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2023/06/27

奥州街道歩き第4回(大田原宿~鍋掛宿~越堀宿~芦野宿3)

(2より続き)

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八坂神社の文化5年(1808)の芭蕉句碑。
「野を横に 馬牽(ひ)きむけよ ほとゝぎす」。

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お隣のお寺は正観寺。
山門は本陣門を移築したもので、横には樹齢260年のしだれ桜がある。かなり大きな木で、幹が三本に分岐している。

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本堂。

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昭明橋で那珂川を渡る(現在工事中)。

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と、もう次の宿、越堀宿に入ってきた。
参勤交代で江戸に向かう仙台藩の伊達候が那珂川の川留めに遭い、越堀に小屋を建てたのが宿の始まりで、その後、正保3年(1646)に正式に越堀宿となった。明治の大火で遺構はなし。本陣1、脇本陣1、旅籠11。

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浄泉寺。

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境内には黒羽領境界石がある。「従此川中東黒羽領」と刻まれている。
黒羽藩主大関増業は、自藩と他藩との境界を明らかにするため境界石を何カ所かに建てた。

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明治天皇御駐輦之碑もある。

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賀茂神社。
越堀の大杉と書かれていたが、鳥居の後ろにあるのがそうなのだろうか?

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枡形があって、越堀宿を出る。

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高久靄厓(谷文晁に学び、渡辺崋山らと親交があった画家とのこと)の墓の標柱を通り過ぎ、伊勢大神宮遙拝碑、馬頭観音を見る。その後金比羅神社もあった。

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大きな馬頭観音。安政2年(1855)のもので、小さい方は明治24年のもの。

このあたりも坂を上ったり下ったり。

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富士見峠を越える。標高295.5メートル。
昔は富士山が見えたという。今は木が鬱蒼と茂っていて、晴れていたとしても見えない・・・はず。

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峠から下っていくと温泉神社がある。

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上に大黒様が見える。

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そのすぐ先に寺子一里塚。42里目。道路拡張にあたり、復元されたものだそう。

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馬頭観世音もあった。
左は安永4年(1775)のもの。道標になっている。


(4へ続く)

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