「修理の松」と呼ばれていたが、その後枯れてしまった。
永禄12年(1569)の山村修理殿墓。
永禄12年3月27日の堀川城戦死之碑。
アマノの工場を通り過ぎる。
(東海道の石薬師宿の天野修一氏、生家前の写真が残ってました。)
呉石田園公園がある前の二宮尊徳翁の像。
横には呉石学校の跡碑がある。ここは呉石学校の跡地であった。
旧細江町のマンホール発見。
銅鐸、町の花の桜、銅鐸の真ん中には日本最古の海路標識として
1200年前に建てられたという引佐細江の澪つくしがデザインされている。このあたり、全国有数の銅鐸の出土地なのだそう。
諏訪神社参道。
秋葉山常夜燈鞘堂の上のこれってコウモリ??
ここから上がっても行けたのだが、全得寺の参道を上がっていく。このお寺は、堀川城の戦いの際に討ち死にした武将の一人武田高正の創建。大正時代、堀川城主新田喜斎を祀っていた知足院を合併した。
このお寺石像が多い。
青い色が塗られているもの。
双体道祖神?
阿弥陀様やら、地蔵菩薩、如意輪観音、弘法大師などなど。
上の道に出るとレリーフ型の六地蔵もあった。
少し進むと気賀近藤家墓所がある。
気賀近藤家は明治維新まで250年の間、12代にわたりここを領地として関所をおさめていた。
このうち9名のお墓があるのだが、「用」をもちいた名前なんですね。
左。
正面。
右。
さらに進むと、六地蔵。
そして、姫地蔵。近藤家の姫が願掛けしたところ、できものが治ったことから姫地蔵と呼ばれるようになったそうだ。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています
(1より続き)
まもなく引佐峠到着。標高200メートル。
本坂峠に比べるとずいぶんと楽に登ってこられた。
南に行くと、ゆるキャン△2に出てきた奥浜名湖展望公園に行けるのだが、相当遠い寄り道なのでもちろんあきらめる。展望台は老朽化で取り壊されてしまったらしいし。
トレッキングポールを今回も持ってきてはいたのだけど、大丈夫そうということで、なしで下りはじめる。
オレンジロードを交わるところに東屋。
今までの姫街道の道標が、木風(実際はコンクリート)のものに変わった。
しばらく下っていくと、浜名湖が見えた!
そして、峠を越えてもみかん畑が続いていたのだが、大きな柑橘類が!晩白柚である。たべたいな~
ぐいぐい下っていくと姫岩の説明板があった。
ところが・・・
東屋の脇にあったらしい姫岩をスルーしてしまった・・・
地蔵が目に入ってそのまま突き進んでしまったせいである。
それがこの岩根地蔵。
赤い服が目立つ。顔はかわいいですね。
ほどなく石畳も終わり、舗装路に出る。峠越え終了!
また湖が見えてきた。
ここで街道から離れ、西気賀駅へと向かう。
目指すは駅にある洋食屋さん。
やはり冬の間は寒いので屋内で食べたいところだ。
昭和13年に建てられた西気賀駅本屋、待合所は登録有形文化財。
えんちゃんプリンス岬とあって、なんだろうと思ったら、駅の向こうは岬となっていて、天皇陛下が皇太子時代に夏に静養にきていたことから、プリンス岬と呼ばれているそうな。
駅に併設されているグリル八雲さんでいただいたのは・・・
ハヤシライス。
ケチャップ味の強いハヤシライスで懐かしい感じ。おいしくいただいて完食。
浜名湖を間近に見つつ、街道へと戻っていく。
踏切を渡ったところで、電車がきそう・・・ということで慌ててカメラを構える。きたのは、どうする家康のラッピング車両だった。
そういえば、前に女城主直虎をやっていた時に、掛川駅でそのラッピング車両を見たっけ。
街道に戻り、少し下ると薬師堂があった。
御堂の脇にある秋葉山常夜燈は文化2年(1805)のもの。
道はまた上がっていく。
石畳を上がっていくと小引佐と呼ばれるところ。
このあたりの解説版はみな切り絵なんですね。
浜名湖のいい眺め。
ズームしていくと、パルパルの大観覧車が見えた。
賽ノ神。
さらに上がっていくと、清水みのるの詩碑があった。
「尋ねようもない幾年月の流れの中で姫街道は今も静かに息づいている」
清水みのるは細江町出身の作詞家で、田端義夫の「かえり船」や「かよい船」など数々のヒット曲の作詞をしているらしい。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています
先々週に続いて、助っ人加えて3名での姫街道歩き。
前回はとても寒かったが、今回は朝夕は寒かったものの、昼間は12度近くなって、セーターを脱いだほど。歩き日和でした。
東京駅7時3分発のひかりに乗り、浜松着8時27分。50分始発の東海道線に乗り換え、新所原駅着9時15分。
天竜浜名湖鉄道に乗り換える。
ヤマハの電動アシスト自動車のラッピング電車に乗り込む。9時32分発。お隣の駅で待ち合わせがあったが、あっちもラッピング電車だな、撮影している人がいるなと思ったら、ゆるキャン△のラッピング電車!あーあ、あれに乗りたかったな・・・
9時56分ようやく前回のゴール都筑駅到着。
身支度を整え、温かいお茶を買って10時5分すぎ出発。
御殿道の説明板のところで姫街道に復帰、ほどなくトンネルで東名高速をくぐる。昭和44年開通の高速によって姫街道は分断されてしまっているのだ。
東名に沿って少し歩いて左折。
すると、槙の生け垣の家が並んでいる。駒場の集落である。
慈眼寺。
明治初年の大火で古い寺は焼失したが、後に佐久米の阿弥陀堂を移築している。
左に見える秋葉常夜燈は文化2年(1805)のもの。
庚申堂にはこうした天井絵があるらしいのだけれど、見ることはできない。
大谷代官屋敷跡。江戸にいる領主大谷近藤家に代わって領内を支配した大野家の屋敷で、門が今も残る。
和田牧場の看板のところを右折してしばらくいくと黒坂の森(六部の森)が見えてきた。
明和4年(1767)、生き倒れとなった修行僧円心を祀ったところである。
祠の中の観音菩薩。
坂を上がっていく。まだまだみかん畑が続いている。
上がったところにあるのが茶屋跡で、下りはじめたところに、和田牧場がある。三ヶ日牛を育てている牧場とのこと。
そういえば、前回は三ヶ日牛のお弁当を食べたのでした。
大谷一里塚跡。70里目。
少しずつ道は上がっていく。
みかん畑を見渡しつつ、お茶休憩。
ここから石畳舗装の道を上がっていく。
石垣が造られた杉林だ。
石投げ岩。
引佐峠を越える旅人がこの岩に石を投げて旅の無事を占い祈った。投げた石がこの岩に乗ると無事峠が越えられる・・・ということで近くから石を投げてみた。ちゃんと乗ったので越えられるでしょう。
このあたりが象鳴き坂かな?そんなにたいしたことないねと話ながら登っていくと・・・
いや、ここか!確かにカーブがきつくて急坂だ。
享保14年(1729)8代将軍吉宗に献上された象が船で渡る今切をさけ、姫街道で江戸へ向かう途中、ここの急傾斜に悲鳴を上げたので象鳴き坂と呼ばれるようになったらしい。象さんかわいそう・・・
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
オーストラリアの赤ワイン。
家族経営のワイナリーのワインとのこと。
注いでみると、色は濃いめ。
飲んでみると、シラーズにしては味は濃くないかな。マイルドなワイン。
悪くはないけれど、シラーズだったら、もっと濃いめがいいかな。
イタリア・ヴェネト州の赤ワイン。
注いでみると、結構濃い色というか茶色がかった色なので、ちょい心配になる・・・
飲んでみると、甘いな~
干しぶどうのニュアンスで、色から想像した通りの味。
で、調べてみたら、これ甘口のデザートワインなんですね。どうりで!
お料理とあわせるのはちょっと難しいけれど、食後ならいいかも。
ミャウは何種類もあって、安いので時々飲むワイン。
でも、シャルドネは初めて・・・多分。
ラベル好き。
注いでみると、やや黄色みを帯びている。
飲んでみると、ん??これシャルドネ。
ちょっと甘いのだけど・・・
いや、それが悪いのではなくて、シャルドネ感がなかったのです。
ボルドーの赤ワイン。
注いでみると、明るめの紫色。
飲んでみると、ちょっと若い感じもあるけれど、甘みがほどよく、飲み午後地のよいワインでした。
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