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2023年10月

2023/10/31

佐屋街道歩き3

(2より続き)

街道に戻る。
直進して川に突き当たったところが万場の渡し跡だが、今はわたれないので、迂回すべく右折。

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直進して万場大橋の高架をくぐると七所社がある。

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このあたりの多くの神社にある蕃塀がここにも。

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本殿。

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境内には3つの園墳があり、こちらは一号墳。

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二号墳。
三号墳は日露戦争の戦勝記念碑のあったところだったらしいのだが、そこだとは思わず写真を撮らなかった・・・

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日本武尊の腰掛け石。
日本武尊が伊吹山の荒ぶる神の退治に向かう際、庄内川の舟渡しを待つ間に腰掛けたのだという。
日本武尊腰掛岩と三つの塚の二字の組み合わせが岩塚という地名の由来なのだそうだ。

この神社にはきねこさ祭という尾張三大奇祭の一つであるお祭りがあるそう。
厄年の男衆十二人が一本の笹竹を持って庄内川に入り、川の中程で笹竹を立て、一人が登り、竹の倒れた方向で農作物の吉凶を占うお祭りとのこと。

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このタイルがそうですね。

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街道に戻り、階段を上がって庄内川を万場大橋で渡る。

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渡りきって土手を進むと下に秋葉社が見える。
天保十三年(1842)建立の秋葉大権現常夜燈もある。

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道は右に曲がっていて、万場宿に入った。
万場宿は寛永十一年(1634の宿開設。岩塚宿と合宿で問屋業務は月のうち上半月を勤めた。本陣一、問屋一、旅籠十軒。

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万場の渡しのタイル。

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旧家があるが、敷地は庄内川の氾濫に備え、石積みで嵩上げされていた。

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覚王院。本尊はちちの観音と呼ばれる鎌倉時代造立の千手観音立像だそう。
境内には乳の木(実の中が母乳に似ているとか)があって年2回実をつけるそうだが、どの木かわからないかった。

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お隣は國玉神社・八劔社相殿。

道は右に曲がるが(高札場があったところ)、光圓寺が見えてきた。

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大きな石灯籠!

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山門には臥龍山の額がかかっているが、この門は織田信長と斎藤道三が会見した尾張國中島郡冨田村(現在の愛知県一宮市)の聖徳寺から移築したもの。

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本堂と三重塔。塔は比較的新しいようだ。

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弥次さん喜多さんのタイル。

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新川を砂子橋で渡る。
庄内川の水害を防ぐため、放水路として天明七年(1787)尾張藩が四十万両を投じて新川を開削した。橋は天明七年(1787)に架けられている。

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十二所神社社標と鳥居。今度は十二か・・・

いつの間にか大治町に入っていた。

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大治町のマンホールは赤しそと明眼院の門。
日本初の眼科治療院だった明眼院も行ってみたかったが、街道からかなり離れているようだったのでパスすることにした。

(4へ続く)

マップはこちらを使用しました

2023/10/30

佐屋街道歩き2

(1より続き)

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その先の創業1927年の和菓子屋さん、不朽園で不朽最中をおみやげに買う。

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新幹線の高架をくぐった先、唯然寺の境内に津島街道(五女子の)一里塚跡の石柱がある。

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このあたりの地名は五女子(ごにょうし)。
昔々、長者が七人娘の各嫁ぎ先に付けた村名で一女子村から七女子村があり、二女子、四女子、五女子が現存。

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佐屋街道は五女子の他、二女子を通る。

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明治天皇御駐蹕之碑。
明治元年東京から京都へ還幸する際に休息したとのこと。
明治天皇、佐屋街道も通っていたんですねぇ。
その先の明治天皇御駐輦之所碑は見逃してしまって残念・・・
明治天皇は明治元年9月に東幸、12月に還幸、翌年3月に東幸と三回佐屋街道を通っていて、駐輦之所碑のところで三回目に通った際休息をしている。

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中川運河を長良橋で渡る。
昭和初期に開削され、名古屋駅近くの笹島と名古屋港を結ぶ運河。

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北の方に見えるのは、名古屋市街のビルだ。

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籠担ぎが描かれたレリーフ。

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あおなみ鉄道、JR関西本線、近鉄の高架をくぐった先に烏森駅(かすもり)があり、すぐのところに松が植えてあるが、ここは烏森の松並木跡。烏森村にはかつて立場があったそうだ。
佐屋街道の松並木は、戦争中に伐採され、ほぼ消滅してしまったのこと。

10時55分、昼食場所に到着。
ちょっと早いけれど、このあたりを通り過ぎてしまうとしばらく飲食店がなさそうなので、11時開店を待つ。

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Cafe&Eat OMPというカフェ。

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頼んだのは贅沢デリランチ+ドリンクバー。
この日のメインは、若鶏のハニーレモンロースト。
自家製キッシュ、キャロットラペ、卵サラダ、グリーンサラダ、、ショートパスタ、卵スープ、バケット。
飲み物は白ワイン+デトックスウォーター。
いつも歩く際、お昼はお酒を飲まないのだけど、ついつい・・・
まあ一杯なら差し支えないですね。
とてもおいしいお食事でした。

 

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岩塚の一里塚跡はよくわからず、岩塚宿に入る。
岩塚宿は寛永十三年(1636)岩塚村を移住させて開設。庄内川対岸の万場宿と合宿で問屋業務は月のうち下半月を勤めていた。
本陣一、問屋一、旅籠七軒。残念ながら特に遺構はないけれど、宿という雰囲気は残っている。

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遍慶寺に寄る。
岩塚城があったところである。

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イブキの巨木があった。

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クロガネモチも。

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光明寺。

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なんだかいろいろな石造物あり。

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お地蔵様もたくさん。

(3へ続く)

マップはこちらを使用しました

2023/10/29

佐屋街道歩き1

東海道の脇往還の佐屋街道を歩いてみることにした。

東海道は宮から海路「七里の渡し」を行くが、天候による欠航や、船酔いなどにより嫌う人もおり、熱田より陸路を西へ進み、岩塚、万場、神守、佐屋と四つの宿場を経て、佐屋川、木曽川を3里下り、桑名へ至る佐屋街道も多く利用された。
この道は江戸時代以前から存在していたが、特に三代将軍家光が上洛の折利用したこともあって御殿や伝馬所等が整備され、東海道の主要脇往還として道中奉行の管轄下になり、一里塚や宿場も整備されている。佐屋川自体は、明治以後の木曽川改修により埋め立てられてたとのことだ。

6時15分発ののぞみに乗り、名古屋着7時50分。

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この日は、富士山がよく見えたのだが、雪はまだまだだ。

東海道線に乗り換え、金山駅で市営地下鉄に乗り換え、8時19分熱田神宮前伝馬町駅到着の予定だったのだが、東海道線がちょっと遅れて一電車あととなり、到着は25分。
30分すぎに歩き始める。まずはスタート地点のほうろく地蔵のあるT字路へ出るため、ちょっとだけ東海道を歩く。

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懐かしいほうろく地蔵。

向かいに道標がある。

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東 北 さやつしま(佐屋、津島) 同みのち(美濃路)
南 寛政二庚戌年

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西 東 江戸かいとう 北 なごやきそ道
北 南 京いせ七里の渡し 是より北あつた御本社貮丁目

国道はまっすぐ渡ることができないので歩道橋で渡る。

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蔵福寺、あつた蓬莱軒(一度食べてみたいなあ)を通りすぎで進むと、熱田神宮南門第一鳥居が見える。

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左折、右折して進むと西門第一鳥居。
本当は参拝したいところだったが、時間の都合でパス。

歩道橋を渡って進む。

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誓願寺。山門には葵紋。
山門脇に右大将頼朝公誕生舊地碑がある。
ここは熱田大宮司藤原季範の別邸があったところで季範の娘由良御前は源義朝の正室となり、久安三年(1147)この別邸で頼朝を産んだとのこと。

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熱田神宮第二神門址の標石。
かつて熱田神宮の周辺には八つの大鳥居があり八疆の鳥居と呼ばれていた。

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断夫山古墳。
全長151m、前方部の幅116m、高さ16.2m、後円部は直径80m、高さ13mと東海地方最大の前方後円墳だそうだ。うっそうとしていて全容は見えない。

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青大悲寺。
宝暦六年(1756)この地のきの女が開いた如来経の本山で、説法は御経様と呼ばれ、名古屋弁そのままで語られるのだそうだ。

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境内はとてもよく手入れされていてきれい。

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紅葉が進むと素敵だろうなあと思う。

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地蔵堂を探すもなく、まあいいかと思って進んだら、通り沿いにあったのだった。

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中には鉄地蔵菩薩立像が祀られている。室町時代のもの。

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続いて熱田神宮第一神門址の標石。

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妙安寺に寄る。

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芭蕉時雨塚がある。
「此うみに草鞋すてん笠しぐれ」

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六地蔵石幢。

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街道に戻って少し進むと、金山新橋南交差点のところに、文政四年(1821)の佐屋街道道標がある。
「東 右 なこや 木曽 海道」
「西 右 宮海道 左 なこや道」
「南 左 さや海道 津しま道」
継ぎ目があるが、戦災で破損し、修理されたらしい。
ここまで美濃路と道が一緒だったが、ここで分かれる。
いつか美濃路を歩いた時は、ここがゴールでいいかな。

佐屋街道は右折。

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堀川(家康の命による名古屋城築城の際に、福島正則によって城下と熱田湊を結ぶ資材運搬用の運河として開削された)を尾頭橋で渡る。

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欄干には昔の橋が描かれている。
新橋と書かれているが、尾頭橋は度々流失し再架橋されたところから新橋と呼ばれたそうだ。

(2へ続く)

マップはこちらを使用しました

 

2023/10/28

マルキドボンジョ ブラン

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ボルドーの白ワイン。
ソーヴィニヨン・ブラン。

飲んでみると、まったく角がないワインというか飲みやすい。
酸味が若干、甘みはなし。
こういうのが危険なんですよね、飲んじゃう(笑)

2023/10/27

久保田酒造 相模灘 純米吟醸 美山錦

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いただきもののお酒。相模原の酒造のお酒である。

飲んでみると、ちょっと甘そうな香り。
で、なんとメロンぽい!のちバナナに!
いやおもしろいな。
柔らかなお酒で、ほどよい甘み。
こんなのもいいですね。

 

 

2023/10/26

ヤッホーブルーイング Tropical Session IPA 2023

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今回のクラフトビール定期便で届いた新作ビール。

注いでみると、色はかなり薄め。

飲んでみると、IPAなので、ぎゅっとした苦みはくるけれど、ちょっとマイルドかな。柑橘系の香りもしっかりあって、フルーティ。
度数は4.5と低めだけれど、しっかりビールでした。

2023/10/25

よなよな月の生活(クラフトビール定期便)12回目

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よなよなビールが届いた。
今回は、途中で体調不良があったため、数本残っちゃってました・・・

今回新しくえらべたのは、「Tropical Session IPA 2023」と「正気のサタン」。
サタンは、低アルコール(0.7%)なので、買うかどうか迷ったけれど、試しに買ってみました・・・

今回も楽しみ。

2023/10/24

サッポロ ヱビス オランジェ

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ヱビスビールの派生品。
なんでも、若手醸造家がビールの開発に挑戦するプロジェクト、ヱビス クリエイティブ ブリューの代弾だそうで。
第1弾は何だっけ?と思ったら、あああれね。ニューオリジンでした。これはおいしかった。

買ってはみたものの、オレンジピールというと、何にあわせたらよいやら・・・いつ飲もう?と迷ってしまったが、えいやと笑

注いでみると、アンバー色。
飲んでみると、んん?
ちょっと、オレンジピールっぽい感じはあるけれど、それが苦みとなって出てるのかな。柑橘っぽさはなし。
いや、もっとキワモノかと思ったけれど、案外フツーのビールで、料理の心配をしなくてもよかった・・・
度数は6%あるので、ちょっと強い感じはありますね。

2023/10/23

キリン  一番搾り やわらか仕立て

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キリン一番搾りの限定品。
色もやわらかな感じですね。

注いでみると、普通のより少し薄めかな?
飲んでみると、軽やかなビールですね。苦みはあるけれど、ちょっと控えめだし。
これはこれでいいけれど、どちらかというと、夏向きかなあ。 

 

2023/10/22

立川:叙々苑 立川シネマシティ店

昨日、実家の両親とのランチで叙々苑へ。

あらかじめ予約していたミックスランチ。
ライスは同居人氏以外は小、同居人氏は大。飲み物はウーロン茶をチョイス。

おお!ゴージャス!

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焼き物は、カルビ4枚、ロース3枚、えび2本、とうもろこし、ねぎ。

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キムチ各種、ナムル各種、サラダ、スープ。

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さすが!肉が柔らかいこと!カルビもロースもおいしい。
えびもプリプリ。
家で焼き肉やると、肉固かったりするので感動(いや比較するな笑)。

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デザートの杏仁豆腐をいただいておなかいっぱいになりました。

おいしゅうございました~

東京都立川市曙町2-8-5 シネマシティビル10F

2023/10/21

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分7)

(6より続き)

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バイパスの方に行きかけて慌てて戻ったのだが、振り返ると小峰城の西側石垣が見えた。時間があったらお城も行ってみたかったところだ。

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田町大橋で阿武隈川を渡る。
当初は徒歩渡しだったが、元禄2年(1689)大橋が架橋され、白河側に大木戸が置かれていたとのことだ。

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右、祐天上人水難殃死者供養法塔、左、文化元年(1804)祐天上人の南無阿弥陀仏名号碑。

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聯芳寺。

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福島藩十四人碑。
慶応4年(1868)、隊長池田邦知ら14名の福島藩士は他の奥羽越列藩同盟軍とともに小峰城に攻撃を行ったが、六反山で討ち死。この14名の霊を慰めるため明治になって建てられた碑だ。

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卵塔、種子塔、馬頭観世音、宝篋印塔・無縁供養塔・成田不動尊など。

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褜姫神社。
源義経を恋い慕う皆鶴姫がここまで追ってきたものの、病に倒れこの地で息を引き取った。その時懐中に梅の実があり、里人がこれを蒔くと、梅は「八房の梅」となって花を咲かせたという。

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そしてついに!女石追分到着!
右が仙台松前道、左が会津越後道で、徳川幕府道中奉行が管轄する奥州街道はここまでとなる。奥州街道完歩!万歳!!

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仙台藩士慰霊碑。

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明治23年の仙台藩士戊辰戦没之碑。

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明治2年の戦死供養塔。

少々待って、女石よりこみねっとバスに乗り、白河駅へ。

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白河駅、ちょっとレトロな感じの駅だ。

ホームに行ってみると・・・

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小峰城がよく見えますね。

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そして、夕暮れ時の山がきれいだ。

5時4分の電車に乗って新白河へ。
新幹線の時間まで2時間ちょっとあるので、おみやげを買い、駅近くのはなの舞へ。

ビールで完歩い!!

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さんまの刺身、モッツァレラチーズとベーコンのシーザーサラダ、牛すじ肉豆腐、もっちりチーズのはなの舞ピザ。赤ワインも追加。

7時18分のやまびこに乗り、大宮着8時18分。
帰宅は9時半すぎだった。

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おみやげの白陽、ころんとだるまカステラ。
約52500歩。

五街道のうち、四街道完歩。
残るは、中山道の北鴻巣~日本橋のみとなりました。あともう少し!

(完)

 

2023/10/20

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分6)

(5より続き)

緩やかな坂道を上がっていくとため池が二つあり、ここからまた旧道へ。

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先祖代々供養と刻まれた明治32年の馬頭観世音。

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白河モールを過ぎて(ここを左折すると新白河駅へと至る)、道が直角に折れるところに戊辰の役古戦場跡がある。戊辰の役の激戦地だった。ここが白河宿の江戸口。
白河宿は白河藩の城下町として発展した宿で、本陣、脇本陣2、旅籠35。

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鎮魂碑は、白河で戦死した会津藩士を供養する碑で。304名の名前が刻まれている。

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田辺軍次君之墓。右の小さなお墓が当初のもので、これは大正になって作られた。はじめ、白坂の観音寺に葬られていたが、旧会津藩関係者により改葬された。

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向かいにあるのは長州大垣藩戦死六名墓。

道はぐるっと稲荷山を回り込むかたちで進む。
稲荷山は慶応4年(1868)、白河における戊辰戦争(白河口の戦い)で激しい戦闘があった場所で、奥羽越列藩同盟側の諸藩で約700名が戦死したとされる。

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権兵衛稲荷神社。

やがて道はY字路に出て、九番町、七番町、三番町と進んでいく。

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天保元年(1830)創業の味噌醤油醸造店の藤屋。今は博物館などになっているようだ。歴史的風致形成建造物。

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明治14年創業の呉服店・奈良屋。歴史的風致形成建造物。

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街道は十字路を右折することになるが、その角に月夜見の庭がある。白河石が敷き詰められた庭である。

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今井醤油店も歴史的風致形成建造物。江戸末期の創業。

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皇徳寺に寄る。

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墓地には新選組隊士・菊池央(たのむ)の墓がある。弘前出身の新撰組隊士で、白河口の戦いで戦死した。

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そして、これは絶対に見たかった、小原庄助(会津塗師久五郎)のお墓。とっくりの上に杯をかぶせたような形。
「朝によし 昼になおよし 晩によし 飯前飯後 その間もよし」という辞世の句が刻まれる。どんだけ飲んだんだか・・・

街道に戻る。

枡形があり、さらに進むと、脇本陣柳屋跡がある。

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中が見られるようだったが、時間の関係でパス。
明治天皇白河行在所附御膳水碑もあったようだが、見逃してしまった。

向かいは本陣芳賀家跡だ。

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創業明治12年の蔵元、大谷忠吉本店。歴史的風致形成建造物。
ここは萩原朔太郎の妻、美津子の生家である。美津子の兄は酒造業を営みながら詩人として活躍し、朔太郎に師事。その縁で結婚したとのことだ。
もちろん?お酒(白陽)をおみやげに購入する。

本町の四ツ角を左折すると横町に入る。

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白河だるまのお店があった。
白河だるまは、時の白河藩主松平定信が城下の繁栄を図り、だるまの技術を習得させたのが始まり。現在のだるまは谷文晁の発案で、まゆは鶴、ひげは亀、あごひげは松、びんひげは梅、顔の下は竹を模様化しているそうだ。

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うっかり本町の四ツ角の道標を見逃してしまったが、民家の前に複製があったのでこちらをパチリ。ベンチもあったので少々休憩。

(7へ続く)

2023/10/19

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分5)

(4より続き)

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観音寺に寄る。白坂家の菩提寺。

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本堂。

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六地蔵。

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観音堂(夕日堂)。
金売吉次がここを訪れた際、盗賊に襲われ命を落とす間際に「朝日さす夕日さすからすの横はえすずめちょんちょん三つ葉うつぎの下にある」との遺言を残して落命。その「夕日」が「夕日堂」を指していると伝えられているそうだ。

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大平八郎の墓もある。
白河口の戦いで会津藩が敗れたのは白坂宿の大平八郎が新政府軍の道案内をしたのが原因と思い込み、旅籠鶴屋に呼び出して斬殺、自身は自害したのだという。

先を進む。

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上り坂の途中で、大きなケヤキがあるのだが、その間に木製の鳥居がある。登ってはみなかったが上には石の祠があるらしい。

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文久元年(1861)の馬頭観世音大菩薩、昭和57年(1982)の牛頭観世音を通り過ぎ、道は下っていく。

皮籠集落に入ってきた。金売吉次が砂金を入れた 「皮籠」が地名の由来で、白坂宿の加宿で立場があった。

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吉次八幡。
源義経は平泉に下る手引きをした金売吉次への恩から盗賊どもを討ち果たし、吉次兄弟の霊を弔い合祀した。

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前には大正5年(1916)の金売吉次兄弟古墳碑、弘化4年(1847)の十九夜塔、文久2年(1862)の十九夜塔などが並ぶ。

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白河市のマンホール発見。
白河市の木アカマツ、市の花梅、市の鳥ホオジロがデザインされている。

ここでちょっと寄り道。

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金売吉次兄弟の墓。
元治元年(1864)に施設された石囲いの中にある。

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左から吉内、吉次、吉六の墓。

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街道に戻り進むと、享保18年(1733)の地蔵菩薩坐像があった。ホント、地蔵の多い道である。

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下り坂の途中に題目碑がある。寛政5年(1793)の南無妙法蓮華経題目碑である。
皮籠刑場跡といわれる。

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1時半近く、ようやくお昼の場所、朝日屋食堂に到着。
白河ラーメンのお店で、いつも行列していると聞いていたのですぐ入れるか心配だったのだが、さすがにこの時間だったので、すんなり入ることができた。

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頼んだのは醤油ラーメン。
手打ち麺は縮れ麺で食感がおもしろい。シンプルだけどおいしいラーメンだった。白河ラーメン久々に食べたなあ。

出発。
2種類の別のマンホール発見。

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南湖公園の千世の堤からの眺望を背景に、小峰城の三重櫓(やぐら)をデザインしたもの。

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市の花、梅のデザイン。

(6へ続く)

2023/10/18

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分4)

(3より続き)

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またまた旧道に入り損ね、国道合流地点に明神の地蔵様。
享保14年(1729)の地蔵菩薩坐像、延享3年(1746)の如意輪観音だ。

境の明神到着。
国境をはさんで二つの神社がある。

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那須町側は玉津島神社。天喜元年(1053)紀州和歌浦の玉津島神社から勧請した峠神。

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境の明神大日如来像。

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本殿。

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そしてついに福島県!

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白河市側の境の明神は住吉神社。

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奉納算額がある。

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拝殿。

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芭蕉句碑。「風流の はしめや奥の 田うへ唄」

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神社の向かいは白河二所之関跡。
世の白河関跡で、ここにはお休所南部部屋七兵衛があった。

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峠を越えて少し下ると衣がえの清水がある。
かつて弘法大師がこの清水で身を清め、衣替えをしたという。弘法大師が水を求めたが日照りで井戸の水がなかったため、大師が持っていた杖をさすと清水が湧いたとも伝えられる。

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白坂宿馬洗場跡を通り過ぎ、進むと石仏石塔群がある。
慶応4年(1868)の南無妙法蓮華経題目碑、寛政2年(1790)の大乗妙典日本廻国供養塔、文化10年(1813)の馬頭観音、慶応4年(1868)の大勢至菩薩など。

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六地蔵石幢もあった。

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白坂宿に入ってきた。
秀吉が伊達政宗に小田原から会津の街道整備を命じた際に、芦野と白河間が長すぎるということで宿駅となったのが白坂宿の起こりで、本陣1、脇本陣1、旅籠27。

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うっかり通り過ぎそうになったところで、おじさんがこれを撮影していけと指さしてくれたのが、大垣藩士戦死之跡碑。
戊辰戦役で胸に被弾して戦死した大垣藩士酒井元之丞重寛の碑だ。

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この宿では屋号を刻んだ石が各家に置かれている。

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脇本陣跡(岩井屋戸上家)。
ここの稲はまだ刈り取られていなかった。

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お隣に本陣跡(河内屋白坂家)。


(5へ続く)

2023/10/17

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分3)

(2より続き)

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間の宿寄居の江戸口にあるのは、座り地蔵尊。
左は明和9年(1772)の如意輪観音が刻まれた笠塔婆だ。

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旧道に入ると、天保12年(1841)の湯殿山常夜燈がある。

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與楽寺到着。

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参道口には延享2年(1745)の地蔵菩薩がある。

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立派な松と推定樹齢170年の山桜にはさまれた本堂。境内にて少々休憩。

問屋を勤め、寄居西組の名主を兼ねた松本家と、茶屋本陣をつとめた大島家があった。。

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国道に合流した先に泉田の一里塚。西塚のみ現存。とてもいい形をしている。四十四里目。下野国最北端の一里塚だ。
那須町はみなちゃんと塚が残っていましたね。

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一つ旧道に入り損ね、その先の旧道に入ったところにずらりと並ぶ石仏石塔群。文久元年(1861)の足尾山道標を中心として、文化元年(1804)の念佛供養塔、馬頭観世音、二十三夜塔、如意輪観音など。

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その先で二匹のかまきりに遭遇。茶色い方は目立たなくてうっかり踏むところだった・・・

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初花清水碑。下から初花清水が流れ出ている。
棚倉藩士飯沼勝五郎は兄を滝口上野に殺され、同じく上野を父の仇としていた初花と夫婦となる。仇を探し求めているうちに足を病んだ勝五郎は村人に助けられ、崖の隙間から清水が流れ出るこの地に小屋を建て療養につとめた・・・その後箱根権現の霊験のおかげで本懐をとげるというお話で、そうそう、箱根の鎖雲寺に二人のお墓があったのだった。

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国道に合流するところに、瓢石、瓢石道標(勝五郎旧跡初花清水従是二丁)、馬頭観世音がある。
勝五郎は療養の傍ら、手慰みに道の面や崖の岩肌に文様のように瓢石を刻んだ。ここに置かれたものは明治になってから彫られたものらしい。

再び旧道へ。

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そこに黄色くなったかぼちゃが!

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少しずつ道は上がっていくのだが、擁壁上に明治から昭和の馬頭観音が並ぶ。

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またまた3つの頭がついた馬頭観音も。

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鈴木家にある明治天皇山中御小休所碑。

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国道合流後に、稲穂が干してある。こんなところに干してあって大丈夫だろうか・・・

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安政6年(1859)の馬頭観音。これは大きい。


(4へ続く)

2023/10/16

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分2)

(1より続き)

街道に戻って進む。

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甦る豊郷碑。
この辺りは黒羽藩の領地で、肥沃で良質な米の産地だったとのこと。

この先で旧道に入る。

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岩倉右大臣(岩倉具視)歌碑。岩倉具視は明治天皇の東北巡幸に随行した。
「みちのくの 鄙のはてまで あきらけき 御代の日影を 仰かぬぞなき」

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彼岸花は終わってしまい、今はコスモスの季節。気持ちのいい道だ。

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べこ石の碑。
嘉永10年(1848)に芦野宿の問屋を勤めた戸村右内忠怒が、人倫道徳の本道を衆庶民に教え諭すための全文19段、約3,500の文字を刻した碑文。細かくて読めないけども・・・

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国道に出てまた旧道に入り、再び国道に合流するところに、安永2年(1773)の地蔵菩薩坐像。左は弘化4年(1847)の光明真言五百万遍塔。
このあともたくさんの地蔵を見ることになる。

再び旧道へ。

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昭和15年(1940)の馬頭尊。馬頭が3つあるのは珍しいなあ。
お隣は馬頭観音。

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諭農の碑。
べこ石の碑と同じく戸村右内忠怒が農民を諭すために嘉永元年(1848)に建立したもの。
病害虫の駆除・予防から、飢饉のための備蓄法、飢人の看護法などが刻まれているらしい。

板谷の一里塚。四十三里目。

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東塚。

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西塚はちょっとわかりづらいかな。

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切り通しを通って下る途中に明治11年(1878)の生馬大神、寛政8年(1769)の馬頭観音、享保16年(1731)の大乗妙典六十六部供養塔など。馬関係も多いですね。

さらに下っていく。

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馬頭観音をたくさん見つつ進んだ先に高徳寺があり、境内には文政2年(1819)の地蔵菩薩坐像がある。大きい。

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お寺のそばにもたくさんの馬頭観音がある。

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国道に合流したところに脇沢の地蔵様。
段上にあるのだが、上がる道が草で隠れていて見えず、登るのは断念。

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火の見櫓のところにある五輪塔は奈良川沿いの雨乞い場にあったものという。

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大石灯籠のところから短い旧道を歩き、国道に合流。
この先何カ所か短い旧道があったようなのだが、いずれも荒れていて道が見えず断念。残念だ。

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国道沿いに不思議な植栽が見えてきた。
鳥かな?もしかすると、那須町の鳥、カッコウだろうか。

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狛犬があるので、上は神社?
馬頭観音だらけである。

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波目模様のも馬頭観音。

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六地蔵石幢もあった。


(3へ続く)

2023/10/15

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分1)

6月22日以来の奥州街道歩き。
7月に入ったら暑く、9月末に歩こうと思ったら体調不良・・・
ということでようやく街道歩きに出られるようになった。

いつもの大宮発6時45分のやまびこに乗り、那須塩原駅着7時31分。黒磯行きに乗り換え、黒磯で再び乗り換え黒田原駅到着8時3分。

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前回天気に恵まれず、那須連山を見ることができなかったが、この日はお天気がよく、新幹線の中から釈迦ヶ岳を中心とした高原山が見えた。

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黒田原駅前より8時10分のバスに乗り、前回のゴール芦野仲町バス停まで。

8時25分歩きスタート。

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バス停の前は丁子屋さんである(旅籠跡で現在は鰻やさん)。

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角に奥州街道道標と芦野町道路元標があるが、ここが番所跡。

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斜め向かいのストーンプラザ(石の美術館)あたりが本陣跡である。

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そうそうこの宿は、屋号が書かれた常夜燈があるのでした。
これはたまごや?たまこや?

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建中寺。

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本堂。

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奥には芦野氏19代民部資俊から27までの当主と家族の墓である、芦野氏新墳墓がある。

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享保2年(1717)の新町地蔵尊のところで芦野宿は終わり。
地蔵尊の隣には文化12年(1815)の二十三夜塔・文化元年(1804)の三界萬霊塔・大乗妙典一千部供養塔。
芦野宿は江戸口、白河口ともに大きなお地蔵さんがありました。

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遊行柳に寄る。

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時宗の宗祖一遍上人(遊行上人)が旅の途中、遊行上人が使っていた柳の杖が根付いて柳になったという伝説が残る場所で、西行、芭蕉、蕪村が訪れている。

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芭蕉句碑。
「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」

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蕪村句碑。
「柳散 清水涸石 処々」(柳散り清水かれ石ところどころ)

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西行歌碑。
「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」

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両側の柳。

(2へ続く)

2023/10/14

サントリー パーフェクト サントリービール 黒

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パーフェクト・サントリービールの黒が発売されたので買ってみた。

注いでみると、漆黒。
飲んでみると、ほんのり香ばしい香りで、酸味あり。
うーん、でもやっぱりコクがないなあ。糖質オフビールだから仕方ないけれど・・・
軽いビールが好きだったらよいと思うし、黒は苦手という人も飲みやすそうではあるけれど、やっぱり黒感はもうちょっとほしいところですね。

 

2023/10/13

シャトー・リュッサン ボルドーキュヴェ・レゼルブ

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ボルドーの赤ワイン。

飲んでみると、これ、メルロー100%なの?
と思うほど。結構濃くてがっつり系ワイン。
プルーンのような香りかな。

これは料理もがっつり系がいいかも?

 

2023/10/12

たかぎなおこ『おかあさんライフ。』 

本日の本


book-21 『おかあさんライフ。』 たかぎなおこ著 KADOKAWA

40代で結婚、出産したたかぎさんの『お互い40代婚』に続くコミックエッセイ。

40代での子育てはしんどい!と言いつつも全体的には楽しそう。
というか、たかぎさんはなんでも楽しむ術を持ってる人なんですね。

一人ぐらしの時も楽しく暮らしていたけれど、それは2人になっても3人になっても同じ。

子供の成長とともに楽しみも変わってくるのかな。

2023/10/11

豊島屋酒造 金婚 純米吟醸

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東村山の酒造のお酒。

注いでみると、色はない。
飲んでみると、酸味は結構あるかな。
で、吟醸なのかな?と思ったのは香りがさほどじゃないんですね。
米の甘みは感じるので純米酒って感じかな。

お料理にあうお酒でした。

2023/10/10

たかぎなおこ『はらぺこ万歳!おかわり』 

本日の本


book-20 『はらぺこ万歳!おかわり』 たかぎなおこ著 文藝春秋 

『はらぺこ万歳』の続編。
1冊目はきままな一人ご飯だったけれど、今回は夫婦ご飯と親子ご飯。

たかぎさんも相当食いしん坊だけれど、旦那さんも食いしん坊で、好みは違ったりはするけれど、そういう共通点は重要。
旦那さんもお料理してくれるし、いいなあ。

お子さんが生まれてからは、結構ドタバタで、でもちゃんとご飯はしっかり作って食べて。これが元気の源。

第三弾も期待してます。

2023/10/09

高尾山(いろはの森コース・5号路・2号路)2

(1より続き)

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大岳が見えた。

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どんぐりも撮影。

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5号路をぐるっとまわってみる。
意外と道が狭く、すれ違うのは大変だ。

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シモバシラの花。

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ぐるっと一周して、頂上到着。

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途中で出会った方が富士山見えますよ~と言っていたので期待していたのだが、おお!見えました!少し雲はかかっているけれど・・・

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蛭ヶ岳と大山も見えた。

10時半過ぎでちょっと早いけれど、混む前にということで、山頂直下の茶屋、やまびこ茶屋へ。

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頼んだのはやはり?とろろそば。
朝ご飯が早かったので、早いお昼でもしっかりおなかはすいていたのだった・・・

11時頃、そろそろお店を出ようかという頃になって、急に人が増え、注文の長蛇の列が!いやー早くきてよかったなあ。

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もう一度頂上に登って、江ノ島のあたりを眺めたあと、3号路を行く。ぐんぐん下がっていく。

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途中木の橋を何度か渡る。

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またまたきのこ。これはカラカサタケが開く前かな?

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2号路への分岐がきた。

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今度は2号路をまわる(といっても全部がつながっているわけではなく、途中1号路を歩くことになる)。

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かすみ台からの眺め。

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ぐるりとまわって、最終的には浄心門の横に出てきた。
あとは1号路を下ってリフト乗り場まで。

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たこ杉。

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リフトに乗る。風がとても気持ちよい。

10分ちょっとで到着。

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高尾まんじゅうをおみやげに買い、昨年末に酒まんじゅうを買ったお店で和栗のソフトクリームを食べる。

高尾山口から高尾へ京王線で出て中央線に乗り換え、帰宅は2時半前だった。

気持ちのよいハイキングでした。

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高尾まんじゅう。茶は粒あん、白はこしあんです。

2023/10/08

高尾山(いろはの森コース・5号路・2号路)1

高尾山のマイナールート、いろはの森コースを登ろうということになった。季節もよくなり、高尾山はきっと混んでいるに違いない・・・でもこのコースならばそれほど混んでいないかもという読みもあったのだった。

高尾駅到着7時31分。
52分の小仏行きのバスに乗ろうと乗り場にいくと、すでに結構並んでいる。
けれど、バスは2台きたので、後ろのバスに乗り込んで無事座って日影バス停まで。

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バス停から少し歩いて、旧甲州街道からキャンプ場方面へと入っていく。ここでトレッキングポールを組み立てる。

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日影沢のアオサギ。

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白いお皿のようなきのこは、オオイチョウダケだろうか。
これははじめて見たきのこ。

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キャンプ場を通り過ぎてしばらく行くと、いろはの森コースの入口があった。

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キンモクセイの香りが・・・
と思ったらありました。うちの近所ではまだ咲いていないけれど。

このコースはいろはにへと48文字で始まる木が植えられているというコース。
木の名前が書いてある説明板や、時にはその木にちなんだ和歌の札もあったりする。
うーん、でも、48文字はなかったな・・・35。見逃したのかなあ。残念。

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ひのき。

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けやきと和歌。

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一カ所、沢を渡るところもあり。

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すぎ。

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ゆずりは。

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あらかし。
いろいろなどんぐりがあったけれど、この木の下にはなかったなあ。

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熊がでるかもということで、同居人氏が熊鈴をつける。

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るりみのうしころしってすごい名前だな。
カマツカという木が牛の鼻木を作った、またはこれで鼻輪用の穴を開けた他(諸説あり)で「牛殺し」と呼ばれていて、サワフタギの実がカマツカの実に似ているけれど、瑠璃色をしているので、この別名がついた、ということらしい。

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えんこうかえで。葉っぱがテナガザルの手を思わせることにちなんでいるという。

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いたやかえで。
このあたりは紅葉の時期きれいでしょうね。

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はくうんぼくの葉は丸い。

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ほうの木の下には、ちゃんと葉っぱが落ちている。

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からすざんしょう。確かに山椒みたい。

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4号路を横切って進む。

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階段を上ると、1号路に合流。
途端に人が多くなる。

(2へ続く)

2023/10/07

宇都宮酒造 四季桜 特別純米生貯蔵酒

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宇都宮に行った際に購入したお酒。
栃木産の五百万石使用。

飲んでみると、フレッシュな感じはある。生貯蔵酒ですからね。
甘みは少しあって(お米の甘みかな)、でもやっぱりさわやか。

おいしいお酒です。

2023/10/06

たかぎなおこ『お互い40代婚』 

本日の本


book-19 『お互い40代婚』 たかぎなおこ著 KADOKAWA

なんと!
たかぎさんが結婚、出産したんですねぇ。

ひとりぐらしを満喫してるなあと思っていたんだけれど、ひょんなことから、旦那さんと知り合って、仲良くなって、あっという間に結婚!
不思議なご縁だなあ。こういうことってあるんですね。

旦那さんがまたとっても優しくていい人で、申し分なし!

たかぎさんのコミックエッセイも新しいフェーズに入ったなと。

2023/10/05

権田酒造 直実 特別純米

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中山道を歩いた際、中山道が通っている熊谷の八木橋百貨店で購入したワンカップ。

熊谷で唯一の酒造、権田酒造のお酒で、熊谷産の好適米、さけ武蔵を使用した「直実」の特別純米。

直実とは、熊谷次郎直実のことで、平家物語にも出てくる武将(のちに出家)。

さて、お酒だが、色がちょっと黄色みがかっている。
飲んでみると、お米の味を感じますね。甘くはなくて、どちらかというと酸味の方を感じる。
しっかり味のお酒でした。

 

2023/10/04

たかぎなおこ『おまつり万歳!』 

本日の本


book-18 『おまつり万歳!』 たかぎなおこ著 文藝春秋

全国各地のお祭りに出かけて、現地のおいしいものを食べる・・・というコミックエッセイ。

ワタクシはお祭りは苦手なんだけど・・・人混みがダメなもんで
・・・

この中でいくつか興味のあるお祭りもありました。

まずは三重県四日市市の大四日市まつり。
高くのびる大入道が練り歩くのだけど、東海道を歩いた際、小入道くんがあちこちにあった、なんかおもしろそうと思ったのだった。

あと、秋田県湯沢市の犬っこまつりは是非行きたいな。
秋田犬と遊びたい!!
お酒の試飲もできるみたいだし!

いやはや、全国にはいろんなお祭りがあるもんですね。

2023/10/03

白相酒造 御用邸 純米

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那須塩原駅で買った日本酒。
那珂川町の酒蔵ですが・・・

農業から明治時代に酒造りに転身した蔵元だそう。
日本酒だけでなく、焼酎も製造しているらしい。

これ瓶がきれいですね。

飲んでみると、わりと酒くさいかな。
けれど、飲み進めるうちに、じわーっと甘みがでてくるお酒。

度数はそれほど高くはないけれど、そう感じさせないお酒でした。

2023/10/02

たかぎなおこ『良いかげんごはん』 

本日の本


book-17 『良いかげんごはん』 たかぎなおこ著 オレンジページ

たかぎさんの食エッセイ漫画。
たかぎさんの食エッセイは読んでいてとても楽しい。
なんでもおいしそうに食べるし、好奇心旺盛でなんでもチャレンジするところがいいですね。
食いしん坊なのが良いんですね。

無理せず、作る。これも肝心だなと思いました。

2023/10/01

清水酒造 本醸造 巖乃泉 彩

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相模原の酒蔵のお酒。
おみやげにいただいたものだけど、津久井に酒蔵があるのは知らなかった・・・
宝暦年間(1751年)の創業とか。

いただいたのは巖乃泉の中でも彩というもの

飲んでみるとちょい酸味がありますね。
でも穏やかなお酒で、じっくり飲む系かな。
おいしいです。

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