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2023/04/10

奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿2)

(1より続き)

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八坂神社。
宇都宮城主藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城の際、鬼門よけとして作った神明社。

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御神池。

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先を進む。東北新幹線の高架をくぐり、鳥山道(那須氏の鳥山城に至る道)追分を過ぎた先に、長屋門がある。
豪農、岩淵家。

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さらに進むと地蔵堂があり、首切り地蔵尊が祀られている(扉が開かずこのような写真に)。
元和7年(1621)、二代将軍秀忠の日光社参に先立って、幕府から差し向けられた根来組百人衆に宇都宮城主本多正純が城普請を命じたが、これに従わなかったため全員を処刑した場所なのだそう・・・ここに首が埋められ、行かなかったが手前の白山神社の裏あたりに胴が埋められたのだそうだ。

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外にある地蔵菩薩。

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いろいろな石仏。

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この小さいお地蔵さんはどうやら三猿ですね。

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こういう馬頭観音もあまりみないもの。

宇都宮環状線をくぐると、だんだん景色がのどかになってきた。

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感恩報徳碑。
水田開発に努め、下川俣村の発展に尽力した小林清次郎を讃えた秀、慶応2年(1866)建立。

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このお宅でケンケンケンという声が聞こえたと思ったきじ!!

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この先、並木道が続くが桜や、トウカエデ、イチョウ、杉などである。

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少し進むと稚児坂にさしかかる。
建久7年(1196)鎌倉幕府から初代奥州奉行として伊沢家景が任地へ向かう途中、この地で我が子を亡くしたことに由来する。

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旧河内町のマンホール。
町の花サギソウのデザイン。

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白沢宿に入ってきた。
家康の上杉氏討伐で鬼怒川を渡河する際、この地の庄屋であった宇加地家と福田家が道案内をし、この時の功により両家に白沢に宿駅を開設することが認められ、白沢宿が発足。その後宇加地家が本陣を、福田家が脇本陣を幕末まで務めた。本陣1、脇本陣1、旅籠13。

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河内総合福祉センターバス停のところにも札が。

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勝善神。
日光街道でも見かけたが、神道系の馬頭観音である。

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白沢地蔵堂。
伊沢家景が亡くなった子供を葬り、地蔵堂と石塔を建てたのだという。

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内陣。

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いろいろ石仏。

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お地蔵様の首がない・・・

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一石六地蔵。

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蛙がいる!
意外と大きな声で鳴くんだなあ。

(3へ続く)

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コメント

桜のある良い時期に歩きましたね。
白沢宿は,街道脇に水路があって,風情がありますね。
これから先,白河まで頑張ってください。
(twitterねこはぎ)

コメントありがとうございます。
ソメイヨシノは散ってしまったところが多かったのですが、しだれ桜がきれいでした。
白沢宿、風情があってとてもよかったです!
日帰りでいくので、このあと、交通機関の面で難しい箇所もありますが、なんとか頑張りたいと思います!

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