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2023年4月

2023/04/30

日野:マンマ・パスタ 日野店

八王子市夢美術館に行く前の昼食。

見終わってから食事にするより、ちょい12時より早めに入店する方がすいているかなあと思っていってみたら、やはり!
入店したときにはあまりお客さんもいなかったが、出る頃には結構いて、やはり早めがいいですね。

以前行った時にも季節メニューからえらんだけれど、今回も「春の海の幸で楽しむイタリアン」の中からチョイス。

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桜海老と春野菜のサラダ仕立て・新玉ねぎドレッシング。
スナップエンドウ、ミニトマト、ブロッコリー、ファーベ入り。
ファーベというのはイタリアの空豆で、えぐみがあまりなく、生食できる。日本のよりも小粒ですね。

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釜揚げしらすとモッツァレラのナポレターナピッツァ。
春と言えばしらす!意外ににんにくが聞いたピッツァ。

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たっぷり3種の貝とチェリートマトのナポリ風リングイネ。
3種ってなんだろうと思っていたら、はまぐり、あさり、ムール貝。たっぷり入っている。

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仔羊とファーベのラグーソース・ペコリーノチーズがけペンネ。
ここにもファーベが!仔羊のお肉はよく煮込まれていてとてもやわらかい。

今度また行った時も、季節メニューから選びそうな気がするな。


東京都日野市万願寺5-14-7

2023/04/29

瀬戸内酒造店 純米吟醸 ぴいひゃら

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神奈川の開成町の酒造のお酒。
神奈川生まれだけれど、この酒造さんは知らなかった・・・

この酒造さんのお酒、ネーミングがおもしろくて、他に「いざ」「かくかくしかじかじか」「月が綺麗ですね」「手の鳴る方へ」「I'LL be badk」などなど。
なんかおもしろくていろいろ買っちゃいそう!
これはいただきものだったのだけど。

飲んでみると爽やかな甘さで、飲みやすい。あとに残らない甘みがとてもいいですね。
お肉料理にあうとのことで、実際お肉とともにいただいたけれど、魚でもよさそうな?

 

2023/04/28

大谷資料館

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10分ほどで資料館到着。
中を見学する。
中の温度は7度ということで、シャツ1枚では寒く、上着を着る。

ここの地下採掘場跡は、1986年まで70年の間大谷石を採掘して出来た地下空間で、2万平方メートルの広さ、深さは平均30メートルもある。戦時中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用されていた。
栃木県を歩いていると、そこかしこに大谷石の蔵があったが、帝国ホテル旧本館(現在は明治村にある)も大谷石だったんですね。

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入口から階段で下がっていく。確かに広い空間だ。

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こんな人形がそこかしこに?と思ったらこれだけだった。

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インディ・ジョーンズに出てくる洞窟のよう!と思ったら、いろんな映画の撮影に使われてるんですね。「セーラー服と機関銃」も?どの場面だろう。

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外が見える空間もある(撮影するとよくわからないけれど)。

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芸術品もいろいろ飾ってあったり。

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採掘が始められた江戸中期から昭和34年頃までは手堀り(ツルハシで)だったとのことで、そうした跡が残っている。

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以前ここで假屋崎省吾の展覧会が開かれたとのことで、一部その展示品が残っている。不思議とあうかも???

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ハムナプトラシリーズにも出てきそう!

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機械掘りの跡。

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アップ。
手掘りの頃は一日で加工できるのは一人あたり10本だったが、機械化されて50本加工できるようになったのだそうだ。

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これも假屋崎氏の作品?

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神秘的な空間。

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石をつり上げるためのウインチ。

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石材裁断機。

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こういう積み方はおもしろい。

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光が降り注ぐ。

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石の華。大谷石に含まれる塩分が冬場の乾燥期に噴き出るもの(夏場は消滅する)。

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資料室は道具などの展示。

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ツルハシを一日中使っていたら、腕が大変なことになりそうだ・・・

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見学を終えて苺のジェラートを食べ(この日はとても暑かった)、資料館前バス停へ向かう。

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ツグミさん。

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御止山西側の奇岩群。

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バス停の向こうには亀岩(手前)と兜岩(奥)が見えた。

16時37分のバスに乗り、17時10分前到着。
バスが遅れるかもとゆっくりの新幹線を予約していて、17時59分発のつばさに乗る。

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出発してすぐに、日没。

順調に乗り継ぎ、地元着19時20分。

居酒屋さんにて乾杯!

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ホタルイカとキャベツの酢味噌和え、焼き空豆、あら煮、豚の角煮、殻付き帆立のバター醤油焼き。お酒は瓶ビールと越乃景虎。

21時帰宅。

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おみやげは、喜連宿紙屋の樺山錦(抹茶)と、宇都宮のお酒、七水。

街道歩き+αで約34000歩。

(完)

2023/04/27

大谷寺

奥州街道を喜連川宿で歩き終えて、氏家駅までバスで戻り、13時22分発の宇都宮線に乗り、宇都宮到着13時40分。

この電車に乗り遅れると大幅に行程が遅れるのでやめようと思っていたのだが、首尾よく乗れたので、観光案内所にて、大谷観光一日乗車券を購入。
宇都宮駅・大谷間のバス一日乗り放題、大谷資料館と大谷寺の入場チケットがついて1850円。資料館とお寺と両方行くのならばお得なチケットである。

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バスの時間まではまだ少しあったので、駅ビル内でおみやげ(お酒)を買い、餃子像をパチリ。大谷石で作られた、ビーナスが餃子の皮に包まれた・・・という像。

14時15分の大谷・立岩行きのバスに乗車。
ほぼ遅れずに14時45分すぎに大谷観音前バス停到着。

まずは平和観音を見に行くことにする。

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途中、天狗の投げ石なるものがあった。
天狗が投げて乗せたという伝説が残るもので、崖の上に岩がのっかっている。ちょっと顔みたいにも見える。

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平和観音。
第二次世界大戦の戦没者の霊を弔い、世界平和を祈念するため
昭和23年から6年の歳月をかけて彫られたもの。高さ約27メートルもあった大きい!

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手前には親子がえる。

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垣根堀りの採石場跡。

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大きな岩の間を歩いて大谷寺へと向かう。
創建は平安時代初期。弘法大師・空海によって開かれたと言われるお寺である。

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ずらりと並ぶ五輪塔も当然大谷石なんでしょうね。

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大谷寺山門。

本堂は岩というか洞窟に飲み込まれるような形で建つ。

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周囲はたくさんの石仏が。

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ここにも五輪塔がずらり。

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彫られた五輪塔など。

お堂の中は撮影禁止なのだが、弘法大師作と言われる大谷観音(千手観音)が見事な芸術である。作られた当時は金箔が押されていたとか。

続く部屋には釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の磨崖仏があり、いずれもすばらしい。

大谷寺の洞穴は、縄文・弥生時代の遺跡(大谷寺岩陰遺跡)であることが判明。もともとは横穴式住居であったと考えられており、宝物館には縄文最古の人骨も展示されている。しっかりとした形で残っている。
他に、土器や動物の骨などの展示もあった。

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奥には池があって、弁財天が祀られている。
白蛇が見えますね。

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昔、この池に毒蛇が住んでいて毒をまき人々を困らせていたが、弘法大師が退治、蛇は心を入れ替えて白蛇となり弁財天に仕えている・・・のだそう。

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蛇は2匹いました。

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大谷景観公園の脇を通って、大谷資料館へと向かう。

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お手洗いも大谷石!

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観音かな?

(続く)

2023/04/26

奥州街道歩き第2回(氏家宿~喜連川宿4)

(3より続き)

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喜連川神社へと登っていく。
塩谷15代兵部大輔惟朝が尾張国津島牛頭天王宮の分霊を勧請して創建した神社だ。

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神輿殿。

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拝殿。

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奥の本殿がうっすら見える。

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参道を降りると伯耆禰神社があった。

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入口には大木2本。

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なんか手に見えますね。

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街道に戻って向かいのかぶらぎ時計店は旧旅籠山田屋徳平跡だ。

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和い話い広場に寄ってマップなどをいただく。
この建物は喜連川興業銀行本店だったもの。重厚な建物だ。

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割烹芳川屋は永井脇本陣跡。

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裏にまわると明治天皇御小休所碑がある。

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再現された喜連川城大手門。
奥はお円山公園となっている城址だ。

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斜め向かい側は本陣跡。
街の駅本陣で、今はそばやさんがある。大正15年(1926)建築の喜連川警察署の建物で、飲用専用の自噴井戸がある。

さてそろそろお昼。

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ということでHAYAKIKAZE cafeにて昼食。
先日、ふるカフェ系ハルさんの休日でやっていたお店だ。

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頼んだのは、喜連川サンド(プレミアムヤシオマス、なすの漬物、玉ねぎ他野菜)、あんバタートースト。飲み物は紅茶(アールグレイ)。
サンドイッチおいしい!そしてあんこが甘さ控えめで大変よろしい。

向かいの和菓子紙屋さんで、大正天皇献上品の打菓という樺山錦(抹茶)を買い、まだバスの時間までちょっとあったので、少しだけ先に進む。

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仲町交差点の向こうは枡形になっているのが見える。

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たかしお薬局。

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野口雨情の妻ヒロの実家である(のちに離婚)。

さて、そろそろバス停に戻らないといけない時間に。

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市営駐車場のところにある喜連川本町バス停から、氏家駅行きのバスに乗る。
氏家発13時22分の電車に乗りたいのだが、定刻に着いても9分しかなく、バスは遅れるし・・・案の定バスは5分ほど遅れてきて、これはもう無理かなと思っていたのだけど、なんとか取り返した!

ということで、予定通りの電車に乗れた!
これに乗れるかどうかでその後の予定が違ってくるのである。

街道歩きはこれにて終了。
次回は大田原まで行かねばならず大変な行程になりそうだ。

(完)

2023/04/25

奥州街道歩き第2回(氏家宿~喜連川宿3)

(2より続き)

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田園風景の中を進んでいくと・・・

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交通安全地蔵尊があった。

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ビニールハウスがあり、何かなと思って見てみると苺!

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またもや愛宕山神社があった。
ここの鳥居も両部鳥居。
参道口には二十三夜塔がある。

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その先にたくさんの勝善神があった。
一番大きいものは大正9年(1920)のもの。
勝善神は名馬の誕生と馬の安全や健康を祈るもののようで、奥州街道に多いようだ(日光街道でも見かけたが)。
馬頭観音と馬力神も見える。

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荒川沿いに突き当たったところで右折、連城橋で川を渡る。
この荒川は、高原山系釈迦ヶ岳に源を発し、内川を逢わせ、那珂川へと合流する。

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橋の袂には、「左下妻道 右江戸道」と彫られた寛延元年(1748)の道標がある。

橋を渡って喜連川宿に入ってきた。
古くは「狐川」という名で呼ばれていたこの地は、鎌倉時代から塩谷家が領有していたが、秀吉の東征の際、秀吉の怒りに触れた17代惟久が出奔。足利氏の流れを汲む古河公方家が後を継ぎ、「狐川」を「喜連川」と改めた。喜連川藩は足利氏の流れを汲む古河公方の格式を持ち、徳川幕府も参勤交代を免除するなど普通の大名とは別格の扱った。本陣1、脇本陣1、旅籠29。

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寒竹囲いの家を見ようと、左の道に入ったところで、新しいマンホール発見。旧喜連川町のもので、ツバメが3羽と、桜の花と葉が描かれている。この燕はハッピートリオという旧喜連川町のマスコットらしい。

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寒竹囲いは、喜連川6代城主茂氏が、傷みやすい板塀から、周囲に自生する寒竹の垣根を奨励したもの。

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いやしかし、これはこれで維持するのが大変そうな?

街道に戻り龍光寺に寄る。

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このマスコットはきつねのコンタ君かな?

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山門。
龍光寺は、鎌倉時代の武将・足利尊氏が創建したと言われている。

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このお寺には足利家歴代墓所がある。

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400平方メートルあるそうで広い。

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門の前には、一石六地蔵があった。

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本堂。

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ご住職さんが中にもどうぞと言ってくださったので、内陣に入る。ご本尊は十一観世音。

御用堀を見に行く。

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喜連川氏藩主十代目熙氏が、飲料、灌漑、防火用水の目的で堀を作ったものである。

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お花がきれいですね。

(4へ続く)

2023/04/24

奥州街道歩き第2回(氏家宿~喜連川宿2)

(1より続き)

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旧氏家町のマンホール。
葉っぱの傘を持ったカエルの親子がかわいい。
旧氏家町のイメージキャラクターの蛙、エルちゃんだそうだ。

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畑の向こうに山並みが見えて気持ちのいい歩きだ。

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一里塚が民家の中に残っている。狭間田一里塚(32里目)。塚の上には小社が乗っかっている。
奥州街道は一里塚がほとんど残っていないようなのである。

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新旧2つの大黒天があった。

 

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古い方の大黒天の台座には明治9~10年に高低測量を行った際の水準点の記号が彫られている。
当時、このあたりは水田が広がっており、不朽物がこの大黒天以外に見つからなかったためではないかと言われている。
標高158メートル。

自動車整備工場の方が、最近歩道が整備されて大黒天がちょっと移動したこと、そして先ほどから見えていた山が、やはり男体山と女峰山であることを教えてくださった。

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このあたりから見ると日光街道で見たのと少し形が違うかなあ。

ここから街道は弥五郎坂を上がっていく。

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勝善神。
右のも左の倒れているのも勝善神である。

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馬頭観音と寛政5年(1793)の二十三夜塔。

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早乙女坂古戦場跡が見えてきた。

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天文18年(1549)、那須氏、喜連川塩谷軍と宇都宮軍が激突、喜連川軍の鮎瀬弥五郎実光により宇都宮尚綱が討ち取られた。

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弥五郎は尚綱を弔うため祠を建て、五輪塔を安置したという。
昔は早乙女坂と言ったのを、弥五郎坂と呼ばれるようになったとのことだ。

少しずつ坂を上がっていく。

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八重桜が満開だ。

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日帰り温泉の早乙女温泉がある。
時間に余裕があれば温泉につかりたいところだが・・・
でもここで温泉に入っちゃったら歩く気力なくなるかも?笑

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セブンハンドレッドクラブ入口のあたりが最高地点だろうか。
標高ワカールで測ったところ、標高181.5メートルだった。
ここから道は下る。

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古道へと入る。

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木が生い茂っていて涼しい。

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苔が生えていて滑りやすいと聞いていたのだが、落ち葉で隠されそうでもない。

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高塩背山の墓入口。
高塩背山は、代々喜連川神社の神職を勤める家に生まれ、若山牧水と親交のあったさくら市を代表する歌人だそうだ。
上がっていくのは大変そうなのでパス。

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愛宕山神社も、道が荒れていそうだったので上がるのはパスした。鳥居は両部鳥居だ。

庚申塔4基を通り過ぎると、新道へ合流する。

(3へ続く)

2023/04/23

奥州街道歩き第2回(氏家宿~喜連川宿1)

奥州街道2回目は氏家から。
本来なら佐久山宿まで歩きたいところだが、バスの佐久山・野崎駅線が廃線になってしまったため(現在はデマンドのみになってしまった模様)、仕方なく今回は短いけれども喜連川までとして、次の回に大田原宿の手前まで歩くこととした。

前回同様、大宮6時37分のつばさに乗り宇都宮着7時。
7時17分の宇都宮線に乗り換え、前回ゴールの氏家到着は7時33分。早速歩き始める。

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前回は気づかなかったが、さくら市だけあって、駅にも桜が描かれている。さくら市の市章もさくらの花びらだし。

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ポストまでさくらだ。

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街道に出てまず寄ったのは光明寺。

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ぱっと目に飛び込んでくるのは不動堂の上の青銅不動明王坐像だ。

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でかい!
宝暦9年(1759)に鋳造された像で高さ3mもある。

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もう藤が満開だ。

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石井百僊とその子、石井青什の墓があった。
石井家は氏家宿脇本陣を勤め、百僊も青什も俳人としても有名だったそうだ。

上町交差点で右折すると2本に分かれて流れる五行川がある。

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まずは五行橋、

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続いて思案橋で渡る。

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応永31年(1424)開基の薬王寺。

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ご本尊は金剛界大日如来。
本堂は文政8年(1825)に改築されたものとのことだ。
ここにも藤が咲いていた。

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櫻野中交差点で左右を見ると、八重桜が満開だ。

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庄屋を勤めた村上家の棟木門。
享保8年(1723)の五十里湖決壊による洪水の時の水位を示す痕があり、解説が書いてあると聞いていたのだがなくなっていた。

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続いて見えてきたのが瀧澤家。
明治期に紡績業などで財を成した旧家である。
鐡竹堂は明治天皇の休息所として使用された建物だそうだ。

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外から望楼が見える。
洋風望楼は明治初期洋風建築の大きな特徴の一つとのことである。

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立派な長屋門。
中を見学したいところだったが、開館前で見られず。残念・・・

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桜野八幡宮は遠そうだったのでパス、先を進む。

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明治37年(1904)の十九夜塔、弘化2年(1845)の二十三夜塔、二十六夜塔。

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続いて寛政7年(1795)の馬頭観音と十九夜塔があった。

(2へ続く)

井上清吉商店 澤姫 特別本醸造 生

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先日、奥州街道を歩いて、白沢宿の酒蔵で買ってきたお酒。
この蔵はすべて栃木県産の米を使っているそう。

注いでみると、無償透明。
飲んでみると、ふわーっといい香り。
そして、まずまず辛口ですね。

これはなんでも料理にあいそうなお酒でした。

2023/04/21

ベルジュリー・ド・ラ・バスティード テール・デュ・シュッド ルージュ

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フランス、ラングドック・ルーションの赤ワイン。
グルナッシュ、メルロー、サンソー。南仏っぽい!

飲んでみると、ちょっと甘さを感じるけれど、飲みやすいワインですね。タンニン控えめでくせがない。
フツーにおいしいワインです。

 

2023/04/20

マニフィキュス ルージュ

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フランスの赤ワイン。
地方も品種も不明・・・
ブレンドってことでしょうか?

度数が11.5??赤なのにずいぶん低い。いやな予感・・・

予感は的中。
すごい薄いワインで、わざわざ薄めたんじゃないというくらい。ぎりぎり昼に飲んだらいいかもというワインでした。

 

2023/04/19

ラス・グアリダス テンプラニーリョ

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スペインの赤ワイン。
テンプラニーリョ100%。

注いでみると、きれいな赤紫色。
飲んでみると、とてもまろやかというか角のない味。
フルーティで、やや若めかなという印象でした。

2023/04/18

カリン・スローター『開かれた瞳孔』 

本日の本

book-4 『開かれた瞳孔』 カリン・スローター著 ハヤカワ・ミステリ文庫
  
STORY:レストランのトイレで女性教授が惨殺された。第一発見者となった検死官のサラ。やがて第2の事件が起き・・・
☆☆☆初カリン・スローター。

読むのがつらいかも?と思い、なかなか手に取らなかった本。
で、確かに読むのがつらい・・・というか、むごいお話で、描写もどぎついのである。

犯人は唐突に出てきて、振り返ってみると、まあこの人が犯人ねと思うのだけど、その動機がまた恐ろしい・・・
狂ってる・・・

メインの登場人物が皆いろいろありすぎで(過去がつらい)、救いがなくて息苦しくなるけれど、最後はちょっと光が見えただろうか。

サラと元夫の警察署長ジェフリーとの関係、強烈な個性の刑事リナの行方が気になるので、きっと次作も気が滅入るだろうなと思いつつ読んでみたい。

2023/04/17

よなよな月の生活(クラフトビール定期便)10回目

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昨日、クラフトビール定期便が届いた。
一昨日ちょうど飲み終わったところだったので、どんぴしゃ!

今回新しいビールはなかったけれど、久々登場なのは、クラフトザウルス・ブリュットIPA。これって度数が7%あって、ちょい濃い感じ。

次回は新しいのが出るかな?

 

 

2023/04/16

【江戸絵画お絵かき教室展】(後期)

art-8【江戸絵画お絵かき教室展】(後期) 府中市美術館

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府中市美術館、春の恒例企画、春の江戸絵画まつりの【江戸絵画お絵かき教室展】(後期)に行って参りました。
作品大幅入れ替えで、後期も楽しめます。前後期通しての作品もあるので、感想は簡単に。

1 四大テーマに挑戦
「唐子遊図屏風」(前期もあり)。でスタート。
(1)動物を描く
長沢蘆雪の雀。
「躑躅群雀図」。雀は淡い感じで描かれ、躑躅との対比がよい。
蘆雪は雀の頭を平らに描いたそうで、「群雀図」は特に平らだ。雀ってこんなに平らじゃないよね?
円山応挙の狗子図は、ホントにかわいい!うるっとした目もかわいいけれど、ぷにっとしたお尻も!
弟子の蘆雪の狗子図は、目がきりっとしていて、ちょっと漫画チックだ。「亀図」はささっと描いているようだけど、顔がいぬみたいだ。
河鍋暁斎「狼図」。切り取り方がおもしろいけれど、狼にしては足が長いような?

(2)人を描く
八田古秀「飲中八仙図」。ぐでんぐでんだったり、ねこけてたり。ユーモラス。
円山応挙「漁夫・樵夫図」。特に漁夫が応挙自身に似てる??

(3)花を描く
牡丹は江戸時代によく描かれた題材ということで牡丹の絵が並んでいた。
一番気になったのは壮紫石「蝦蟇仙人・牡丹図」。左右の牡丹は正統派の画なのだけれど、蝦蟇仙人はおかしみのある絵。

2 画材・技法・表具
谷文晁「金碧山水図」。色がすごいですね。青がとてもビビッド。「天台垂瀑図」。こちらは色ではなくて描き方が特徴的。
好きなのは浦上玉堂「清渓釣舟図」。牧歌的だ。
「葦原図屏風」。いやもう金、金、金でまぶしい。
菅井梅関「蛸図」。これはおもしろい。
鈴木其一「猫図」。かわいい!
鈴木守一「紅葉図」。葉っぱがそれぞれ違う色で描かれ、せみの抜け殻も。たらし込みの技法。鈴木其一の子なんですね。 
与謝蕪村「胡瓜図」。ちょっと太すぎるきゅうり!

3 江戸時代の画家はどうやって学んだのか?
(1)中国に学ぶ
伝徽宗「狗子図」。徽宗が絵を??犬の毛がとても細かく描かれている。
めずらしや猿の森狙仙「双狗図」は中国の絵が手本なんですね。

(2)雪舟に学ぶ
司馬江漢「駿州矢部富士図」。司馬江漢のこういう絵はあまり見ないですね。富士山はちょっと不思議な形だ。

(3)応挙に学ぶ
応挙の2枚の「鯉図」。さすが、うまい。本当に動いているよう。
岸駒「鯉図」。うーん、反転しているけれどそっくりですね。リスペクト作品。
長沢蘆雪はちょっとひねりを入れてきているし、やはりちょっと漫画チックだったりする。

(4)粉本に学ぶ、粉本を作る
灯籠や常夜燈のスケッチは、前期もあったかな?

(5)オランダ本に学ぶ
ヤン・ヨンストン「動物図鑑」を参考に描いた司馬江漢の「ライオン図」。やっぱりこれはライオンではないよね・・・

4 江戸絵画はヒントの宝庫
(1)国芳に劇画を学ぶ
(2)空を描く
(3)全部を描かない
(4)少ない色でカラフルに見せる
(5)塗り残して表す
(6)ぽつねんと描く
(7)見たままを描かなくてよい
(8)お手本はいらない

国芳の劇画調。迫力なんだけれど、たくさん見るとおなかいっぱいになりそうだ。
「東都御伯川岸之図」のような絵の方が好きかも・・・
お隣の司馬江漢の「七里ヶ浜図」は空が美しい絵。なんとなくブーダンを連想した。

前期は蘆雪「象背戯童図」の構図がおもしろいと思ったが、同じく蘆雪「富士見西行図」がまたおもしろい。西行がありえないくらいに首を曲げて上を見上げていて、富士山がすごーい上の方に描かれているという・・・
月岡雪鼎「里芋図」のはみで方もおもしろい。

住吉弘定「百鬼夜行図巻」。少ない色でカラフルに見せるというカテゴリーだったけれど、確かに数色しか使っておらず、濃淡でカラフルに見えるわけだけど、それより妖怪が楽しい!

蘆雪「鶏親子図」は塗り残しが効果的なのでしょう。
「狗児図扇面」は、ラッコだね、確かに。

池大雅「河豚図」。なぜ皮だけ描いたんだろう?

最近、毎年見るような気がする家光の「兎図」は、何度見ても変な絵だ。なぜその角度で描いたのか?兎の顔がおっさんだし(笑)。

今年も楽しい展覧会でした。
来年も行こう。

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2023/04/15

サントリー サントリー生ビール

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サントリービールの新製品。
ザ・モルツ缶の生産が終了ということで、その代わりだろうか・・・

缶のデザインがなんとなくスーパードライを連想させるもので、ちょっといやな予感が・・・

注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、薄かった・・・これほんとにビール?ビールじゃないみたい・・・
苦みもあまりなく、飲みやすいといえばそうだけれど、やっぱりもうちょっとコクが欲しいところ。

トリプル生って何かと思ったら、「トリプルデコクションで素材の特長を丁寧に引き出し、絶妙に調和させた生ビール」ということらしいけれど、それって何?笑

2023/04/13

奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿5)

(4より続き)

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お伊勢の森。
姫街道を歩いた際もあったけれど、伊勢神宮を勧請したもの。

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天照皇大神碑。

ここで、足の裏が急に痛くなり、靴下に穴があいているのが発見されたのだが、その後もずっと痛く、帰宅して見てみたらとげが刺さっていたのだった・・・

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麦畑の中を進む。

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東北本線の旧奥州街道踏切を渡る。

氏家宿に入ってきた。

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ここ南端には北向き地蔵尊。

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そして、馬頭観音。

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追分道標。
奥州街道と大谷街道の分岐点に建ち、「右江戸海道、左水戸かさま・下たて・下つま」 と刻まれる。

氏家宿は、鎌倉時代、宇都宮公頼は勝山に築城しこの地を支配していたが、宇都宮氏没落により家臣の平石氏、桶川氏などが氏家に住みつき宿を形成した。寛永4年に奥州街道が開通し、その後元禄8年(1695)に会津中街道が開かれて物資の集散地となり、また阿久津河岸ができて、鬼怒川舟運の起点ともなって繁栄した。本陣1、脇本陣1、旅籠35。

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薬師堂。

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傍らには河原石塔婆6基がある。鬼怒川の河原石を加工して作られたものだ。

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天保9年(1838)の馬頭観音。

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千手観音堂。残念ながら千手観音は見られない。

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現在平石歯科のあるところが平石本陣跡である。

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烏山信用金庫跡が石井脇本陣跡で、向かいの村上自動車商会が村上脇本陣跡である。

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西導寺に寄る。

建久2年(1191)氏家氏の始祖氏家公頼が建立したお寺で、氏家氏の菩提寺。

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本堂の透かし彫りはなかなかである。

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お寺を回り込んだところにあるのがつた地蔵尊。
尊体と台座を一体に彫った鎌倉期の作で、昔は蔦がからみついていたのでこう呼ぶようになったという。

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栄町女人講中の十九夜塔。

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これにて終了、氏家駅へと向かう。

計画していた電車より二本早い電車に駆け込み。
予約していた電車まではかなり時間があったため、一時間前の新幹線に替える。

順調に地元まで戻り、寿司やさんで乾杯!

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スズキの昆布じめ刺し、ホタルイカのしゃぶしゃぶ、空豆とイカのおつまみ揚げ、菜の花と桜エビのサラダ。
お酒は瓶ビールのあと、日本酒。しめのお寿司はうにと甘エビ。

8時過ぎ帰宅。

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お土産は澤姫生特別純米酒。

約50000歩。かなり歩きました。
次回は佐久山のバス路線が廃線になってしまったため、喜連川で終わりです。

(完)

2023/04/12

奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿4)

(3より続き)

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続いて浮島地蔵尊へ。

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内陣。

街道に戻り進む。

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双体道祖神があったけれど、これは新しいものですかね。

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やがて将軍地蔵があった。別名そうめん地蔵という。

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意地悪な修験者がいて、おなかをすかせて食事を願う万願寺の僧侶にそうめんをご馳走するが、満腹で食べられないのに無理やり口に押し込んで食べさせる悪さをして面白がっていたところ、お地蔵様が現れてそうめんをすべて平らげてくれたという。
将軍地蔵と言われるのは、源義家が奥州に進軍したとき鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇のため進めなかったのが宗円法師の祈りで将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたという由来だそうだ。

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堂原のイチョウ。樹齢600年。

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元禄8年(1695)の観音菩薩、延享元年(1744)の如意輪観音など。

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常夜灯と地蔵菩薩。

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閻魔堂の中の閻魔大王。

時間がなかったらパスしようと思っていたのだけれど、十分時間があったので、勝山城址に寄ることに。

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勝山公園内には、旧手塚家板倉や

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旧森家長屋門がある。

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城址へと登っていく。
勝山城は建久年間(1190~)に氏家氏により築城され、後に宇都宮氏の一族の芳賀氏が城主になり、慶長2年(1597)に宇都宮氏改易に伴って廃城となった。鬼怒川にメンした段丘に築かれている。

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空堀。

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復元された大手口の橋を渡って本丸跡へ。

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結構広い。

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冬桜が咲いていた。

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しだれ桜も。

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縄文時代の敷石住居跡。

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不動明王もあった。現存する木造座像の中で関東最大級の大きさだそうだ。

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鎌倉時代の宝篋印塔。

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鬼怒川橋梁の橋脚。

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野口雨情の高原颪の詩。

スーパーベイシアに寄って飲み物を買い、国道4号線を渡る。

(5へ続く)

2023/04/11

奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿3)

(2より続き)

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やげん坂を下ると、江戸時代の公衆便所跡があった。
ここまで歩いてきたところで、少し戻る。
お昼を予定していたドライブインが11時半からで、時間調整のため、先に進んでいたのだが・・・

なんと!臨時休業・・・

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このほかに食事処はないため、コンビニでおにぎりとメロンを買って、地蔵堂で食事とする。

ゆっくり休憩して出発。
白沢宿の信号を左折すると・・・

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白沢宿の街並みがとても素敵だ。
水路が左右にある。

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水車も!

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屋号札もかけられている。

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豆腐屋は、もちろん豆腐屋さんだったんでしょうね。

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宇加治本陣跡。

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文明18年(1486)創建の薬師堂。

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ここには代々の宇加治家のお墓がある。

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街道の突き当たりは明治元年(1868)創業の造り酒屋・井上清吉商店。酒蔵を見たら、もちろん?入ります(笑)
買ったのは、澤姫。リュックが重くなる・・・けどうれしい。

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枡形になっているが、向かいにあるのが經力(きょうりき)稲荷大明神。

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狛狐はなかなかに怖い顔をしている。

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白沢宿を出て、西鬼怒川を渡る。

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これまた旧河内町のマンホール。町の花サギソウの他、町の木ツゲがデザインされている。

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バスの終点のところに白澤一里塚址の碑がある。
そういえば、はじめての一里塚碑だ。

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鬼怒川沿いの土手に上がる。

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途中旧道に入ると、日光街道の杉並木を思い出した。

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鬼怒川の渡し跡。
春から秋にかけては渡しで、冬は仮橋だったらしい。

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今は渡しはないので、阿久津大橋を渡る。
歩道がなくてちょっと怖い。

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渡っている途中でさくら市に入った。

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鬼怒川。

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渡るとさくら市のマンホールに出会った。旧氏家町のマンホールで、鬼怒川のアユのデザイン。

旧道を忠実にたどろうと思ったら道を間違えてしまい、迷う。
難しい・・・

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ちょっと寄り道。船玉神社へ。
阿久津河岸の守護神で、船頭の信仰が篤いそうだ。
境内は船の形をしているというけれど、そうかな?

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弘化2年(1845)の常夜燈。台座には、此方河岸道、左江戸道、右奥州道と刻まれている。

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彫刻なども素晴らしい本殿だ。

(4へ続く)

2023/04/10

奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿2)

(1より続き)

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八坂神社。
宇都宮城主藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城の際、鬼門よけとして作った神明社。

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御神池。

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先を進む。東北新幹線の高架をくぐり、鳥山道(那須氏の鳥山城に至る道)追分を過ぎた先に、長屋門がある。
豪農、岩淵家。

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さらに進むと地蔵堂があり、首切り地蔵尊が祀られている(扉が開かずこのような写真に)。
元和7年(1621)、二代将軍秀忠の日光社参に先立って、幕府から差し向けられた根来組百人衆に宇都宮城主本多正純が城普請を命じたが、これに従わなかったため全員を処刑した場所なのだそう・・・ここに首が埋められ、行かなかったが手前の白山神社の裏あたりに胴が埋められたのだそうだ。

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外にある地蔵菩薩。

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いろいろな石仏。

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この小さいお地蔵さんはどうやら三猿ですね。

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こういう馬頭観音もあまりみないもの。

宇都宮環状線をくぐると、だんだん景色がのどかになってきた。

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感恩報徳碑。
水田開発に努め、下川俣村の発展に尽力した小林清次郎を讃えた秀、慶応2年(1866)建立。

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このお宅でケンケンケンという声が聞こえたと思ったきじ!!

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この先、並木道が続くが桜や、トウカエデ、イチョウ、杉などである。

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少し進むと稚児坂にさしかかる。
建久7年(1196)鎌倉幕府から初代奥州奉行として伊沢家景が任地へ向かう途中、この地で我が子を亡くしたことに由来する。

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旧河内町のマンホール。
町の花サギソウのデザイン。

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白沢宿に入ってきた。
家康の上杉氏討伐で鬼怒川を渡河する際、この地の庄屋であった宇加地家と福田家が道案内をし、この時の功により両家に白沢に宿駅を開設することが認められ、白沢宿が発足。その後宇加地家が本陣を、福田家が脇本陣を幕末まで務めた。本陣1、脇本陣1、旅籠13。

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河内総合福祉センターバス停のところにも札が。

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勝善神。
日光街道でも見かけたが、神道系の馬頭観音である。

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白沢地蔵堂。
伊沢家景が亡くなった子供を葬り、地蔵堂と石塔を建てたのだという。

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内陣。

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いろいろ石仏。

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お地蔵様の首がない・・・

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一石六地蔵。

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蛙がいる!
意外と大きな声で鳴くんだなあ。

(3へ続く)

2023/04/09

奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿1)

五街道は、東海道、甲州街道、日光街道を歩き終え、中山道も最終盤。というところで、残りの一つ、奥州街道を歩きはじめることとした。
奥州街道は日本橋から宇都宮までは日光街道と同じ道なので、宇都宮の追分より歩く。宇都宮から白河までは10宿で約85キロほどである。

大宮から6時37分発のつばさに乗り宇都宮到着7時。
7時13分発のバスに乗って伝馬町まで。バス、やっぱり遅れますね。

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日光街道との追分からいよいよ奥州街道スタートだ。

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高札場の標柱を通り過ぎる戸、朝日坂だ。
道がゆるやかに下っていくのがわかる。
昔、坂の上に観音様があって朝早く日がさしたことから朝日観音と呼ばれ、この坂が朝日坂となったとのこと。

街道は大通りから旧道へと入るのだが(アーケード商店街をとおる)、二荒山神社に寄る。
ここは、ふたらさんとは読まず、ふたあらやまと読むんですね。

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鳥居が大きい。
参道の階段を上がっていく。

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拝殿。

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しだれ桜が満開だ。

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神楽殿。

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下に降りて、街道へと戻る途中に摂社下之宮があった。

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大町通りを進んでいくとおしどり塚公園があり、そこにおしどり塚の碑がある。
鎌倉時代、附近を流れていた求食川(あさりがわ)で猟師が一羽の雄のおしどりを射止め、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には雄のおしどりの首がしっかりと抱きかかえられている。猟師は鳥の持つ愛情に深く心を打たれ、今までの殺生を悔い、石塔を建てて供養したのだそうだ。

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街道は左折、ちょっと駅の方に歩いて寄り道。宝蔵寺である。鐘楼門が立派だ。

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この上にある鐘はおよりの鐘と呼ばれ、江戸時代には夕暮れになると、宇都宮城下に鳴らされた。宇都宮八代城主貞綱の寄進。およりとは御寝り=お休みになるという意味だ。

街道に戻り進むと、妙正寺がある。

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右が享保2年(1717)の南無妙法蓮華経題目碑。

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左が嘉永4年(1851)の南無妙法蓮華経題目碑。

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清厳寺通りをちょっと入ると清巌寺がある。

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大きな子育地蔵尊。正徳4年(1714)に創建されたが、太平洋戦争で供出され、平成7年に復元された。

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これも一石六地蔵かな?如意輪様もついているけれど。

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宇都宮五代城主頼綱の墓(中)、芳賀高照の墓(右)、芳賀高継の墓(左)。
頼綱って小倉百人一首の産みの親だったことは知らなかった。

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このお寺で見るべきは、重要文化財の鉄塔婆と聞いていたのだが、収蔵庫のドアは開かない・・・残念だなあと思っていたら、開きますよと教えてくださった方がいて、無事見ることができた。

正和元年(1312)、宇都宮八代城主貞綱が亡き母の十三回忌の供養のために建立したもので、塔婆の上には阿弥陀を表す梵字と阿弥陀三尊の浮彫りがあり、下部には90字の願文がある。我が国最古であり、かつ唯一の鋳鉄製の大塔婆なのだそうだ。

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街道に戻り、田川にかかる幸橋を渡る。
しだれ桜がきれいだ。

欄干にはレリーフがある。

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幸橋遠景。

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道が突き当たったところに旧篠原家住宅がある。
篠原家は江戸時代より醤油醸造業や肥料商を営んでいた。建物は明治28年建てられたもの。石蔵は嘉永4年(1851)築。

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住宅には大谷石も使われている。

(2へ続く)

2023/04/08

コア・オーガニックシラー レセルバ・ド・ラ・ティエラ

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スペインのオーガニック赤ワイン。
最近、オアーガニックワインってはやりなのかな?
このラベルは好き。

注いでみると、
シラーらしく色は濃いけれど、味はそう濃くはないですね。
ちょっと甘めかな・・・

 

2023/04/07

ミャウ ソーヴィニヨンブラン

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ミャウ、この前にはレゼルバ・ソーヴィニヨン・ブランを飲んだけれど、これは普通の?ソーヴィニヨン・ブラン。

レゼルバとはちょっと味が違いますね。
悪くはないけれど、もう少しきりっとしている方が好みかな・・・

レゼルバの方が好みですね。

 

2023/04/06

Faryeast Brewing 富士山クラフト

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山梨みやげにいただいた地ビール。

山梨県小菅村の源流から湧き出す水で作られたものだそう。

富士山といっても、これ、北斎の富嶽三十六景でも神奈川でしょ?
せめて山梨側の富士山がなかったものか・・・マイナーだからだろうか。

注いでみると、臼濁り色。
なんか、これヴァイツェン?と思ったら、小麦麦芽も使用されている。

セゾンビールということで、フルーティだけれども、そんなに軽くはないような?
ま、それが小麦だからかな。

香り豊かなビールでおいしゅうございました。

2023/04/05

サッポロ サクラビール

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昨年も発売されたビール。
今年も買ってみました。

注いでみると、オレンジ色。
飲んでみると、強くはないけれどしっかり苦みがあって、じわじわコクがきて、これはおいしいビールですね。

昔のサクラビールの現代風アレンジというけれど、昔はこういうビールが多かったのかな?ドライじゃないビールの方がやっぱり好きだな。

2023/04/04

笠間ドライブ3

(2より続き)

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続いて向かったのは、笠間日動美術館分館の春風萬里荘。
笠間日動の半券を持っていると100円割引となる。

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北鎌倉にあった北大路魯山人の茅葺き民家を昭和40年に移築したものである。

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調度品が素敵ですね。

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草野心平の書が各所に。

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こういう棚とか

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こういうタンスとか

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こういう屏風(正宗得三郎作)とかいいですねぇ。

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枯山水もいいなあ。
茶室からも見ることができる。

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おおー芹沢銈介ですね。また静岡の美術館に行きたいなあ。

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馬屋だったところは今は洋間になっており、自然石をくみ上げた暖炉がある。

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床はケヤキの木レンガを敷き詰めてある。

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朝倉文夫の猫もいた。

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魯山人が作ったというアサガオ。なぜか3つも・・・

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庭を散策。

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広いですねぇ。

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桜も満開をちょっと過ぎたところで、まだまだ見頃。

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どこからも母屋が見える。

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長屋門。
この中では予約制でランチがいただけるらしい。

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もくれんが低い・・・

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灯籠。

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花筏がきれいだ。

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しだれ桜。

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地形をいかした庭造りがすばらしい。

これにて観光終了。まだ早いが帰ることに。

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道の駅かさまでおみやげを買い、高速に入り、守谷サービスエリアでおみやげを買い足し、メロンソフトで休憩。

その後ちょっと渋滞したが、まあまあ順調(あと30分遅くなったら、結構な渋滞にはまってしまうところだった。よかった)。

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夕食はジョナサンにて、ミックスグリル。

帰宅は7時半前だった。

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今日のおみやげ。

(完)

2023/04/03

笠間ドライブ2

(1より続き)

12時過ぎに美術館を出て、笠間稲荷の方へと向かうが、まずは昼食。

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柏屋さんというおそば屋さんで、頼んだは稲荷そば、つまりはきつねそば。

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お揚げがかわいい~
そういえば、そのときはきしめんだったけど、豊川稲荷でもきつねを食べたっけ。

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食べ終わって、笠間稲荷へ。
笠間稲荷は別称を胡桃下稲荷(昔ここには胡桃の密林があってそこに稲荷大神が祀られていた)や紋三郎稲荷(十三代藩主の一族に門三郎という人いて信仰を広めたところから、門が紋にかわった)と呼ばれ、日本三大稲荷の一つとされている(伏見稲荷と豊川稲荷は必ず揚げられるが三つめは諸説あるようだ)。

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参道にはずらりとおきつねさんが並び、一つ一つ顔が違う。

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楼門。

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裏手には神馬像がある。

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拝殿。

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絵馬は古い感じですね。

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栗みくじなるものがあった。笠間って胡桃だけでなく、栗も名産みたいで。

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御神木は胡桃の木。胡桃の御神木はめずらしいのでは?

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聖徳殿。

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聖徳太子とともに大黒天が祀られている。

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東門。文化13年再建の入母屋造り。

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しだれ桂。

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さざれ石。

(3へ続く)

2023/04/02

笠間ドライブ1

久々に笠間日動美術館に行こうということになり、あわせて笠間稲荷と春風萬里荘にも寄ることにした。

7時出発。
守谷サービスエリアで休憩し、途中プチ渋滞はあったが、10時過ぎ笠間日動美術館到着。
企画展から見るべく、丘陵の上の方の入口から入る。

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現在の企画点は「画家 岸田劉生の軌跡展」。
岸田劉生というと、なんといっても麗子のイメージ。今回も何点かあって、鵠沼時代の麗子のお友達の絵も何点か。寒山風麗子像は、麗子がかわいそうだなあといつも思う。デフォルメしすぎだ・・・今回はじめてみた「麗子曼荼羅」はおもしろかった。
また、もう一つイメージとして近代美術館所蔵の重要文化財「道路と土手と塀(切通之写生)」があるのだが、鵠沼を描いた風景も同じような感じの作品だ。
今回、日本画や、南画風の作品もたくさんあって、特にさらさらっと描いた(ように見える)南画風の作品がなかなかよいなと。
ポスターやチラシになっている「猫図」。これはなんとも奇妙な猫である。決してかわいくない・・・
以前もいくつか見たことのある装丁画だが、ここにも結構麗子が登場していて、やはり生涯のテーマだったんですね。
なかなかよい企画展だった。

鴨居玲の部屋が企画展示室にあり、「勲章」をはじめとした作品を鑑賞したけれど、やっぱりこの人の作品は死を感じさせるんですね。見ていると心がざわざわする・・・

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3階まで上がり、竹林を抜ける。

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と、あるのは野外彫刻庭園。

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しだれ桜がきれいだ。

フランス館へ。

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ドガ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ピカソ、ボナール、レジェ、カンディンスキー、シャガール、ユトリロなどいいコレクションだ。

日本館(旧パレット館だったが、4月1日から日本館と変更)へ。

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いつ見ても圧倒されるパレットの数々。

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強烈!片岡球子。

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東郷青児のらしい感じ。

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梅原龍三郎や熊谷守一などは普通に使ってたパレットかな?

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こんなのもおもしろいのも。齋藤将の「たいやきぱんだ」。

2階はアンティークドール、3階は金山平三・佐竹徳記念室で、二人とも風景画家で、今まで知らなかったが、なかなかよい。

4階は展示はなくて5階はこの日オープンの奥谷博記念室。
壁の色とあいまってなかなかに強烈な絵である。青が目に刺さってくる。
「阿修羅」とタイトルは忘れてしまったが仏像の頭を描いた絵が気に入った。

(2へ続く)

2023/04/01

ピエトロ ソアーヴェ

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イタリア、ヴェネト州の白ワイン。
ソアーヴェは好きなワインで、イタリア旅行中よく飲んだものだ。

飲んでみると、爽やか!
ちょうどよい酸味で、料理の邪魔をしない。
値段からいったら、かなりのコストパフォーマンスかと。

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