姫街道歩き(第4回) 気賀宿~自動車学校前駅2
(1より続き)
次第に明るくなってくると・・・
姫の絵が描かれた配水タンクがあった。ここからはまた舗装路に。
すぐ先に老ヶ谷の一里塚跡があった。68里目。
かつて近くには富士見茶屋があったという。
このあたり、収穫は終わってしまっているが、若干のみかん畑が残る。
千日堂。
老ヶ谷原山新開発の褒賞として建てられ、寛文11年(1671)呉石の近藤家下屋敷にあった観音石像を移して祀られている。宝永年間に千日念仏を行ったため千日堂と呼ばれるようになった(現在でも毎月9日に念仏講が続けられているそうだ)。
文化8年(1811)建立の秋葉常夜燈。
このあたりからも秋葉神社へと詣でる人たちがいたんでしょうね。
秋葉道は何ルートかあるようだけれど、いずれも最後の方が交通の便が悪そうだ。
ここを左折。
しばらく歩くと六地蔵があった。正徳2年(1712)建立。
昔のこの裏の竹藪に刑場があり、刑死者の霊を弔うため建てられたという。
その向かいの道標には「右 大山 和地 庄内 方面」 「左 浜松方面」 と刻まれる。
ほどなく県道に合流した。
カーブミラーに姫様がついている!さすが姫街道!
曲がり松。
500年以上たっているにしては小さい・・・と思ったらこれは三代目。
でもちゃんと曲がってる!
姫街道と庄内二俣線(旧道)の交差点で、江戸時代には、気賀の領主や街道を通る行列を送迎した場所だったそう。
松島十湖句碑。
「別れるは また逢ふはしよ 月の友」友との別れはまためぐり会うきっかけだよ、という意味なのだそう。
そのすぐ先のまるたま製茶に寄る。自社農園でのお茶を販売する。
おみやげのお茶とほうじ茶葛餅を購入。
道は下っていく。
途中の法面の急な階段を上がっていくと、大谷の石仏があった。
他にも石造物があったが、なんだかわからず。
大谷川を大谷橋で渡り、今度は道を上がっていく。
昔はこの川を飛び石を渡って通行したとのこと。
お茶畑が見えてきた。
ここに江川永脩屋敷跡碑がある。
この人物は江川太郎左衛門の一族。へー、36代目はあの韮山反射炉の建設をした人なんですね。
永脩は明治にはいって入植、茶園を造営したが断念。今では茶畑となっている。
このあたりから松並木がはじまる。
昭和27年の大火により消失した小学校の再建のために北側は伐採されてしまったが、片側は3.8キロに渡って残っており、200本以上あるという。
ほどなく、カントリーレストランこくりこ大山店に到着。12時少し前。
中に入ってみると五組待ちでどうしようかと思ったが、この先で食べるとすればまだだいぶ歩かないといけないので、待つことに。
それほど待たずに案内されたけれど、人気店なんですね。
注文したのは、ふわふわお好み焼き。
折りたたまれているのかな。確かにふわふわでおいしい!
結構ボリューミーでおなかいっぱいになった。
外に出てみると、結構な強風。天気予報でも午後から強い風になるとのことだったのだが、それほど寒くはない。
大山入口交差点の手前に東大山一里塚がある。67里目。
両塚残っているけれど、低いですね。だんだん低くなっちゃったんでしょうか?
北側。
南側。
南側の塚の手前には馬頭観音がある。
といっても、馬頭には見えないんだよな~
(3へ続く)
マップはこちらを使っています
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