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2023/06/28

奥州街道歩き第4回(大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~芦野宿4)

(3より続き)

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会三寺。文亀元年(1501)開山。

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この地で麻疹が流行り大勢の子供が亡くなり、第14代住職法印旺盛が111体の木造地蔵尊を彫り菩提を弔った。現在80体ほどが残っているとのこと。

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寺子橋で余笹川を渡る。

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土手道に降りて進むと、だるま石がある。
元は川の中にあって水位の目安になっていたとのことだが、だるまっぽくはないような??

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旧道が県道に合流するところに弁慶の足踏み石。
文化4年(1807)の馬頭観音の側面(右に見える)に草鞋のような形の窪みがあり、これが言い伝えでは弁慶が馬に乗る際に付けてしまった草鞋跡なのだという。

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二十三夜塔、如意輪観音、一面六臂の青面金剛の庚申塔など。

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牛の形をした畜魂碑もあった。

その後、いくつか石仏、石造物を見つつ、坂を上がっていく。

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那須町に入った。

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黒川橋で黒川を渡る。
雨のせいか、結構な水量だ。

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県道にちょっと入ったところに夫婦石。夫婦石神社のご神体である。
戦国時代に敵に追われた男女がこの石の割れ目に隠れると、白蛇があらわれ、敵が逃げ帰ったので命拾いしたのだという。

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境内には左から、腹身地蔵、日切地蔵、合掌地蔵、不動明王、財福地蔵がある。

街道に戻り少し進み、瑞穂農場入口を過ぎた先に夫婦石の一里塚がある。43里目。

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西塚。

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東塚。

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再び旧道に入ると足尾大神があった。足の病に御利益があるという。サンダルがかけられている。
少し前から太ももがつりかけていたのだが、お詣りしたらよくなった!

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奈良川を芦野橋で渡る。

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渡り詰めに大きなお地蔵様。享保12年(1727)造立の川原町地蔵尊で、ここが芦野宿の江戸口である。
芦野氏は那須一族の血をひき、鎌倉時代からこの地を支配していた。芦野宿は江戸時代になって奥州道中が整備され、交通が盛んになると、宿駅として発展した。本陣1、脇本陣1、旅籠25。

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宿内の各家の前には屋号が書かれた石灯籠が置かれていて、力を入れているなあと思う。

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ぬり屋ってなんだろう?

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桶屋。


(5へ続く)

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