中山道六十九次歩き(第31回) 籠原駅~熊谷宿~北鴻巣駅5
(4より続き)
土手を降りたところに久下権八地蔵。
権八は同僚を殺害し江戸に逃れたが、途中金に困って久下の長土手で絹商人を殺害し大金を奪った。その現場で地蔵尊に権八が 「今の事は他言してくれるな」 と言ったところ、石地蔵が 「吾れは言はぬが 汝言うな」 と言い返したという。
その後130人もの人を殺して金品を奪い、鈴ヶ森刑場で処刑されたのだそうだ・・・
物言い地蔵。
お堂の前には小さな石仏などがたくさんある。
その前の公園に賽の神道標。「右・熊谷道 左・松山道」と刻まれている。
熊谷堤の碑も。
久下神社を通り過ぎ、また土手へと向かう。
ここまで麦畑ばかり見てきたが、ここにきて田んぼが!(このあと何カ所か見かけた)
輪型の坂を上がる途中に、修堤を記憶した輪型の碑があった。
土手を歩いていると、次々とカルタが出てくるが、もう字が見えなくなっているものある。
荒川ははるか遠くにあるのだけど、気持ちのいい道だ。風が涼しい。
土手の下に降りて、一里塚跡を見に行く。稲荷神社のところだ。
道でないところで土手を上がったので、靴に草が・・・
行田駅を横目に見つつ進むと、決壊の跡碑があった。
昭和22のカスリーン台風で、この地点の堤防が決壊し、付近一帯に甚大な被害を与えたのみならず、利根川からあふれた濁流と合流、東京にまで達したそうである。
復旧用資材置き場(洪水への備えがさすが)を過ぎてさらに進んで、下に降りる。
八幡神社。
おもしろい石造物が。猿に鳩?庚申塔なのかしらん。
一度土手に上がりまた下がったところに、またまた権八地蔵があった。
二宮金次郎もなぜかいる。
その先で鴻巣市・旧吹上町のマンホールがあった。鴻巣市に入っていたのだった。
町の花のコスモスのデザイン。
榎戸公園にて休憩。
榎戸堰。元荒川に造られた最初の堰だそうだ。
(6へ続く)
マップはこちらを使っています
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