姫街道歩き(第4回) 気賀宿~自動車学校前駅4
(3より続き)
追分一里塚。66里目。
南側のみ現存だが、これも低いですね。
三方原台地から二重坂を下り、豊隆団地交差点から左の旧道へと入る。
入ったところにあるのが浜松市域の姫街道最古の道標で、天保3年(1832)のもの。いまいち読みづらいけれど、「右 きが かなさし」「左 庄内道」と彫られているようだ。
秋葉常夜燈鞘堂。
このあたりから宇藤坂を下って行く。
立派な御屋敷が多い。槙の垣根が続く。
左折して見に行ったのは旧俊光将軍社。坂上田村麻呂の子俊光が武勇の守護神として祀られていたが、明治40年、このあと行くことになる有玉神社に合祀された。
街道に戻って、さらに宇藤坂を下って県道に出てふと左を見ると、富士山が見えた!!
このあたりからも見えるのですね。
階段を降りてさらに下る。
馬込川を五枚橋で渡る。かつてはもう少し下流の方にあったらしい。
このあたりから半僧坊里程石がたくさん見られるようになる。
これは四里廿丁。
明治14年に奥山方広寺で大火があったが、半僧坊本殿は焼失を免れ、半僧坊への信仰が高まって参拝者が急増。そのため、多くの里程石が設置されたのだそうだ。
少し前から次々と降りて行く飛行機が見えたが、航空自衛隊の浜松基地がすぐ近くにあるわけですね。
最後の寄り道、有玉神社。
高速をくぐって行く。
家康が大阪の役から帰陣する際、戦場で乗った馬を寄進したことから、流鏑馬が行われるようになったそう。
俊光将軍社。
八幡大菩薩。なぜか、割烹着を着ている??
拝殿。
街道に戻り、自動車学校前駅に到着。
切符を買って時刻表を見ると、あと1分もないうちに3時44分の電車がくる!ということで慌ててホームへ。
赤い電車が入ってきた。
12分で新浜松駅到着。少し歩いて浜松駅へ。
ささっと駅弁とおみやげを買って、4時25分のこだまに乗り込む。
かなり早めではあるが、5時過ぎに駅弁タイム。
今回はしらす弁当。と静岡麦酒。
一日に必要なカルシウムの2分の1の量を摂取!
まだまだ明るかったので、富士山の写真も撮れてごキゲンだ。
日が沈む頃の富士山。
東京には6時18分着。順調に乗り継いで帰宅は7時半前だった。
おみやげはまるたま製茶おおちゃと焙じ茶葛餅、浜松駅の直営店で買った花の舞純米吟醸。
約35300歩。寄り道がいろいろあったので、それなりに歩きました。
次回はいよいよゴールです。
(完)
マップはこちらを使っています
« 姫街道歩き(第4回) 気賀宿~自動車学校前駅3 | トップページ | 【佐伯祐三 自画像としての風景展】 »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋6(2024.05.04)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋5(2024.05.03)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4(2024.05.02)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3(2024.05.01)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2(2024.04.29)
コメント