キリン スプリングバレー サマークラフトエール <香>

スプリングバレーの新製品。
缶の色、夏っぽいですね。
注いでみると、少し薄めの色。
飲んでみると、ホップの香りがよい。
飲み口は爽やかで、あとから苦みがくる。
夏っぽいビールでなかなかよいと思います。
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スプリングバレーの新製品。
缶の色、夏っぽいですね。
注いでみると、少し薄めの色。
飲んでみると、ホップの香りがよい。
飲み口は爽やかで、あとから苦みがくる。
夏っぽいビールでなかなかよいと思います。
(4より続き)
時間的に余裕が出たので、少し寄り道。

三光寺。
日本三所聖天(浅草・妻沼・芦野)の一つ。
弘仁9年(818)弘法大師が勅命によって一本の香木に三体の歓喜天像を彫り、そのうちの一体を応永年間(1394-1427)に宥覚上人が勧請したのだそうだ。

歓喜天と刻まれた石造物があるが、これは=聖天である。

最勝院にも寄ってみる。江戸時代より前の芦野氏の菩提寺である。

六地蔵に十六羅漢。

肩に鳥がのっている羅漢様もいますね。

こちらの六地蔵は相当古そう。

街道に戻って進むと伊豆屋さんというお菓子やさんがあり、おみやげに聖天まんじゅうを買う。
この日のゴール、芦野仲町バス停に到着したが、まだまだ時間があるので、那須歴史探訪館に寄ってみることにする。

途中に平久江家の武家屋敷門があった。
平久江家は、江戸時代初期から芦野家の重臣であった。

しだれ桜があって、樹齢400年、幹回り252センチ、樹高18メートルだそうである。

那須歴史探訪館の門は、芦野氏陣屋裏門を模して造られている。

土蔵は、江戸時代からのものを補修している。
建物自体は、隅研吾の設計で、ああなるほどねと思う。なかなかモダンな建物だ。入場料200円。


歴史、街道、産業などの展示を見る。

トピックスコーナーでは芦野氏代々の花押が展示されていて、お気に入りを投票しよう!ということで、ワタクシは23代芦野資英のものに投票しておいた。
そろそろバスの時間が近づいたので戻る。

バス停は脇本陣跡(現ほていや。籠吉川屋跡で、脇本陣は金澤家が勤めた)のあたりにある。

向こうに旅籠、現在はうなぎやさんの丁子屋が見える。
バスは定刻5時7分に到着。
黒田原駅では定時に到着したとしても、電車発車まで4分しかなく、切符も買わないといけないのでおそらく無理だろうなあと思っていたのだが、順調に進み、なんと電車に間に合った!
5時26分の黒磯行きに乗り、黒磯乗り換え、那須塩原駅到着5時49分。
この電車に間に合わないかもと思い、新幹線はだいぶ先のを予約していたので(黒田原で乗り遅れると1時間20分も電車がない・・・)、まだたっぷり時間がある。
ということで、はなの舞で飲んで帰ることに。

まずは瓶ビールで乾杯。その後ギネスビール。
お料理は、炙りしめ鯖、高知産のしらすと京都産の九条ねぎの豆冨サラダ(ハーフ)、山芋鉄板焼き、ねぎとろ巻き。
7時32分発のやまびこに乗り、順調に乗り継ぎ、帰宅は9時半すぎだった。

この日のおみやげは、聖天まんじゅうと、純米酒御用邸。
約50100歩。
あと1回でも歩けなくはなさそうですが、無理せず2回にするかもしれません。
(完)
(3より続き)

会三寺。文亀元年(1501)開山。

この地で麻疹が流行り大勢の子供が亡くなり、第14代住職法印旺盛が111体の木造地蔵尊を彫り菩提を弔った。現在80体ほどが残っているとのこと。

寺子橋で余笹川を渡る。

土手道に降りて進むと、だるま石がある。
元は川の中にあって水位の目安になっていたとのことだが、だるまっぽくはないような??

旧道が県道に合流するところに弁慶の足踏み石。
文化4年(1807)の馬頭観音の側面(右に見える)に草鞋のような形の窪みがあり、これが言い伝えでは弁慶が馬に乗る際に付けてしまった草鞋跡なのだという。

二十三夜塔、如意輪観音、一面六臂の青面金剛の庚申塔など。

牛の形をした畜魂碑もあった。
その後、いくつか石仏、石造物を見つつ、坂を上がっていく。

那須町に入った。

黒川橋で黒川を渡る。
雨のせいか、結構な水量だ。

県道にちょっと入ったところに夫婦石。夫婦石神社のご神体である。
戦国時代に敵に追われた男女がこの石の割れ目に隠れると、白蛇があらわれ、敵が逃げ帰ったので命拾いしたのだという。

境内には左から、腹身地蔵、日切地蔵、合掌地蔵、不動明王、財福地蔵がある。
街道に戻り少し進み、瑞穂農場入口を過ぎた先に夫婦石の一里塚がある。43里目。

西塚。

東塚。

再び旧道に入ると足尾大神があった。足の病に御利益があるという。サンダルがかけられている。
少し前から太ももがつりかけていたのだが、お詣りしたらよくなった!

奈良川を芦野橋で渡る。

渡り詰めに大きなお地蔵様。享保12年(1727)造立の川原町地蔵尊で、ここが芦野宿の江戸口である。
芦野氏は那須一族の血をひき、鎌倉時代からこの地を支配していた。芦野宿は江戸時代になって奥州道中が整備され、交通が盛んになると、宿駅として発展した。本陣1、脇本陣1、旅籠25。

宿内の各家の前には屋号が書かれた石灯籠が置かれていて、力を入れているなあと思う。

ぬり屋ってなんだろう?

桶屋。
(5へ続く)
(2より続き)

八坂神社の文化5年(1808)の芭蕉句碑。
「野を横に 馬牽(ひ)きむけよ ほとゝぎす」。

お隣のお寺は正観寺。
山門は本陣門を移築したもので、横には樹齢260年のしだれ桜がある。かなり大きな木で、幹が三本に分岐している。

本堂。

昭明橋で那珂川を渡る(現在工事中)。

と、もう次の宿、越堀宿に入ってきた。
参勤交代で江戸に向かう仙台藩の伊達候が那珂川の川留めに遭い、越堀に小屋を建てたのが宿の始まりで、その後、正保3年(1646)に正式に越堀宿となった。明治の大火で遺構はなし。本陣1、脇本陣1、旅籠11。

浄泉寺。

境内には黒羽領境界石がある。「従此川中東黒羽領」と刻まれている。
黒羽藩主大関増業は、自藩と他藩との境界を明らかにするため境界石を何カ所かに建てた。

明治天皇御駐輦之碑もある。

賀茂神社。
越堀の大杉と書かれていたが、鳥居の後ろにあるのがそうなのだろうか?

枡形があって、越堀宿を出る。



高久靄厓(谷文晁に学び、渡辺崋山らと親交があった画家とのこと)の墓の標柱を通り過ぎ、伊勢大神宮遙拝碑、馬頭観音を見る。その後金比羅神社もあった。

大きな馬頭観音。安政2年(1855)のもので、小さい方は明治24年のもの。
このあたりも坂を上ったり下ったり。

富士見峠を越える。標高295.5メートル。
昔は富士山が見えたという。今は木が鬱蒼と茂っていて、晴れていたとしても見えない・・・はず。

峠から下っていくと温泉神社がある。

上に大黒様が見える。

そのすぐ先に寺子一里塚。42里目。道路拡張にあたり、復元されたものだそう。

馬頭観世音もあった。
左は安永4年(1775)のもの。道標になっている。
(4へ続く)
(1より続き)

麻疹地蔵堂到着。
この地ではしかが流行してたくさんの幼児が亡くなったことを哀れんで地蔵尊を祀ったという。

またもや六地蔵幢が見える。安政3年(1856)の宝篋印塔も。

まだ10時半だったが、この先雨宿りができる箇所もなく、食事ができるお店もないので、ここでおにぎりの昼食。
いやはや、こんなに雨が降るとは・・・
30分弱休憩し出発。

歩いていると、わっ。危ない!踏みそうになってしまった・・・
アマガエル!
この後も雨だからか、たくさんアマガエルに出会ったのだけど、車道は危険だよ・・・
このあたりから緩やかな坂を上ったり下ったり。

下り坂に入ったところに明治天皇御駐輦紀念碑があった。
明治9年の東北巡幸の際に休息された場所。

那須塩原市に入る。
天気が悪く那須連山が見えず残念である。

馬頭観音。

樋沢の不動堂は私有地を通らないといけないかもとパス、樋沢神社に寄る。

境内には八太郎義家愛馬蹄跡の岩がある。
後三年の役で陸奥平定に向かう八幡太郎義家(源義家)がここを通りかかった際、この神社を見て、義家は戦勝祈願にと、馬で一気に丘を駆け上がったが、あまりの勢いに巨岩の上に馬の前脚が乗ってしまい、蹄の跡がくっきりと、刻みつけられたのだという。
葉っぱがたまってしまっているけれど、まあ大きな蹄に見えなくはない・・・

後ろの岩は葛籠石(つづらいし)。つづらふじで編んだ着物を入れるかごに似ているとのことだが、うーん、よくわからない。

そしてまたまた六地蔵幢が!


樋沢の大沼跡(坂上田村麻呂が蝦夷鎮圧に向かう途中、人を喰う大うなぎのことを聞き、沼を掘抜き干潟として、大うなぎを退治したという。これによって出来上がった干沢が地名の樋沢になった・・・)を見てから、鍋掛一里塚へ。11メートルほど東にあったものは移されている。41里目。

ここには鍋掛神社もあった。

鍋掛交差点にあるコンビニにて休憩。
プリンを食べる。

コンビニの向かいにあるのが清川地蔵尊。
延宝7年(1679)の造立。

元禄15年(1702)の青面金剛の庚申塔や、首のない如意輪観音など。庚申塔は奥州街道では少なめ。馬頭観音が多い気が。

鍋掛宿に入ってきた。道がまっすぐ続いている。石碑みたいなものが並んでいる。
鍋掛宿は、奥州街道の難所の一つと言われた那珂川の手前にあって川留めの時など大いに賑わったという。本陣1、脇本陣1、旅籠23。
鍋掛という地名の由来は、川留めにより旅人が溢れて、住民が総出で鍋を掛け炊き出しを行ったところに由来するという。
(3へ続く)
2週間ぶりの奥州街道歩き。
梅雨入りして天気が安定せず、ギリギリまで行くかどうか迷っていた。
雨は降るようだけれど、本降りになるのは夕方以降という前日の予報を信じて決行したのだが・・・
いやはや早くから強い雨が降り続け、大変な街道歩きに。ただし、涼しかったのはよかった・・・
いつもの電車に乗って出かけ、大宮から6時45分発のやまびこに乗り、那須塩原到着7時31分。
7時55分の市営バスに乗り、遅れることなく定刻8時16分に末広2丁目バス停に到着。
もう雨が降り始めていてザックカバーをかけて歩き始める。
前回、見学した薬師堂を横目にみつつ、旧奥州道中大田原宿下町碑、そして本陣・問屋・高札場跡の案内板を通り過ぎる。
本陣は印南家が勤め、問屋を兼ねていた。敷地980坪、建坪381坪と奥州道中最大の規模。人足25人、馬25疋が置かれており、本陣脇には高札場が置かれていたとのことだ。

大田原信金の前に幸矢の与一像がある。
与一は幼い頃から弓矢が達者だったらしい。
少し進んだ交差点のところにポケットパークがあり、そこに金燈籠がある。文政2年(1819)に鋳造されたが、戦時中に供出され、現在のものは昭和54年鋳造のもの。

台座は昔のものでこちらには「江戸」。

反対側には「白川」。水準点マークもあった。

角を曲がってさらに曲がると枡形がある。

大田原神社の鳥居。大同2年(807)の創建。
このあとの行程を考え、泣く泣く訪れるのをあきらめる。

大久保木戸跡の石柱。ここが大田原宿の北口である。
大田原城跡に行ってみる。

本丸まで行ってみる時間はなかったが、北曲輪の土塁を撮影した。
ここで雨が強くなってきたのでゴアテックスのズボンを履く。

蛇尾川(さびかわ)を蛇尾橋で渡る。
蛇尾(さび)という名前は、アイヌ語の 「サッ・ピ・ナイ」 (渇いた小石河原の川)が由来という説と、栃木県の方言 「サビ」 =斎日(さび)が由来という説があるそうだ。
さびとは読めないですね。
先を進む。次第に雨脚が強まってきた。

中田原工業団地東公園にはたくさんの彫刻がある。
これは「希望」というタイトル。

平家瀬尾家居宅館跡には曽良の句碑があるというので、門内を見たらあった・・・と思ったら、そこにお住まいの方が芭蕉の句碑だと。 「野を横に馬牽(ひき)むけよほとゝぎす はせを」。
で、結局、曽良の句碑を見つけられなかったという・・・

与一みそのお店。
大田原はやはり与一なんですね。

中田原の一里塚到着。
南側は宅地建設のため取り壊され、北側は半分切り取られた形で残っていたが、道路拡幅のため平成12年に約1.5m後方に移設されたとのこと。38里目。
十王堂跡到着。

六地蔵幢。

地蔵堂の中にはかわいらしいお地蔵様と十王尊。

十王堂跡の斜め前には道標があった。棚倉街道への分岐である。
寛永6年(1629)、「紫衣事件」によって江戸幕府の怒りを買った僧、沢庵宗彭と玉室宗珀が流人として流刑の地、羽州上山と奥州棚倉へ護送される途中、この追分口で別れたという。沢庵漬けの考案者と言われるけれど、果たして本当なのかしらん。

市野沢交差点を過ぎた先に大きな高野槙がある。
目通り3.1m、樹高17m、推定樹齢400年。

少し先に如意輪観音があったが、ここは首切り山といって、刑場があった場所という。

弘法大師句碑。「蓑に沿う 市野沢辺の ほたる哉」。
弘法大師が、この地を通った際に詠んだものだと伝えられているが、実際は江戸時代に詠まれたものとか???
(2へ続く)

ボルドーの白ワイン。
ソーヴィニヨンブラン80%、セミヨン20%。
セミヨンが入っているので、味がきりっとするかと思いきや・・・
それほど味ははっきりしてませんでしたね。
もう一息なワインでした。

チリの赤ワイン。
メルロー100%。
メルローとは思えない濃さですね。
カカオっぽい感じで、スパイシーさもあって、これ好きだな。

スペイン、カタルーニャの赤ワイン。
ガルナッチャ60シラー40。
これは、ガルナッチャの味ですね~
濃くはない・・・どちらかというとやさしめだけれど、まずまずですね。

スペインの赤ワイン。
ラベルがかわいいですね。セットに入っていたワインだけれど、これジャケ買いしちゃうかも?
品種はモナストレル、カベルネ・ソーヴィニヨン、テンプラニーリョ。
味はというと、テンプレニーリョがちょっと勝ってるって感じですかね。まあまあです。

イタリアの赤ワイン。
なんか、ラベルが安っぽいなあと思ってちょっといやな予感がしたのだけれど・・・
予感的中。
味も安っぽかった。薄くペラペラ。
軽くてすいすい飲めるけれど、もうちょっと厚みが欲しいですね。

昨年も発売されたビール。
サッポロビール園では通年飲めるのかな?
注いでみると、少し薄めの色。
飲んでみると、軽い感じ。でも薄いとかいうことではなくて、苦みもしっかりあって、なかなかよろしいです。
夏向きのビールとしてよいのではないでしょうか。

先日、榛名山に行った際にしんとうワイナリーに寄って購入したワイン。
赤白両方買ってまずは白から。
ぶどうは甲州ぶどう。
香りは、フルーティ。グレープフルーツ的な感じ。
飲んでみると、辛口ですね。爽やか。
これ、魚にもいいけれど、肉にもあいそう。

ヴァン・ド・ペイ・ドックのワイン。
品種はグルナッシュ80、シラー10カリニャン10。
いかにも南仏っぽい!
注いでみると、明るい色。
飲んでみると、まずまず濃い。
ちょってお樽香があるけれど、気になるほどではない。
これはがっつり肉料理かな。

イタリア、アブルッツォの赤ワイン。
正直、かなり安いワインだったので心配だったのだが・・・
案外よかった!ホッ。
ダブルッツォはあたりはずれが大きくて、賭けみたいなところがあると思っているのだけれど、これはあたり。
やや軽めだったけれど、まずまずでした。

クラフトビール定期便が届いた。
今回は飲みきってしまい、一番搾りを買ったりして届くのを待っていた。
今回は、久々登場の軽井沢高原ビール・ワイルドフォレストとクラフトザウルス・ブラックIPAを多めに。両方とも前に飲んだ時に気に入ったビールなので。
ビールのおいしい季節になりました!
(3より続き)

お寺の斜めむかいには国井宅の赤マツが。
目通り周囲1.7m、樹高7m、推定樹齢約200年。

蒲蘆碑(ほろのひ)なるものがあった。
代官山口鉄五郎の善政を讃えたもの。
この地の者は蜃気楼のことをホロと呼んでいて、中国の書 「中庸」 の中にある一文、「政治は蒲や慮のようなもの」から、山口鉄五郎の善政を蜃気楼の蒲慮に結び付けたものなのだそうだ。

湯殿神社。建久6年(1195)那須与一が勧請したもの。

文久元年(1861)の湯殿山と刻まれた石燈籠がある。
このあたりから湯殿山に詣でたのだろうか。

護法寺。

山門脇には文政9年(1826)の南無妙法蓮華経題目碑がある。

本堂の屋根は緑色で、なかなかに目立つ。

先に進み、ミニストップを通り過ぎた先に浅野八幡神社。
このあたりは、天保12年(1841)以来、加勢友助等によって開墾され、八幡神社はその鎮守として安政2年(1855)に勧請されたもの。

入口には加勢友助翁碑があった。

次第に家が多くなり、神明町の交差点手前に大田原宿新田木戸跡の碑がある。ここが大田原宿の江戸口。
元々那須氏の所領であったが、室町時代後期、那須家の家臣、大田原資清が大田原城を築城し、城下町を形成する。これが大田原の起源とされている。江戸時代は、大田原氏の城下町として栄え、多くの街道が集まる宿場町として賑わったという。本陣2、脇本陣1、旅籠42。
街道は交差点を右折するが、バス停は直進。
しかし、4時1分のバスにはまだちょっと時間があるので、薬師堂だけ見学することとする。

大田原城四方固めの一つの薬師如来が祀られる小堂を寛政5年(1793)に9代藩主大田原庸清が再建。

薬師堂。
彫刻が見事だ。


中には仁王様(金剛力士像)が。

七重塔。貞享元年(1684)の建立。

仏舎利塔。元禄7年(1694)の建立。

一石二地蔵など。
これにて終了。

末広2丁目バスより、大田原市市営バスに乗って那須塩原駅まで(200円!)。
それほど遅れず、4時40分前に駅到着。
元々ゆっくりめの7時3分の新幹線を予約していたのだが、5時3分のに変更。
駅弁を買ったものの、3列の真ん中席では落ち着いて食べられないので帰宅して食べることに。
帰宅は7時前。

食べたお弁当はなぜか?米沢のお弁当やさんのあなごめしだったが、あなごがとても柔らかくおいしかった!

おみやげは、佐久山宿の勘兵衛饅頭と、那須塩原駅で買った(街道とは関係ないけれど)特別純米酒・とちまるくん。
42890歩。
次回は、芦野まで一気に行けますかどうか・・・
(完)
(2より続き)

正浄寺。

芭蕉句碑がある。
「花の陰 謡い似たる 旅寝哉」

岩井橋で箒川を渡る。
高原山に源を発し、那珂川に合流する。

おお!橋から高原山などが見える!
道は上がっていく。

桜観音と呼ばれる馬頭観音が6基並んでいた。
安永7年(1778)、嘉永4年(1851)、明治31年、昭和のものなど年代はいろいろだ。

またまた水田を見つつ進む。

このあたりの水路や川は水がきれいだ。

養福院。

二十三夜塔、如意輪観音、馬頭観音など。

その少し先に田谷川があるが、ここにはイトヨというお魚が棲んでいるとのこと。水のきれいなところに棲むのでしょう。

聖徳太子碑。

この日二つめの長屋門。
セブンイレブン到着。
ここは山々が見渡せるところだ。

残念ながら日光の山は見えなかったが、西平岳、高原山(釈迦ヶ岳)、剣ヶ峰、明神岳、前黒山はよく見える。

もう少し左には、日留賀岳、鹿又山、大佐飛山も。
残念ながら那須岳や朝日岳などは雲の中でほとんど見えなかった・・・

またまた那須与一のマンホール。
先に進む。

祠の中のお地蔵様。新しいのもあるけれど、すっかり風化したのもある。

享保4年(1719)の創建の薬王寺に寄ってみる。

小僧さんやら、七福神やら、不動明王やらいろいろある。

灯籠には羅漢様?

なぜか蛙やら亀もたくさんいる。

元禄3年(1690)の馬頭観音、弘化3年(1846)の馬頭観音、宝暦10年(1760)の念佛百万遍供養塔、如意輪観音、十九夜念佛供養塔など。
(4へ続く)
(1より続き)

高久宅のツツジ群。残念ながらもうツツジの季節は終わってしまったようだが、ヤエヤマツツジは目通り周囲0.3m、樹高5m、推定樹齢200年なのだそう。
さて、そろそろ予定していた昼食場所が近づいてきたのだが、開店は11時。少し早いのでコンビニのあたりで少し時間をつぶし、それでも早いがお店の前で待っていようといったら、10分以上前なのに、もう2組待っている。
菜胡野家という古民家を改装したレストランである。


天井が高く、いい感じのお店だ。
頼んだのは人気№1のシチューハンバーグセット。

わーお、ハンバーグ大きい!
ご飯は小にしておいたが正解!結構おなかがいっぱいだ。
12時前、もう満席で数組待っているという・・・
早く到着してよかったな~

木の股地蔵尊のお堂が見えるがどこからあがったらいいかわからず、断念。つぶれ坂を上がる。
ほどなく道は下り、農産物直売所きらり佐久山をちょっとのぞいて、道を下ると佐久山宿に入ってきた。
佐久山は那須氏の発祥の地。文治3年(1187)那須泰隆(那須与一の兄)が佐久山城を築き、城下に家臣たちを配置したのが佐久山の始まりといわれる。江戸時代は同族の旗本福原氏5000石の領地となって明治まで続いた。本陣1、脇本陣1、旅籠27。

早速マンホールは那須与一だ。
山の神を通り過ぎ、観音堂へ。
正保年間(1644~1648)、福原城主那須資弥創建。

参道にはずらりと石仏石塔が並ぶ。

六地蔵の向こうに並ぶのは馬頭観音だ。

観音堂。

脇にあったのは、念佛供養塔や地蔵菩そして支那事変應徴馬魂碑である。

内陣。

斜め向かいにあるのは虚空蔵堂で、ちょっと危なっかしい階段をのぼったところにある。
このあたりが佐久山宿の江戸口で番屋が置かれていた。

参道脇には文化12年(1815)の二十三夜塔があった。

なまこ壁の蔵を通り過ぎて県道に合流。

豊道春海翁生誕之地碑。
この地に生まれた書家で文化功労者にも選ばれた人だそうだ。

公衆トイレの壁にも那須与一!

その裏にある大日堂には大きなケヤキがあるとのことだったがわからず・・・

不動明王が祀られていた。

羽黒山三山碑。

村上英俊翁誕生之地碑があるあたりが本陣跡。
日本初のフランス語学者だそうだ。
安政2年(1855)創業の小島屋さんで、勘兵衛饅頭を買い(勘兵衛さんは初代の名前らしい)、島崎酒造に寄ろうと思ったらない!
と思ったら、どうやら廃業していたようだ・・・残念。

枡形があって、佐久山宿を出る。
(3へ続く)
4月以来の奥州街道歩き。
いつもと同じ新幹線に乗り、宇都宮到着7時。
宇都宮線に乗り換え、氏家駅到着7時33分。バスの発車時間が37分なので急ぐ。

首尾よく乗れて、バスもほとんど遅れず喜連川本町バス停に到着。8時すぎに歩き始める。
前回、元たかしお薬局の先まで歩いているので、スタスタと歩く。

台町の交差点で街道は右に折れるが、逆方向へいってまずは専念寺に寄る。

弘安6年(1283)に鋳造された善光寺式阿弥陀如来立像が安置された阿弥陀堂。残念ながら中は見られない。

交差点の段上に集会所があり、そこに道標がある。
享保9年(1724)に建てられ たもので「左在郷道・右奥州海道」 と刻まれている。
地元の方がおっしゃるには元は旧道の入り口にあったが、道路の拡張にあたってここに移されたのだそうだ。
さて、旧道を下って行く。

内川を金竜橋で渡る。

水田も見える。

金鶏神社。鶏権現ともいう。
両部鳥居だ。

扁額が鶏だ!
ここからまた旧道に入る。

大きな双体道祖神があった。昭和63年のものとのことで新しい。
祝言道祖神ですね。
すぐに県道に合流、右手にフィオーレ喜連川(温泉付き住宅地)を見つつ、だいぶ進むと左手に旧道入り口がある。
しかし、この旧道には大規模な養豚場などがあって、強烈な臭気で難儀するとのこと、またその先はちょっと道が荒れているらしいと聞いたので、ここはおとなしくそのまま県道を歩く。
道はゆるやかに上っていき、その後下る。

下りはじめのところに、石塔いろいろ。
右から、馬頭観音、文化10年(1813)の二十三夜塔、昭和55年の庚申塔・大正9年の庚申塔。

さらに進んで馬頭尊と刻まれた石碑(右)と大正9年の馬頭観音。

その先は一体が田んぼ。だいぶ育ってきている。

サギがいて、何かを捕らえて食べているようだ。
田んぼにはたくさんのオタマジャクシが見える。

立派な長屋門の旧家があり、その先の曽根田交差点を右に街道は進む。

少し進むと天皇御小休之際御膳水碑がある。明治9年の巡幸のおりに休憩したらしい。

となりには双体道祖神が。

江川を宮下橋で渡るとまた田んぼが広がっている。向こうには山も見える。

しばらく歩くと史跡明治天皇引田原御小休所址碑があり、奥に明治天皇御休輦之處碑があった。やはり明治9年の巡幸の際に休憩したところ、らしい。わりと頻繁に休憩してるな~

35里目という下河辺の一里塚は、毛塚家の敷地内にあるということだったが、わからず、その先にほほえみ仏の標柱があった。
かわいらしいですね。

これ、涅槃仏??

さくら市から大田原市へと入る。
(2へ続く)
ふっかちゃんの絵がかわいくてついついこれを選んでしまった!
中山道沿いの酒蔵のお酒である。


ふっかちゃん、後ろ姿ってこんなだったのかという・・・
バンダナしてるのかな?
飲んでみると、ふわっと甘い香りがまずきて、味も甘みを結構感じる。酸味はあまり感じられないですね。
でも、穏やかな日本酒かと。
飲みやすいです。

先日、中山道歩きをした際、深谷の酒蔵で購入したお酒。
スタンダードなお酒をチョイス。
深谷は他に滝澤酒造もあるし、今は廃業してしまったけれど七ツ梅酒造という酒蔵さんもあったしで、なかなか!
飲んでみると、ちょっと酒くさいかな。こういうの苦手じゃないのでオッケー。
そして、ちょっと甘め。
じわじわ飲むといい感じでした。

先日、道の駅まえばし赤城で購入したお酒。
水沢観音に行った際、船尾滝への道があり(ただし、通行止めになっていた)、そういえばこの名前のお酒があるねということで、道の駅で見かけて購入した。
なかなかよさそうな滝だな~榛名山系の湧き水を集めた滝らしい。
その滝がある吉岡町の蔵元のお酒。
飲んでみると、勝手に辛口に違いないと思ってたのだけど、結構甘かった・・・
といっても苦手な甘さじゃないので、これはこれであり!

南魚沼の蔵元のお酒。同居人氏の出張みやげ。
いやー、ラベルがいいですね、雪男。
山中に現れ、旅人のにぎり飯をもらいお礼に荷物を担ぎ、道案内をする毛むくじゃらの異獣・・・というのが雪男らしい。雪女とはちょっと違うな。なんかかわいらしい!
飲んでみると、意外と酒くさいお酒ですね(いい意味で)。
辛口ですっきり。
普段使いによさそう。
二本松の酒蔵のお酒。
中口のお酒。
飲んでみると、一口目は辛さがくるけれど、その後甘みがじわじらくる。
といっても穏やかな甘さで、酸味も適度で料理の邪魔をしない感じです。
何にでもあいそう。

昨年も発売されたビール。
昨年はジャパニーズエールとは書いてなかったけれど。
注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、香りはいいけれど、これって小麦麦芽も使ってるのかな?缶には書いてないけれど・・・
ちょっとは使ってそうだけど、そんなにホワイトビールっぽさはないですね。
苦みはそれほどではなくて、柔らかい味わいのビールでした。

サッポロビールのニッポンホップ第2弾。
第1弾は始まりのホップというものでした。
国産ホップでというのがコンセプトかな?
注いでみると、フツーの黄金色。
飲んでみると、一口目、意外と甘さがあるのかなと思ったら、その後にじわーっと苦みがくる。ホップが結構主張してますね。
なんでも
「昭和中期、サッポロビールの研究員が優れたホップ品種の開発に試行錯誤する中、 100万株の中からたった1つだけ黄金色に輝くホップを発見。 それがゴールデンスター」
とのこと。
そうやら第3弾も発売されるらしいのだけど、どんなかな?
このシリーズ好きなので楽しみ。


富士山が特徴的なスーパードライ。
味はスーパードライと変わらないかと思いきや、違う!
スーパードライより、少し重めかな。
でもやっぱりシュワシュワでした。
(5より続き)

またまたマンホール。
市の花パンジーのデザイン。
街道は線路で遮られているため、案内に従って踏み切りで渡る。

進んだ先に間の宿の解説版があった。
熊谷宿と鴻巣宿は16.5キロもあったため、吹上に間の宿がもうけられた。

吹上神社。
吹上という地名は、風で砂が吹き上げるところから生じたものとの説があると書いてある。

隣の東曜寺にも寄る。
いぼ地蔵尊があるとのことだったが、見つけられず。

吹上本町交差点で左折、少し進むと明治天皇御駐輦碑がある。
徳富蘇峰が書いたもの。
吹上茶屋本陣跡である。

ここでようやくコンビニがあって、お約束のソフトクリーム休憩。

旧道に入ったところに妙徳地蔵。眼病に御利益があるそう。
最近目の調子がよくないので、よくなるよう拝む。

またまたマンホール。パンジーとお雛様、荒川と吹上にある水管橋のデザイン。鴻巣市では鴻巣びなというお雛様が昔から作られていて関東三大雛市の一つだそう。あとは岩槻とか?

その先でまたまたうっすらと富士山が見えた。

高札が保存されているという名主の江原家を通り過ぎた先に前砂の一里塚跡があった。14里目。

ちょっと寄り道。龍昌寺へ。

前砂一里塚付近にあったという六地蔵。
ここからも富士山が見えました。

街道に戻り、集会所のところに庚申塔があったのだが、猿が踊っている?庚申塔もいろいろですね。

べったら塚古墳。べったら漬とは関係ないんですね。

古墳の上には一石六地蔵があった。

箕田追分交差点到着。ここでこの日の街道歩きは終了。

この日唯一の猫さん。

北鴻巣駅到着。
と、電車が入ってくるのが見えて駆け込む。なぜ、いつもギリギリなのか・・・
順調に電車を乗り継ぎ、地元到着は5時半過ぎ。
いつもの居酒屋さんにて飲む。

お通しはオクラの土佐和え、小松菜のそぼろあえ。
刺し盛り5点盛(まぐろ脳天、ひらめ、しまえび、あわび、かつお)、マテ貝の酒蒸しバター、あん肝ポン酢、生帆立とアスパラの銀あんとろろかけ。お酒は瓶ビールのあと鳳凰美田。
帰宅は7時過ぎ。

おみやげは五家宝、軍配瓦煎餅に、直実ワンカップ。
約45900歩。
またしばらく中山道はお休みです。
(完)
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(4より続き)

土手を降りたところに久下権八地蔵。
権八は同僚を殺害し江戸に逃れたが、途中金に困って久下の長土手で絹商人を殺害し大金を奪った。その現場で地蔵尊に権八が 「今の事は他言してくれるな」 と言ったところ、石地蔵が 「吾れは言はぬが 汝言うな」 と言い返したという。
その後130人もの人を殺して金品を奪い、鈴ヶ森刑場で処刑されたのだそうだ・・・

物言い地蔵。

お堂の前には小さな石仏などがたくさんある。

その前の公園に賽の神道標。「右・熊谷道 左・松山道」と刻まれている。

熊谷堤の碑も。

久下神社を通り過ぎ、また土手へと向かう。

ここまで麦畑ばかり見てきたが、ここにきて田んぼが!(このあと何カ所か見かけた)

輪型の坂を上がる途中に、修堤を記憶した輪型の碑があった。

土手を歩いていると、次々とカルタが出てくるが、もう字が見えなくなっているものある。
荒川ははるか遠くにあるのだけど、気持ちのいい道だ。風が涼しい。

土手の下に降りて、一里塚跡を見に行く。稲荷神社のところだ。
道でないところで土手を上がったので、靴に草が・・・

行田駅を横目に見つつ進むと、決壊の跡碑があった。
昭和22のカスリーン台風で、この地点の堤防が決壊し、付近一帯に甚大な被害を与えたのみならず、利根川からあふれた濁流と合流、東京にまで達したそうである。

復旧用資材置き場(洪水への備えがさすが)を過ぎてさらに進んで、下に降りる。

八幡神社。

おもしろい石造物が。猿に鳩?庚申塔なのかしらん。

一度土手に上がりまた下がったところに、またまた権八地蔵があった。

二宮金次郎もなぜかいる。

その先で鴻巣市・旧吹上町のマンホールがあった。鴻巣市に入っていたのだった。
町の花のコスモスのデザイン。

榎戸公園にて休憩。

榎戸堰。元荒川に造られた最初の堰だそうだ。
(6へ続く)
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