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2023/06/26

奥州街道歩き第4回(大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~芦野宿2)

(1より続き)

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麻疹地蔵堂到着。
この地ではしかが流行してたくさんの幼児が亡くなったことを哀れんで地蔵尊を祀ったという。

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またもや六地蔵幢が見える。安政3年(1856)の宝篋印塔も。

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まだ10時半だったが、この先雨宿りができる箇所もなく、食事ができるお店もないので、ここでおにぎりの昼食。
いやはや、こんなに雨が降るとは・・・

30分弱休憩し出発。

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歩いていると、わっ。危ない!踏みそうになってしまった・・・
アマガエル!
この後も雨だからか、たくさんアマガエルに出会ったのだけど、車道は危険だよ・・・

このあたりから緩やかな坂を上ったり下ったり。

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下り坂に入ったところに明治天皇御駐輦紀念碑があった。
明治9年の東北巡幸の際に休息された場所。

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那須塩原市に入る。
天気が悪く那須連山が見えず残念である。

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馬頭観音。

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樋沢の不動堂は私有地を通らないといけないかもとパス、樋沢神社に寄る。

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境内には八太郎義家愛馬蹄跡の岩がある。
後三年の役で陸奥平定に向かう八幡太郎義家(源義家)がここを通りかかった際、この神社を見て、義家は戦勝祈願にと、馬で一気に丘を駆け上がったが、あまりの勢いに巨岩の上に馬の前脚が乗ってしまい、蹄の跡がくっきりと、刻みつけられたのだという。
葉っぱがたまってしまっているけれど、まあ大きな蹄に見えなくはない・・・

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後ろの岩は葛籠石(つづらいし)。つづらふじで編んだ着物を入れるかごに似ているとのことだが、うーん、よくわからない。

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そしてまたまた六地蔵幢が!

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樋沢の大沼跡(坂上田村麻呂が蝦夷鎮圧に向かう途中、人を喰う大うなぎのことを聞き、沼を掘抜き干潟として、大うなぎを退治したという。これによって出来上がった干沢が地名の樋沢になった・・・)を見てから、鍋掛一里塚へ。11メートルほど東にあったものは移されている。41里目。

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ここには鍋掛神社もあった。

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鍋掛交差点にあるコンビニにて休憩。
プリンを食べる。

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コンビニの向かいにあるのが清川地蔵尊。
延宝7年(1679)の造立。

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元禄15年(1702)の青面金剛の庚申塔や、首のない如意輪観音など。庚申塔は奥州街道では少なめ。馬頭観音が多い気が。

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鍋掛宿に入ってきた。道がまっすぐ続いている。石碑みたいなものが並んでいる。
鍋掛宿は、奥州街道の難所の一つと言われた那珂川の手前にあって川留めの時など大いに賑わったという。本陣1、脇本陣1、旅籠23。
鍋掛という地名の由来は、川留めにより旅人が溢れて、住民が総出で鍋を掛け炊き出しを行ったところに由来するという。

(3へ続く)

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