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2023/10/16

奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分2)

(1より続き)

街道に戻って進む。

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甦る豊郷碑。
この辺りは黒羽藩の領地で、肥沃で良質な米の産地だったとのこと。

この先で旧道に入る。

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岩倉右大臣(岩倉具視)歌碑。岩倉具視は明治天皇の東北巡幸に随行した。
「みちのくの 鄙のはてまで あきらけき 御代の日影を 仰かぬぞなき」

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彼岸花は終わってしまい、今はコスモスの季節。気持ちのいい道だ。

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べこ石の碑。
嘉永10年(1848)に芦野宿の問屋を勤めた戸村右内忠怒が、人倫道徳の本道を衆庶民に教え諭すための全文19段、約3,500の文字を刻した碑文。細かくて読めないけども・・・

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国道に出てまた旧道に入り、再び国道に合流するところに、安永2年(1773)の地蔵菩薩坐像。左は弘化4年(1847)の光明真言五百万遍塔。
このあともたくさんの地蔵を見ることになる。

再び旧道へ。

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昭和15年(1940)の馬頭尊。馬頭が3つあるのは珍しいなあ。
お隣は馬頭観音。

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諭農の碑。
べこ石の碑と同じく戸村右内忠怒が農民を諭すために嘉永元年(1848)に建立したもの。
病害虫の駆除・予防から、飢饉のための備蓄法、飢人の看護法などが刻まれているらしい。

板谷の一里塚。四十三里目。

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東塚。

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西塚はちょっとわかりづらいかな。

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切り通しを通って下る途中に明治11年(1878)の生馬大神、寛政8年(1769)の馬頭観音、享保16年(1731)の大乗妙典六十六部供養塔など。馬関係も多いですね。

さらに下っていく。

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馬頭観音をたくさん見つつ進んだ先に高徳寺があり、境内には文政2年(1819)の地蔵菩薩坐像がある。大きい。

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お寺のそばにもたくさんの馬頭観音がある。

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国道に合流したところに脇沢の地蔵様。
段上にあるのだが、上がる道が草で隠れていて見えず、登るのは断念。

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火の見櫓のところにある五輪塔は奈良川沿いの雨乞い場にあったものという。

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大石灯籠のところから短い旧道を歩き、国道に合流。
この先何カ所か短い旧道があったようなのだが、いずれも荒れていて道が見えず断念。残念だ。

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国道沿いに不思議な植栽が見えてきた。
鳥かな?もしかすると、那須町の鳥、カッコウだろうか。

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狛犬があるので、上は神社?
馬頭観音だらけである。

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波目模様のも馬頭観音。

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六地蔵石幢もあった。


(3へ続く)

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