« 奥州街道歩き第3回(喜連川宿~佐久山宿~大田原宿1) | トップページ | 奥州街道歩き第3回(喜連川宿~佐久山宿~大田原宿3) »

2023/06/12

奥州街道歩き第3回(喜連川宿~佐久山宿~大田原宿2)

(1より続き)

1_20230612012301

高久宅のツツジ群。残念ながらもうツツジの季節は終わってしまったようだが、ヤエヤマツツジは目通り周囲0.3m、樹高5m、推定樹齢200年なのだそう。

さて、そろそろ予定していた昼食場所が近づいてきたのだが、開店は11時。少し早いのでコンビニのあたりで少し時間をつぶし、それでも早いがお店の前で待っていようといったら、10分以上前なのに、もう2組待っている。

菜胡野家という古民家を改装したレストランである。

2_20230612012301

3_20230612012301

天井が高く、いい感じのお店だ。

頼んだのは人気№1のシチューハンバーグセット。

4_20230612012301

わーお、ハンバーグ大きい!
ご飯は小にしておいたが正解!結構おなかがいっぱいだ。

12時前、もう満席で数組待っているという・・・
早く到着してよかったな~

5_20230612012301

木の股地蔵尊のお堂が見えるがどこからあがったらいいかわからず、断念。つぶれ坂を上がる。

ほどなく道は下り、農産物直売所きらり佐久山をちょっとのぞいて、道を下ると佐久山宿に入ってきた。
佐久山は那須氏の発祥の地。文治3年(1187)那須泰隆(那須与一の兄)が佐久山城を築き、城下に家臣たちを配置したのが佐久山の始まりといわれる。江戸時代は同族の旗本福原氏5000石の領地となって明治まで続いた。本陣1、脇本陣1、旅籠27。

6_20230612012301

早速マンホールは那須与一だ。

山の神を通り過ぎ、観音堂へ。
正保年間(1644~1648)、福原城主那須資弥創建。

7_20230612012301

参道にはずらりと石仏石塔が並ぶ。

8_20230612012301

六地蔵の向こうに並ぶのは馬頭観音だ。

9_20230612012301

観音堂。

10_20230612012301

脇にあったのは、念佛供養塔や地蔵菩そして支那事変應徴馬魂碑である。

11_20230612012401

内陣。

12_20230612012401

斜め向かいにあるのは虚空蔵堂で、ちょっと危なっかしい階段をのぼったところにある。
このあたりが佐久山宿の江戸口で番屋が置かれていた。

13_20230612012401

参道脇には文化12年(1815)の二十三夜塔があった。

14_20230612012401

なまこ壁の蔵を通り過ぎて県道に合流。

15_20230612012401

豊道春海翁生誕之地碑。
この地に生まれた書家で文化功労者にも選ばれた人だそうだ。

16_20230612012401

公衆トイレの壁にも那須与一!

17_20230612012401

その裏にある大日堂には大きなケヤキがあるとのことだったがわからず・・・

18_20230612012401

不動明王が祀られていた。

19_20230612012401

羽黒山三山碑。

20_20230612012401

村上英俊翁誕生之地碑があるあたりが本陣跡。
日本初のフランス語学者だそうだ。

安政2年(1855)創業の小島屋さんで、勘兵衛饅頭を買い(勘兵衛さんは初代の名前らしい)、島崎酒造に寄ろうと思ったらない!
と思ったら、どうやら廃業していたようだ・・・残念。

21_20230612012601

枡形があって、佐久山宿を出る。


(3へ続く)

« 奥州街道歩き第3回(喜連川宿~佐久山宿~大田原宿1) | トップページ | 奥州街道歩き第3回(喜連川宿~佐久山宿~大田原宿3) »

街道歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 奥州街道歩き第3回(喜連川宿~佐久山宿~大田原宿1) | トップページ | 奥州街道歩き第3回(喜連川宿~佐久山宿~大田原宿3) »

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon