姫街道歩き(第3回) 都筑駅~気賀宿1
先々週に続いて、助っ人加えて3名での姫街道歩き。
前回はとても寒かったが、今回は朝夕は寒かったものの、昼間は12度近くなって、セーターを脱いだほど。歩き日和でした。
東京駅7時3分発のひかりに乗り、浜松着8時27分。50分始発の東海道線に乗り換え、新所原駅着9時15分。
天竜浜名湖鉄道に乗り換える。
ヤマハの電動アシスト自動車のラッピング電車に乗り込む。9時32分発。お隣の駅で待ち合わせがあったが、あっちもラッピング電車だな、撮影している人がいるなと思ったら、ゆるキャン△のラッピング電車!あーあ、あれに乗りたかったな・・・
9時56分ようやく前回のゴール都筑駅到着。
身支度を整え、温かいお茶を買って10時5分すぎ出発。
御殿道の説明板のところで姫街道に復帰、ほどなくトンネルで東名高速をくぐる。昭和44年開通の高速によって姫街道は分断されてしまっているのだ。
東名に沿って少し歩いて左折。
すると、槙の生け垣の家が並んでいる。駒場の集落である。
慈眼寺。
明治初年の大火で古い寺は焼失したが、後に佐久米の阿弥陀堂を移築している。
左に見える秋葉常夜燈は文化2年(1805)のもの。
庚申堂にはこうした天井絵があるらしいのだけれど、見ることはできない。
大谷代官屋敷跡。江戸にいる領主大谷近藤家に代わって領内を支配した大野家の屋敷で、門が今も残る。
和田牧場の看板のところを右折してしばらくいくと黒坂の森(六部の森)が見えてきた。
明和4年(1767)、生き倒れとなった修行僧円心を祀ったところである。
祠の中の観音菩薩。
坂を上がっていく。まだまだみかん畑が続いている。
上がったところにあるのが茶屋跡で、下りはじめたところに、和田牧場がある。三ヶ日牛を育てている牧場とのこと。
そういえば、前回は三ヶ日牛のお弁当を食べたのでした。
大谷一里塚跡。70里目。
少しずつ道は上がっていく。
みかん畑を見渡しつつ、お茶休憩。
ここから石畳舗装の道を上がっていく。
石垣が造られた杉林だ。
石投げ岩。
引佐峠を越える旅人がこの岩に石を投げて旅の無事を占い祈った。投げた石がこの岩に乗ると無事峠が越えられる・・・ということで近くから石を投げてみた。ちゃんと乗ったので越えられるでしょう。
このあたりが象鳴き坂かな?そんなにたいしたことないねと話ながら登っていくと・・・
いや、ここか!確かにカーブがきつくて急坂だ。
享保14年(1729)8代将軍吉宗に献上された象が船で渡る今切をさけ、姫街道で江戸へ向かう途中、ここの急傾斜に悲鳴を上げたので象鳴き坂と呼ばれるようになったらしい。象さんかわいそう・・・
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
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