姫街道歩き(第5回) 自動車学校前駅~市野宿~見付宿5
(4より続き)
妙法寺。
半場善右衛門のお墓があるという。
本堂。
このあたりのお寺、ソテツがあるなあ。
街道に復帰、ポケットパークに熊野御前の物語の碑があった。
これは第四場。
その先にもポケットパークがあり、第五場の碑があった。
どうやら6つのポケットパークに碑があるらしい。残念ながら全部は回れない。
その後道はジグザグに進む。のどかな風景だ。
智恩斎。
ここに一言観音がある。
家康が一言坂の戦いで武田軍に包囲された時、この観音に 「助けてくれ」 と頼んだところ、武田軍の包囲網が崩れ、脱出することが出来たのだそう。
一言でお祈りするのは難しいなあ。
別のマンホール。市の虫で桶ヶ谷沼に生息するベッコウトンボのデザイン。
一言坂を登っていく。
三箇野川の戦いで武田軍に敗れた徳川軍は、浜松城を目指して敗走たが、一言坂で追いつかれ、再び合戦となった。この時敗走する徳川軍を救ったのが、家康重臣の本多平八郎忠勝。平八郎は 「とんぼ切り」 といわれた大槍を振り回しながら一人奮戦し、枯れ草に火をかけ、その煙の中、見事に味方の軍を退却させた。
敵の武田軍も、この時の武勇をたたえ、「家康に過ぎたるものが二つある。唐の頭(兜)に本多平八」 と書いた札を磐田市国府台に立てたと言われている。
いったん国道に合流するが、警察署の脇からまた旧道に入る。
と、桜が満開。
かぶと塚公園に寄る。
ここには兜塚古墳がある。
古墳時代中期(5世紀ごろ)に造られた直径80m、高さ8mの大きさの円墳で、県内最大の円墳だそうだ。上がってみても広い。
坂を下って行くと、分岐に元治元年(1864)の常夜燈があった。
さらに進んで・・・
ついに姫街道ゴール!!
東海道を歩いた際、この道標は見ていたけれど、まさか歩くことになるとは!
この後は東海道を歩いて磐田駅に向かう。
東海道を歩いた際は、日が暮れてちゃんと写真が撮れなかったところに寄ってみる。
西光寺。
表門は、徳川家康が別荘として中泉村に築かせた中泉御殿(のちの中泉代官所)の表門を移築したものだ。
寛政元年(1789)の鐘楼門は、ハートだの星だのがついている。恋愛成就・縁結びのパワースポットになっているらしい・・・
(6へ続く)
マップはこちらを使っています
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