姫街道歩き(第5回) 自動車学校前駅~市野宿~見付宿4
(3より続き)
粒見堂。
永享6年(1434)、妙法寺二代目の僧侶が天竜川に聖観世音が浮かぶ夢を見たところ実際発見されたので、村人たちが穀物(粒)の喜拾を乞うて建立したという。
左右にお地蔵様。
この前には半鐘がついた常夜燈があった。
奥にあるのが天白神社。
桜がまたまた咲いている。河津桜だろうか。
境内にはまたまた半僧坊里程石があった。
道が突き当たって川の方に行くと、池田橋の跡碑がある。
池田橋は、明治16年(1883)に架橋された有料の木橋だった。
徳川家康が渡船衆に与えた天竜池田渡船許可証のレプリカもある。
川の遠くに見える山々はなんだろう。
池田の渡し歴史風景館を見学。
池田の渡しの歴史などの解説がある。
一言坂の戦に敗れ敗走する家康が天竜川の渡河に難渋していると、船頭方の善右衛門が船頭衆を集め、西岸に無事、渡し、半場の姓をいただいた。善右衛門は武田軍の追撃を阻むため舟と櫓を隠し、その功績から家康より天竜川渡船の権利を賜った。
池田宿は間の宿として栄え、どじょう汁などが名物だったらしい。
この前に秋葉山常夜燈。石積みが美しい。
行興寺にも寄る。
熊野(ゆや)御前が延久元年(1069)母の死後一宇を建立し、母を弔って暮らした場所だが、藤が有名とのこと。
熊野は見付の国府に赴任した平宗盛(平清盛三男)に見初められたが、母親が病気で暇をねがいでたものの許されなかった。が、涙ながらに読んだ和歌を聞いて哀れに思った宗盛は願いを聞き入れて熊野は故郷に戻ったのだそう。
残念ながらこの季節では木しか見られない。
が、立派な藤が並んでいる。樹齢300年の長藤。
こちらは樹齢850年。
熊野御前と母の墓。
お墓の上にも藤がありますね。
(5へ続く)
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