姫街道歩き(第4回) 気賀宿~自動車学校前駅1
先々週に続いての姫街道歩き。
前回、気賀四ツ角で終えていたので、そこまでバスで行って再開のはずだったのだが、うっかり犬くぐり道を前回見るのを忘れてしまい、とても残念な気持ちだったので、少し戻ることにはなるが見ようということになった。
東京駅6時半のこだま自由席に乗り、浜松駅到着8時18分。
8時30分発気賀駅行きの遠鉄バスに乗る。三方原の追分からはほぼこの日歩く道である。
バスは15分ほど遅れて9時40分前に到着。早速歩き始める。
前回行った浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館のすぐ先が、犬くぐり道だったのだ。
これまた前回飛ばしてしまった東林寺。
貞観6年(864)、行基の開基。後醍醐天皇の皇子、円明大師が暮らしたという。
山門が立派だが、これは奥山方広寺から嘉永7(1854)年に移された。
さて、犬くぐり道。
ちゃんとむしろが垂らしてある!みおつくしのマークが描かれている。ちょっとかがんで下を通ってみる。
いやはや、あらためて行ってみてよかった。
街道に戻る。
ポケットパークのところが実質的なスタート地点だ。
天竜浜名湖鉄道の高架をくぐる。ちょうど電車が通らないかな~と思ったけれど、残念!一時間に1本ではね・・・
都田川を落合橋で渡る(うっかり宝生地蔵を見忘れる・・・)。
右が都田川、左は井伊谷川。川が落ち合う場所にかかっているので落合橋というのですね。
かつて落合の渡しで川を渡っていたが、明治になって旧落合橋が架けられた(その後新しい落合橋が架けられている)。
橋を渡って下に降り、少しだけ川べりを進んで右折。この曲がるところあたりに昔渡しがあった。
金襴池の伝説の説明板を見て(刑部城の城主の美しい姫が、攻め込んだ家康の軍に捕らえられないよう、池に入って金襴の蛇に姿をかえたという伝説。今は池はない)、ぐるりと刑部城址のまわりをまわっていく。
水田が広がる。条里制により造られたもので、近年まだ地割が残っていたという。
城址はこんもりとした丘になっている。
上にあがってみると、金山神社となっているけれど、お城にしてはちょっと小さいような?永禄11年(1568)年落城。
県道をわたって旧道を先に進む。
宗安寺の参道を上がってみる。
梅が咲いている。
跡地には何もない(奥に地蔵があったらしいが)。明治の廃仏毀釈で廃寺となり、山門は気賀の正明寺(前回に見た)に移転した。
天生5年(1587)、この先の長坂で何者かに殺された服部中保次を弔うために建立された。
ちょっと寄り道。
その服部中保次の墓を訪ねる。
この人物は、桶狭間の戦いで織田信長の家臣として今川義元を討ち取った服部小平太と解説にあったが、同一人物ではないという説もあるらしい。
元に戻って、秋葉鞘堂のところを上がっていくのが街道(長坂)。
中には復元された燭台があった。
土の道を上がって途中一回新道を横切る。
さらに山道を上がっていくと・・・
途中には服部中保次(小平太?)最期の地の碑がある。
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
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