奥州街道歩き第1回(宇都宮宿~白沢宿~氏家宿1)
五街道は、東海道、甲州街道、日光街道を歩き終え、中山道も最終盤。というところで、残りの一つ、奥州街道を歩きはじめることとした。
奥州街道は日本橋から宇都宮までは日光街道と同じ道なので、宇都宮の追分より歩く。宇都宮から白河までは10宿で約85キロほどである。
大宮から6時37分発のつばさに乗り宇都宮到着7時。
7時13分発のバスに乗って伝馬町まで。バス、やっぱり遅れますね。

日光街道との追分からいよいよ奥州街道スタートだ。

高札場の標柱を通り過ぎる戸、朝日坂だ。
道がゆるやかに下っていくのがわかる。
昔、坂の上に観音様があって朝早く日がさしたことから朝日観音と呼ばれ、この坂が朝日坂となったとのこと。
街道は大通りから旧道へと入るのだが(アーケード商店街をとおる)、二荒山神社に寄る。
ここは、ふたらさんとは読まず、ふたあらやまと読むんですね。

鳥居が大きい。
参道の階段を上がっていく。

拝殿。

しだれ桜が満開だ。

神楽殿。

下に降りて、街道へと戻る途中に摂社下之宮があった。

大町通りを進んでいくとおしどり塚公園があり、そこにおしどり塚の碑がある。
鎌倉時代、附近を流れていた求食川(あさりがわ)で猟師が一羽の雄のおしどりを射止め、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には雄のおしどりの首がしっかりと抱きかかえられている。猟師は鳥の持つ愛情に深く心を打たれ、今までの殺生を悔い、石塔を建てて供養したのだそうだ。

街道は左折、ちょっと駅の方に歩いて寄り道。宝蔵寺である。鐘楼門が立派だ。

この上にある鐘はおよりの鐘と呼ばれ、江戸時代には夕暮れになると、宇都宮城下に鳴らされた。宇都宮八代城主貞綱の寄進。およりとは御寝り=お休みになるという意味だ。
街道に戻り進むと、妙正寺がある。

右が享保2年(1717)の南無妙法蓮華経題目碑。

左が嘉永4年(1851)の南無妙法蓮華経題目碑。

清厳寺通りをちょっと入ると清巌寺がある。

大きな子育地蔵尊。正徳4年(1714)に創建されたが、太平洋戦争で供出され、平成7年に復元された。

これも一石六地蔵かな?如意輪様もついているけれど。

宇都宮五代城主頼綱の墓(中)、芳賀高照の墓(右)、芳賀高継の墓(左)。
頼綱って小倉百人一首の産みの親だったことは知らなかった。

このお寺で見るべきは、重要文化財の鉄塔婆と聞いていたのだが、収蔵庫のドアは開かない・・・残念だなあと思っていたら、開きますよと教えてくださった方がいて、無事見ることができた。
正和元年(1312)、宇都宮八代城主貞綱が亡き母の十三回忌の供養のために建立したもので、塔婆の上には阿弥陀を表す梵字と阿弥陀三尊の浮彫りがあり、下部には90字の願文がある。我が国最古であり、かつ唯一の鋳鉄製の大塔婆なのだそうだ。

街道に戻り、田川にかかる幸橋を渡る。
しだれ桜がきれいだ。
欄干にはレリーフがある。

幸橋遠景。

道が突き当たったところに旧篠原家住宅がある。
篠原家は江戸時代より醤油醸造業や肥料商を営んでいた。建物は明治28年建てられたもの。石蔵は嘉永4年(1851)築。

住宅には大谷石も使われている。
(2へ続く)
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