中山道六十九次歩き(第31回) 籠原駅~熊谷宿~北鴻巣駅4
(3より続き)
ここで市役所の方に向かい、田舎っぺといううどんやさんで昼食タイム。
頼んだのは基本の、肉ネギつけうどん。普通盛りだけれど結構量がありおなかがいっぱいになった。武蔵野うどんに似た感じだが、ゆで湯を持ってきてくれるので、最後につけ汁も飲む。
近くのたねにというお店で五家宝を、街道に戻った角の中家堂で軍配瓦煎餅をおみやげに買い、先を進む。
銀座一丁目交差点で、街道は右に折れるが、ここが熊谷宿の江戸方見附である。
手前から高崎線の踏切(第六中山道踏切)、新幹線高架、秩父鉄道の踏切(持田No25踏切)。3つの鉄道を通り過ぎる。
持田No23踏切のところで、秩父鉄道を撮影。
高崎線はわりと頻繁に通るのだけれど、秩父鉄道はあまり本数がないから見かけたのはラッキーだったかも?
そのすぐ先、曙公園のところが八丁一里塚跡。16里目。
渓斎英泉の熊谷宿の画は八丁堤の景である。
だいぶ行ったところで道は右折、熊久橋という橋で元荒川を渡る。熊谷直実と久下直光の所領争いの地ということでこの名前がついたということだろうか。
ここから、カルタを頻繁に見るようになる。
その先の「元荒川ムサシトミヨ生息地」の説明板があるところはとても水がきれい(能久橋のところはあまりきれいではなかった)。ここなら、確かにいそう!と思って見てみたが、さすがにいない。
東竹院に寄る。
門前の、庚申塔、馬頭観音など。
本堂。
門にもあったが、屋根などに久下家の家紋「一番文字」があしらわれている。久下重光が頼朝の挙兵に一番にはせ参じた功により賜った家紋という。
久下直光(熊谷直実の叔父、重光の父)と重光の墓。
達磨石なるものがあった。
確かに達磨だ!
横から見ても。
みかりや跡の説明板があった。
立場のあったところで、忍藩の殿様が鷹狩りに来るとここで休んだことから御狩屋(みかりや)と言われたそうだ。
名物はゆべし、鮎うるか、しがらき牛蒡だったらしい(カルタにもあり)。
土手を上がっていく。
ふと見ると、富士山が見えている!!
この日は曇りだったので見られないと思っていたのだが、うっすらとでも見ることができて満足。
土手の上を進む。
久下の渡し・冠水橋跡の碑。
ここに荒川の対岸への久下の渡しがあった。その後昭和30年に木橋(思いやり橋と呼ばれた)が架けられている。
(5へ続く)
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