中山道六十九次歩き(第31回) 籠原駅~熊谷宿~北鴻巣駅2
(1より続き)
東武鉄道熊谷線(妻沼線)の跡は遊歩道となっている。
なぜか亀が??
と思ったら、戦時中、熊谷と中島飛行機工場を結ぶ鉄道計画があり、妻沼までが開通したが、終戦となり中止。妻沼線も昭和58年廃止となったのだが、当初走ったイギリスの蒸気機関車とてもゆっくりで、亀の愛称がついた・・・なるほどそれで!
秩父道の道標が3つある。
室町時代に始まった秩父札所の観音信仰は江戸時代になると盛んになり、最盛期には秩父盆地を訪れる人の数は数万人に達した。ここ石原村で中山道から分かれる秩父道があり、分岐点を示す道しるべ。当時は東に50mのところにあったがここに移築されたのだそう。
「ちちぶ道」「観音巡礼道」「寶登山道」とあるが、ここからは結構遠そうだ。
明和3年(1766)建立。
やがて旧道へと入り静かな道を進む。
そろそろ熊谷宿だが、昭和20年8月14日の空襲により、昔からもものはほとんど残っていない。
さて、街道は八木橋百貨店というデパートの中を通るのだけど、まだ開店前だったので、先に別のところを回ることにする。
まず向かったのは星渓園。
元和9年(1623)、荒川の洪水により土手(北条堤)が決壊、池ができ(玉の池)、それが星川の源流となった。江戸時代のおわり、本陣の当主であった竹井澹如が別邸として造られたもの。庭園は池泉回遊式である。
正門。
星渓寮。
入口入ったところ(中には入れない)。
十王供養塔。十人いないと思う・・・
山口青邨句碑。
「夕紅葉 鯉は浮くまま 人去りぬ」
芭蕉句碑。
「春もやや 気色ととのふ 月と梅」
池。
東屋をのぞむ。
静かな庭だ。
積翠閣。
ここにも十王供養塔が。こちらは11人いるような??
松風庵。
中に瓢箪を彫ったランプがあった。
(3へ続く)
マップはこちらを使っています
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