中山道六十九次歩き(第30回) 本庄宿~深谷宿~籠原駅4
(3より続き)
芭蕉句碑があった。
「原中や 物にもつかず 鳴雲雀」。
蛇喰古墳。
普済寺に寄る。岡部六弥太忠澄の創建。
参道の庚申塔など。
馬頭観音、二十二夜塔など。
岡部六弥太忠澄は、一ノ谷の戦いで平清盛の弟平忠度を討ち取っており、このお寺に忠度の辞世の句の歌碑がある。
「行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし」
かやの木が大きい。
2本とも市の天然記念物。
寺から少し行った畑の向こうに岡部六弥太忠澄のお墓がある。
左が岡部六弥太忠澄の墓(右は父親の墓、左には夫人の墓もある)。
忠澄の墓石を削って飲むと子を授かり乳が出るとの迷信から、削り取られてしまっている・・・
源勝院。
康の関東入国に伴い初代安部弥一郎信勝に岡部領が与えられ、人見村(現深谷市)の昌福寺の和尚を招き、開祖した。
ここには岡部藩主歴代の墓(2代信盛から13代信賓)が並んでいる。壮観だ。
ふっかちゃんのマンホール発見。
胸には市の花チューリップのボタンがついている。
バス停にもふっかちゃん。
よろしくおねぎしまぁす笑
瀧宮神社。
明応5年(1496)の大干ばつの時、貯水池を掘ったところ、滝のごとく水が湧き出てきたので、歓喜した領民たちが社殿を建て瀧宮神社と奉称して祀ったという。
裏に池があったが、水はなかった。
ちょっと寄り道。清心寺前踏切を渡る。ちょうど高崎線が通っていった。
清心寺。
ここには平忠度の公墓がある。
岡部六弥太忠澄が平氏きっての知勇に優れた平忠度の菩提を弔うため、忠澄の領地の中で一番景色のよいこの地に五輪塔を建てたもの。
本堂。
(5へ続く)
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