姫街道歩き(第3回) 都筑駅~気賀宿3
(2より続き)
今度は坂を下って行くが、いろいろな柑橘類がある。
金柑。
レモン。
ダイダラボッチの足跡。
琵琶尾を掘った土を運んで富士山を造ったという、伝説の巨人ダイダラボッチの足跡と伝えられる池だそう。
尉ケ峰(じょうがみね)に腰をかけて弁当を食べたとき、ご飯の中に入っていた小石を浜名湖に捨てたら、礫島(つぶてじま)が出来たそうです。そして腰をかけた尉ケ峰は、少し低くなってしまった・・・どんだけ大きいんだか!
名古屋のでえたらぼっちのふりかけを思い出したのだった。
菜の花の先に・・・
山田一里塚跡。69里目。
少し進むと山村修理の墓所がある。
永禄11年(1568)、遠州に攻め入った家康に対し、尾藤主膳、山村修理等は一揆を企て、地元民男女1500~1600人とともに堀川城に立てこもったが、禄12年(1569)3月、家康軍の攻撃の前に1日で落城、捕虜700人が呉石の塔の下で処刑されたと言い伝えられている。落城のとき舟で逃れた山村修理は、この場所で燃え落ちる堀川城を見ながら切腹。村人が霊を弔うため植えた松は「修理の松」と呼ばれていたが、その後枯れてしまった。
永禄12年(1569)の山村修理殿墓。
永禄12年3月27日の堀川城戦死之碑。
アマノの工場を通り過ぎる。
(東海道の石薬師宿の天野修一氏、生家前の写真が残ってました。)
呉石田園公園がある前の二宮尊徳翁の像。
横には呉石学校の跡碑がある。ここは呉石学校の跡地であった。
旧細江町のマンホール発見。
銅鐸、町の花の桜、銅鐸の真ん中には日本最古の海路標識として
1200年前に建てられたという引佐細江の澪つくしがデザインされている。このあたり、全国有数の銅鐸の出土地なのだそう。
諏訪神社参道。
秋葉山常夜燈鞘堂の上のこれってコウモリ??
ここから上がっても行けたのだが、全得寺の参道を上がっていく。このお寺は、堀川城の戦いの際に討ち死にした武将の一人武田高正の創建。大正時代、堀川城主新田喜斎を祀っていた知足院を合併した。
このお寺石像が多い。
青い色が塗られているもの。
双体道祖神?
阿弥陀様やら、地蔵菩薩、如意輪観音、弘法大師などなど。
上の道に出るとレリーフ型の六地蔵もあった。
少し進むと気賀近藤家墓所がある。
気賀近藤家は明治維新まで250年の間、12代にわたりここを領地として関所をおさめていた。
このうち9名のお墓があるのだが、「用」をもちいた名前なんですね。
左。
正面。
右。
さらに進むと、六地蔵。
そして、姫地蔵。近藤家の姫が願掛けしたところ、できものが治ったことから姫地蔵と呼ばれるようになったそうだ。
(4へ続く)
マップはこちらを使っています
« 姫街道歩き(第3回) 都筑駅~気賀宿2 | トップページ | 姫街道歩き(第3回) 都筑駅~気賀宿4 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋6(2024.05.04)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋5(2024.05.03)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4(2024.05.02)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3(2024.05.01)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2(2024.04.29)
nishinocciさん こんにちは。
ブログでは,はじめての訪問になります。
私はずいぶん前に歩いたので,懐かしく拝見しました。
姫街道も順調に進み,あとは平坦な道なりますね。
お疲れ様です。
これからは温かくなるので,歩きやすくなりますね。
頑張ってください。
(ねこはぎ)
投稿: 萩さん | 2023/02/08 11:00
ねこはぎさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
すでに歩かれたのですね。
峠越えを終えてほっとしています。
あと2回はほぼ平坦のようなので、ちょっと気楽ですね。
頑張ります。
投稿: nocci | 2023/02/09 00:39