奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿5)
(4より続き)

お伊勢の森。
姫街道を歩いた際もあったけれど、伊勢神宮を勧請したもの。

天照皇大神碑。
ここで、足の裏が急に痛くなり、靴下に穴があいているのが発見されたのだが、その後もずっと痛く、帰宅して見てみたらとげが刺さっていたのだった・・・

麦畑の中を進む。

東北本線の旧奥州街道踏切を渡る。
氏家宿に入ってきた。

ここ南端には北向き地蔵尊。

そして、馬頭観音。

追分道標。
奥州街道と大谷街道の分岐点に建ち、「右江戸海道、左水戸かさま・下たて・下つま」 と刻まれる。
氏家宿は、鎌倉時代、宇都宮公頼は勝山に築城しこの地を支配していたが、宇都宮氏没落により家臣の平石氏、桶川氏などが氏家に住みつき宿を形成した。寛永4年に奥州街道が開通し、その後元禄8年(1695)に会津中街道が開かれて物資の集散地となり、また阿久津河岸ができて、鬼怒川舟運の起点ともなって繁栄した。本陣1、脇本陣1、旅籠35。

薬師堂。

傍らには河原石塔婆6基がある。鬼怒川の河原石を加工して作られたものだ。

天保9年(1838)の馬頭観音。

千手観音堂。残念ながら千手観音は見られない。

現在平石歯科のあるところが平石本陣跡である。

烏山信用金庫跡が石井脇本陣跡で、向かいの村上自動車商会が村上脇本陣跡である。

西導寺に寄る。
建久2年(1191)氏家氏の始祖氏家公頼が建立したお寺で、氏家氏の菩提寺。

本堂の透かし彫りはなかなかである。

お寺を回り込んだところにあるのがつた地蔵尊。
尊体と台座を一体に彫った鎌倉期の作で、昔は蔦がからみついていたのでこう呼ぶようになったという。

栄町女人講中の十九夜塔。

これにて終了、氏家駅へと向かう。
計画していた電車より二本早い電車に駆け込み。
予約していた電車まではかなり時間があったため、一時間前の新幹線に替える。
順調に地元まで戻り、寿司やさんで乾杯!

スズキの昆布じめ刺し、ホタルイカのしゃぶしゃぶ、空豆とイカのおつまみ揚げ、菜の花と桜エビのサラダ。
お酒は瓶ビールのあと、日本酒。しめのお寿司はうにと甘エビ。
8時過ぎ帰宅。

お土産は澤姫生特別純米酒。
約50000歩。かなり歩きました。
次回は佐久山のバス路線が廃線になってしまったため、喜連川で終わりです。
(完)
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