中山道六十九次歩き(第30回) 本庄宿~深谷宿~籠原駅6
(5より続き)
一里塚跡はまたまた何もなく、利根川に合流する唐沢川を行人橋で渡る。元々は土橋だったのが、行人という僧が洪水でたびたび橋が流されるのを嘆き、もらい集めた浄財で橋を架けたのだそうだ。
深谷市に入ったら、ねぎ畑がいっぱいあるのかなと思っていたのだけど、見ることがなく・・・ねぎの苗を撮影しただけだった。街道沿いにもねぎ畑があると聞いていたのだけど・・・
大谷邸。昭和6年、昭和恐慌の最中、時の深谷町の町長大谷藤豊が人々に仕事を与えるべく、建てた和洋折衷の洋館。手前が洋、奥が和かな。
程なく常夜燈が見えてきて(こちらも大きい)、ここで深谷宿はおしまい。
横に遊歩道があるが、これは深谷駅と日本煉瓦製造を結ぶ引き込み線の跡。昭和50年廃線となった。
薔薇が美しい家をいくつも通過。
見返り松が見えてきた。平成18年に枯れてしまい、2代目の松だそう。
深谷宿に泊まった旅人が江戸に向かう時、飯盛り女との別れを惜しんだ場所という。
ここから先、並木道が続く。
江戸末期には、松・杉合わせて400本ほどがあったそうだが、現在の並木は中山道の拡張工事の際、イチョウ・クロマツ・ケヤキを植栽して復元したものとのこと。
ここでまたマンホール。
旧深谷市のもので、旧市章のまわりに市の花つばきと、煉瓦のデザイン。
このあたりで、ポツポツと雨が降ってきて、ここから雨が結構降りそうな予報だったので、ザックカバーをかけ、傘を出す(実際はほとんど降らなかったのだが)。
熊野神社。遠そうなのでパス。
鬼林稲荷。
馬頭観音。
向かいにあるのが、東方一里塚跡(18里)。
この先は、道をはさんで北側が深谷市、南側が熊谷市で、早速熊谷市のマンホール発見。
熊谷にしか生息していないムサシトミヨの親子、荒川のさくら祭りと花火大会がデザインされている。
明治天皇小休所跡。熊谷本陣に宿泊した明治天皇はここ籠原立場で休憩された。佐渡奉行、川路聖謨や和宮も休憩している。
志がらき茶屋では白飯に牛蒡が添えられていて、とてもおいしかったそうだ。
ここで街道歩きは終了。籠原駅へと向かう。
10分弱で籠原駅到着。
駆け込みで始発の電車に乗ることができ、順調に乗り継いで、6時過ぎに国分寺到着。
いつものお店で乾杯!
お通しは牡蠣のうま煮とうるい・筍皮のあえもの。
さよりの刺身、穴子の白焼き、焼きヤングコーン、たたみいわしのグリーンサラダ、海老丸ごと蒸し餃子。
お酒は瓶ビールと日本酒の笑四季。笑四季酒造は東海道水口宿にある酒蔵だ。
8時前帰宅。
おみやげは日本酒×2、最中×2と深谷ねぎしば漬け。
ふっかちゃんの後ろ姿、はじめて見た!
約43500歩。
暑くならないうちに続きを歩きたいものです。
(完)
マップはこちらを使っています
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